人間とオーロラのハーフ 3
「あ、これつまらないものですが」
トングを使って皿に盛りつけたミートソース・パスタをテーブルの上に置き、清香が人数分のカップに紅茶を注いでいると、横合いからアリーフが菓子折りを差し出してきた。落ち着いた花柄の包装紙に包まれた、平べったくもかなり大きな化粧箱だ。
「草加せんべいというものです。36個入りの」
「ご丁寧にありがとうございます」
草加市民にこれ渡すのか……。郷土菓子をその郷土在住のヤツに渡すなよと困惑したが、外国人には無理があるかと清香は納得して満面の笑みで受け取った。
包装紙によく見ると隣町のスーパーのスタンプが押してあった。リウとアナスタシアの読みはどちらも当たっていたようだ。
清香はスーパーの贈答品コーナーの前に立ち、化粧箱を両手に持ってじろじろと吟味するアリーフを想像した。きっと店内の客や従業員は、この容姿に気を取られて買い物や仕事どころじゃなかっただろう。
改めてアリーフの容姿を見てみると、顔以外の部分もほとんど完璧に近かった。白い手の爪はきちんとやすりで整えられて半月の形を作り、余分な肉を削ぎ落として細く引き締まった体躯は特に腰回りが艶かしかった。
身のこなしも良く、昔ビートルズが好んで着ていたような濃紺のモッズ・スーツと清潔なワイシャツはしっかりとアイロンが当てられている。袖からはみ出るシャツの布地も2センチに抑えられていて、全てが安物でなくオーダーメイドの品だと分かった。
腕時計もスーツと喧嘩しないクォーツ式の落ち着いたデザインのもので、彼が腕を動かすと金属のベルトが猫の足音みたいな小さな音を立てた。
ネクタイも飾り気のない茶色一色なのがかえってよかった。生まれ持った素晴らしい容姿を全く腐らせることのないケチのつけようがない服装だ。
しかし、目つきだけはどこか陰があるような気がした。確かに笑っているのに本心からは笑っていないような。さっき料理の手伝いで。パスタを慣れた手つきで鍋の縁に広げて、ヘラでソースを煮込む姿が様になっていたのだが、彼の横顔はフライパンに向かうにしては妙に不気味だった。
だが、清香はあまり深く考えないようにした。こんなイケメンとお近づきになれたならあまり深く考えないようにしよう。
32歳か。10年前に会ってみたかったな。
「すいませんが。2人を起こしてもらえませんか?」
「分かりました。んーまっ」
清香が寝てる2人に目線を向けると、アリーフはリウを抱き抱えたまま唇にキスをして起こした。それは家族同士のキスとは思えないくらい、唇に吸い付くむしゃぶりつくような熱烈なキスだった。清香は思わず生唾を飲んだ。
「あ、兄さん。おひさー」
「うん。お前は少し痩せたな。でも肌は色艶があるし大丈夫か?」
「うん」
アリーフはリュウを彼の皿の前に置くと、ついでアナスタシアの前に屈んで同じように唇を近づけた。女にも躊躇いなくやるんだなと清香は一周回って感心した。
「うわっわああああああああああああ!!!」
「oh」
しかし、アナスタシアは何か危険を察知したのかあと1センチというところで飛び起き、恐怖に歪んだ顔で絶叫して、アリーフの顎を下から突き上げてぶん殴った。
「あっ……お、お兄様申し訳ございません!」
まるで拳が勝手に動いたような顔で拳骨とアリーフの顔を交互に見つめながら、アナスタシアは立ち上がってアリーフの両腕を掴んで上半身を起こした。
「うーん突発的にしてはいいアッパーだ。ドメスティックバイオレンスということを除けば完璧に近い。罰としてペナルティキス……いくよ」
「……!」
アリーフがなおもアナスタシアを抱き寄せて唇を奪おうとしたが、アナスタシアは困ったような笑みを浮かべて彼の横顔を近づけまいと押して抵抗した。
富士山の麓に住んでる人間は富士山の良さが分からないと言うが、それと同じで彼女にはアリーフの容姿の素晴らしさには気づいてないのかもしれない。見かねた清香は手を叩いた。
