だから玄関から来い 2
「……」
結局一睡もできずに朝になった。2時間くらいうとうとしただけで気づいたら空が白み始めていた。起きようにもリュウに足をガッチリ締められてるから引き剥がせないし、地獄みたいだった。
そんでリュウはもういない。5時くらいに目覚ましもなく自然に起きて、この場を母さんや詩音に見つかったらまずいからと服を着て出て行ってしまった。せめて起きる前に10分でも私からどいてくれたらちょっとはイタズラできたのに。
去り際に私のお腹に手を当てて暖をとってから母さんの部屋に帰って行った。やはりあの子にとって私は湯たんぽの代わりらしい。泣きたい。
時計を取ったら時刻は7時に差し掛かる寸前だった。仕方ないから起き上がって服を着たけど、パジャマを着たあとに制服を着たのは明らかに無駄だった。
頭がぼーっとする。保健室で寝たい。一限から体育なの地獄……。
***
「おはよう千明」
「父さん、おっはー」
私が寝ぼけ眼で階段を降りるとスーツ姿の父さんと出くわした。父さんからは薄っすら煙草の匂いがして、ぬっと私のブレザーの内側に手を入れてきた。
「え?」
「眠そうだからやるよ」
内ポケットに入れられたものを出すと、クソ苦い眠気覚ましのガムだった。嬉しいけど嬉しくない。というかそもそも何で登校なんだ。マチリークが進軍してきたのに体育で卓球なんかしてる場合か。
「ありがとう…」
私は父さんと一緒に階段を降りてリビングに向かうと、詩音と冷穏は既に起きて朝食を食べていて、リュウはその横で何やら勉強をしていた。テーブルが彼の背丈と合わないせいか、背筋をぴんと肘を上げて紙に向かっている。
「千明、大丈夫? 何か5歳くらい老けたような顔してるけど」
母さんが座った私の前にレタスを敷いてポテトサラダを塗ったトーストを出しながら、私の顔を覗き込んだ。
「大丈夫っす……」
「心労とか人一倍あるだろうし嫌なら学校休んだらどうだ?」
冷穏はそう言って自分も眠そうに大欠伸をした。最近は私に好かれたくてやっていたという不良ムーブをやめて、学校でも大人しくしているようだけど留年に片足を突っ込んでるらしいから哀れだな。
「いいよ。学校行った方が気が紛れる」
「無理しないでよ。ほらリュウも勉強はあとにして食べようごはん」
母さんは私と同じものをリュウの前にホットミルクと一緒に出した。
「もうすぐ終わりますからちょっとお待ちください」
「真面目ねぇリュウは。さっきは数学だったでしょ? 優しくて顔までよくて勉強熱心なんて欠点が見つからな……ん? 犬橋冷穏?」
母さんがニコニコしてリュウが解いている英語の宿題のテスト用紙を覗き込むと、名前の欄に冷穏の名前があった。当の本人はそそくさと食器を流しに戻して、詩音もそれに続いた。
「2人ともこっち来なさい」
「……」
「はい……」
冷ややかな母さんの声に呼び止められて、2人は渋々また椅子に座った。
「何でリュウに宿題やらせてんの? リュウが焦ってやってるってことは今日提出ってことね?」
「はい」
「何バカなことしてんの!? そんなんじゃ肝心の定期テストでズタボロになるだけじゃない!」
「その通りです」
詩音が俯いて頷く。さてはコイツもやらせてたクチか。
「というか高3高2の問題わかんのリュウ。15でしょ?」
リュウが得意げに鼻息を出した。
「一応国立社会学部A判定もらってます」
「すげぇ」
リュウって天才だったのか。そういえばこの前、机に放置した過去問集で私が解いて自己採点したページを見て鼻で笑ってたのは、この程度も満足にできないのかって意味だったのか。
「何か勉強法とかあるの?」
「片腕に行くはずの血が脳に行ってるからかな。千明も四肢を一本切り落としたら?」
私が尋ねたら、リュウは悲しいことと怖いことを言ってきた。母さんが宿題用紙を眺めて実際に解けているのを見て舌を巻いた。
