だから玄関から来い 3
「あっ千明のヤツ、弁当忘れてる」
千明が家を出て2時間くらい経ち、浴室の前の洗面所で洗濯機のスイッチを押した清香は、石鹸やら化粧水やらシェービングクリームやらが無造作に置かれた鏡台の真下に、茶色の水玉の布袋が弁当箱を入れたま放置してあるのに気づいた。
「あんのおバカ〜……」
清香は弁当箱を取ってがっくりと首を垂れた。せっかく料理本見ながら苦労してスペイン料理のエスケイシャーダを作って入れたのにパァじゃないのよ。
届けたいのは山々だけど清香はこれからジムに行く用事があり、インストラクターを予約してるから遅れたら4000円が無駄になる。
それにペーパードライバーだから車にも怖くて乗れないし、高校生にもなって母親が弁当を届けに来るというのは自分が千明だと思って考えてみると小っ恥ずかしいものがある。
というかマチリークが日本に宣戦布告してきたのにやっぱり登校するのか。前に保護者会で交戦状態に入ったら即座に登校を停止すると言ったくせにと、清香の苛つきは娘から学校にまで発展した。
「ま、今日の夕飯にさせれば解決か。購買でパンでも買うでしょ」
「お困りのようですね」
清香が強引に自分を納得させると、背後でリウがひょっこり顔を覗かせた。その下にはさっき起きたばかりのカミーリアがいて同じように頭だけ出して清香を見ており、彼女はパッと見で晒し首を連想した。
「そ、そうなのよ。千明が弁当をね……」
「僕らが届けましょうか?」
「え?」
リウがカミーリアを後ろから抱きしめて、満更でもなさそうな顔でカミーリアも鼻息を吐いた。
「いいだろう」
この2人、かたや兄を殺した者と兄を殺された者、マチリークに追われてる者とマチリーク軍最高幹部の息子という対極的な存在でありながら仲はそれなりに良い。
リウがよくてもカミーリアは引け目を感じてそうだが、カミーリアはジェスタフを殺したことでマチリークが本気を出したことを悔いているのであってジェスタフを殺したこと自体は何も後悔していない。
つまり、この2人の中でジェスタフの死は取り立てて重要なことではないのだった。そのためよく一緒にテレビを見たり、リウから九九を教わったりしている。
家庭内で険悪な雰囲気にならずに済んで清香はありがたいのだが、雨降って地固まるような過程もなくこれなので少し違和感もあった。
「そ、そうかカミーリアって千明と出会ったの学校なんだってね。じゃあ道も知ってるし大丈夫か……と言いたいけど、そんなことしなくて大丈夫よ。2人とも目立つし何よりそこまで重要なものでもないんだから」
そう言って清香はリュウとカミーリアの冷えたほっぺたを両手でつまんだ。
マチリークに住所を知られている以上、目を離した隙に拉致される可能性もあるのが一番の理由だ。もっとも本当に襲撃してきたら人妻1人なんていてもいなくても変わらず秒殺だろうが。
すると、リウは清香の掌に頬を擦り付けながら肘から手首を艶かしい手つきで撫で、甘え声で清香を懐柔した。
「大丈夫ですよ。ずっと家の中にいるからたまには散歩してみたいだけです。すぐ行って帰ってきますし。清香さんだって1人の時間が欲しいでしょ? 誘拐されそうになったらまぁほら、カミーリアが助けてくれますから」
「ま、まぁそんな距離は遠くないけども……カミーリアが暴れたら洒落にならんのよ。……あれ? カミーリア?」
清香がふとカミーリアがいないことに気づいて辺りを見回すと、弁当袋もないのに気づいた。
「あれ? 僕置いてかれました?」
「えー……ちょっとちょっと……」
リウがケラケラと笑った。話してる内に横を通って弁当箱を持って先に行ってしまったのかと思ったと青ざめかけた時、幾万もの風船が一斉に破裂したような爆音を合図に天井が震え、呻き声を上げて埃を落とした。
リウがよろけて壁に手を付くと、壁も小刻みに震えていたので支えにならず、たまらず清香の身体に抱きついたら、清香は悲鳴か嬌声か分からない奇怪な声を漏らした。
「う、うーん……清香さん大丈夫ですか?」
「う、うん。ちょっともうちょっとだけくっついててくれない? もっと背中の方に手を回して」
耳鳴りに顔を顰めながらリウが清香から離れようとしたのだが、千明の母である彼女がそれを許してくれなかった。
「届けてきたぞ」
そんな2人を尻目に何食わぬ顔でカミーリアは浴室のドアを開けて出てきた。どうやらドアでなく窓から入ってきたらしい。
カミーリアはマチリークが極秘裏に製造した生体兵器だ。彼は呼吸のほとんどを皮膚に頼っており、体内にほぼ無尽蔵に酸素を保有しているため水中でも活動でき、さらに空気を高圧で撃ち出す芸当まで出来る。
目が飛び出るほどの大金をかけて作ったのに逃げた彼を連れ戻し、カミーリアの力でサハリンを奪取しロシアを併合しようというのがマチリークの思惑だ。
「……もしかして、屋根から弁当箱を学校まで飛ばしたの?」
リウが目だけ笑って声は怖々と尋ねた。カミーリアがそんなリウを見てはっとした。
「もしかして横で見たかったか?」
清香が足元から崩れ落ちて愕然とした。
「そうだった……最近はひらがなも書けるし絵本くらいなら読めるからってだけで安心してたけどあなたはそういう子だったわ……」
「何がだ」
「清香さんは弁当を食べられる状態で届けて欲しかったらしいよ」
カミーリアが微かに眉を釣り上げてリウの顔を凝視すると、四つん這いの清香と同じ態勢になって小さく頭を下げた。
「……すまん。そこまで考えが回らなかった。一応人がいない場所を狙ったから死人は出てないはずだ」
「あ、謝れて偉いよカミーリア。私が言わなかったのが悪いんだから……ジムより学校の様子見に行かなくちゃ……2人とも車乗って」
今の時期使われていないプールの水面に弁当箱は着弾し、水煙を巻き上げて切り裂かれたプールサイドはあっという間に粉々に崩れ落ち、苔が貼った深緑の腐敗した水が校舎に押し寄せた。
当たり前だが弁当箱は塵と化したので、第三者からしたら爆発物が投げ込まれたようにしか見えなかった。
その日の夜、高校はこれを何の理由もなくマチリークによるテロと断定して、しばらく休校となった。
***
その日の夜、集まった報道陣からそれについて尋ねられたファンディッケンのコメント。
「え? いや……冤罪です……」