「まぁお互い久しぶりに家族で話し合うのは食べながらでどうですか?」
「そうそう」
リウが頷いた。彼はせっせとアリーフのパスタの皿にフォークを突き刺して、そこからしめじを抜いて自分の皿に移している。
「ジェスタフさん。キノコお嫌いなんですか」
「……恥ずかしながら」
「言ってくだされば入れなかったのに」
軍人で好き嫌いあるって大丈夫なのかと清香は内心思ったが、むしろ弱点を見せたことで人間としてはアリーフがますます可愛らしくなった。何でこんな人が兵士になったのかが気になって仕方ない。
というかこの男。苗字がジェスタフってことは他の腹違いと違って実弟ということ? それならアンドレイ・ジェスタフを殺された憎しみは他よりも強いはずだ。それなのに怒っている様子が全くないのが清香は不思議だった。
***
「約束の時刻に遅れただけでなく食事まで頂いてしまい申し訳ありません。改めましてリウとアナスタシアの兄のアリーフ・ジェスタフと申します」
食事を終えて、アリーフは口元をハンカチで拭うと正座になって深々とお辞儀をした。アナスタシアが決まりが悪そうにそっぽを向き、リウは庭でらいおんと遊んでいた。
アナスタシアはアリーフから無断でここに来たことを怒られていたが、そのことで彼もアルベルトから監督責任を問われてかなり叱責されていたようだった。
「あ、これ忘れない内にお渡しします」
アリーフはスーツの内ポケットに手を入れた。一周銃を出すのかと身構えたが、出してきたのは分厚い封筒だった。清香が首を傾げて手に取り、糊付けされていない口に指を入れると、その中には札束が3本入っていた。
「150万円あります。リウとあの子がお世話になっていることに加えて、アナスタシアがやらかしたことの弁償代です」
「いやそんな……」
正直少しはマチリークから金はもらいたかったが、毟り取るのでなくこうも誠実に渡されると受け取るのも少し気が引ける。
それに現状金には困っていない。流琴の稼ぎに清香は多数のインデックス投資先からの配当金に昔の蓄えがある。
「これ、全部お兄様のお金ですか?」
「兄貴の見舞金として日本政府から父さんが3000万毟り取ったのの一部さ。だから早い話が兄貴の遺産?マチリーク通貨って国外じゃティッシュほどの価値もないから渡しても仕方ないからな。300億寄越せって父さんは言ったらしいけど」
それ典型的なドアインザフェイスだし、そっちが金を毟り取るのか……。
侵略はするわ金は取るわでやりたい放題だな。日本も弱腰すぎて情けなくなる。穏便に済ませたいのは分かるけど何をどうしたいんだ。
「一応見舞金をもらったからこっちは鹵獲した自衛隊の武器には手をつけずお返しすることを約束したらしいよ。あ、奥様これはオフレコで」
「はぁ……」
アリーフが人差し指を口に当てる。
この人、結構口が軽い。リュウが末端を意味する枝とか言ってたように軍の重要な仕事を任されてないのも頷ける。そのリュウはいつのまにか戻ってきてアリーフの背中にもたれていた。
「ではご好意に甘えさせて頂きます」
元は日本の金だというならもらっておいても構わないだろう。考えてみたら詩音達が殺されかけたことの慰謝料だったらむしろ安いくらいだ。
清香は封筒をとりあえずテーブルの自分の側に置くと、アリーフが話を始めないので自分から尋ねてみた。
「あの、あなたは亡くなられたジェスタフ外務卿の実の弟なんですか? いや、あの何と言いますか失礼な意味ではないんですが」
アリーフは紅茶をすすりながらくすくすと笑う。その飲み方も受け皿を持ってカップの取手に指を入れるのでなく触れて持ち上げる英国式の作法に則ったものだった。
さっきの食事もフォークにパスタを巻きつけてスプーンで形を整えてから口に運ぶのが中々様になっていた。
「いや、従兄弟です。母親が姉妹同士だったんで。ただ家は近かったんで小さい頃から毎日会ってましたよ。リュウとシアとは初めて会ったのは19か20歳の頃なんでだいぶ大人になってから会いましたね」
「というか僕末っ子なんだけど弟か妹がまだいそうな気がしてならない」
「ああいるかもよ。僕も20歳までは自分が次男かと思ってたら兄貴もう1人いたし、僕と付き合えないなら死んでやるって言ってたメンヘラが実は姉だったし」
「面白い家系ですね……」
何と言ったら良いか分からないからとりあえずそう言うことにした。
この男、私が出した食べ物も平気で口にするし終始殺気がない。ただただ美しいだけで、こんな大人しい人間もマチリーク兵にいるのかと清香は少しだけ驚いた。
清香はお茶をアナスタシアに継ぎ足しながら一番重要なことを尋ねた。
「それでいらっしゃったご用件は?」
「ああ、ダメ元であの子を渡してくれないかなと」
アリーフは笑顔で簡潔にそう言った。それよりも妹にちょっかいを出す方が重要なようにも思えた。アナスタシアの手を掴んで袖の中に指を入れて、彼女が笑いを堪えてるのを愉快そうに見ていた。
常識的に見たらセクハラのそれだが、彼がやるとエロチックな愛撫のように見えてくるから狡い。
「あの子は今ここにいないんですかぁ? せっかくだから僕の顔を覚えてもらおうと思ったんですがね」
「覚えてもらおうって……連れて行く気じゃないんですか?」
「あなた達を殺してでもですか? 嫌ですよリュウの教育に悪影響です。それに無理矢理連れて帰ってまた暴れ回られたらこっちはまた大損害ですからね。帰る時は彼が望む形にしないといけないとか」
「ごろごろごろ」
アリーフがアナスタシアをからかうのをやめて空いた手でリウの喉仏をくすぐると、リウは悪ふざけで猫の真似をした。
流琴はリウを家に留めているのは人質のためと言っていたが、もしかしたら私達の方がリウに守られているのかもしれない。
この蝶よ花よと可愛がられている片腕の文民大臣の末の息子がいるから自分達は普通に生活ができているのか。
もしリュウをあの時車のトランクにいることに気づかずに餓死させていたら……そうなっていたらどんなことになっていたか想像に難くないがしたくない。
すると、上の階で物音がした。大方詩音が読んでる本でも落としたんだろう。
「ん」
清香がそう軽く捉えた横で、おっとりした雰囲気のアリーフの目が突然鋭くリウを睨み、そのまま機敏にリュウの肩を掴んで引き寄せると、片膝立ちになって左腕で頭を包み込んでその上を上半身で覆った。
右手にはいつのまにか拳銃が握られていて、銃口は清香に向けられていた。1秒にも満たない一瞬の動きで、最初は銃を向けられたことを訝しむ前に向けられたこと自体気づかなかった。
「上に、誰がいるんですか?」
同じ人間が発する声なのに打って変わって凍てつくような声だった。
「あの、いや……面倒を見ている知り合いの子がいて……カミーリアを含めて人払いはしたんですが、1人だけ病気なので上で寝かせたままにしておいたんです。言った方がよかったですか?」
銃を向けられているが、向けている人間の顔が端正だからか脅されてる気がしなくて落ち着いて受け答えができた。
「そうだよ兄さん。詩音っていうかわいい栗色のショートカットの子。もう出ていい?」
アリーフの胸板の下でリウがそう言うと、アリーフは何も言わずに銃を下ろしてリウを解放した。
「もーボディーガードの仕事長すぎて反射的に体動いちゃうよね。肩痛かったー」
「すいません……これ以上リュウに何かあったら僕は生きていけないので……つい」
「いや……大丈夫ですよ。私も娘に万が一のことがあったら後を追うかもしれませんから」
アリーフは銃をテーブルの上に置くと、自分の行った所業を恥として噛み締めるように顔を片手で覆い隠して項垂れた。かわいい顔はしているがこの男もやはり公務員なのだ。しかも、爪を隠しているが恐らく相当な技量の。