「す、すごいわね。リュウ、もしや2人にやらされてるの? 私らの代わりに宿題やれって」
「いえ清香さん。僕が日頃お世話になっている2人のお役に立ちたくて率先してやったことです」
「うん。長い目で見たら役に立ってないしむしろ害悪ですらある。というか千明アンタはさせてないでしょうね?」
「えっ」
リュウの顔が曇った。アニメならガーンという効果音がつく顔だ。そして母さんの怒りが何故か私に来た。
「う、うん」
「ならいいけど。2人とも宿題は自分の力だけでやりなさいよ! どうしてもならリュウには聞くだけ! わかった?」
「はい…」
「すいませんでした……」
させてないのはマジだけどリュウが勉強できるって分かってたら500円でやらせてた。冷穏は仕方なく締切だから今日だけはということで、リュウから解き終わった用紙を受け取ってカバンに直に入れた。
母さんがリュウの手を取って同じ目線の高さで説く。
「リュウも気持ちはありがたいけどああいうのは頼まれてもやっちゃダメよ?」
「はーい」
リュウは口を尖らせてトーストをかじった。一口がやたら大きいのはイライラの現れらしく、彼にも怒りの感情があることに少しばかり驚いた。当たり前なのだが。
「そういえばリュウの方は学校は大丈夫なの?」
母さんが湯気の立ち昇る白湯の入ったカップを手で囲みながらリュウに尋ねた。言われてみたら確かにどうなんだろう。それにリュウは満面の笑みで答えた。
「9歳の時に腕ないのでいじめられて以来1回も行ってないです」
「あ……えと、うん」
「ゲボッホッ!?」
いきなり重いこと言わないでほしい。飲み込めないから。2つの意味で。私は喉で停滞したトーストを咳き込んで口にUターンさせてから改めて飲み込んだ。
「それを兄さんにチクったら翌日担任と校長を狙撃して、いじめたヤツらはみんな消されたから別に気にしてないですけどね」
「えぇ……」
そりゃ世界最後の軍事国家と言われてるマチリークにおける総理大臣みたいな人の子をいじめたら報復もされるだろう。自業自得と言うより他ない。
「以来、兄さんや兄さんが雇った家庭教師に勉強を教えられて今に至ります。日本に来たのも兄さんが学校行ってない分行ってる人達にはできない体験をさせてやりたいと言うことだったらしいですが、兄さん死にましたけどね。アハハ」
「…………」
めちゃくちゃ反応に困る。釣られて笑うべきなのか慰めるべきか謝るべきか母さんも私も迷ってたら、朝ドラが始まったのでリュウは席を立ってテレビの前で体育座りをした。
「ところで千明」
私が朝ドラのテーマソングに耳を傾けながら、1時間目の公民の授業について考えていると、母さんがそっと話しかけてきた。
「何かな」
こうして母さんが耳打ちしてきた話でいいことだったのは今まで一度もないので身構えた。
「昨日、真夜中にリュウが私のベッドから抜け出してその直後にアンタの部屋からバタバタ物音がしたんだけど」
「ふ、ふーん。ほんで?」
起きてたのか。いや起こされたのか?
「私も17でアンタ産んだからあまり偉そうなことを言うつもりはないけど、リュウにはまだそういうのは早いと思うの」
普通男であるリュウが私に夜這いに来たと思うのが筋なのに母さんは私がリュウを逆レしたとでも思っているのか。娘を信用していないとはどういう了見なんだ。
「大丈夫、母さんが思ってるようなことは天地がひっくり返ってもしてないしする気はないから」
リュウが引っ付いてる時はしたかったけど今となってはそれよりも何よりも眠いし、リュウのすべすべした柔らかい肌がエロすぎて、それを重ねようものなら尊さのあまり死ぬ予感すらしてきた。
***
「いい? さっきは清香さんにはああ言ったけどこれからは私の部屋でやってね? それとできるだけ筆跡まねて? 私と兄貴の字もっと溶けた餅みたいな字だから」
「うん。いいけどちゃんとうまい棒のたこ焼き味買ってきてね」
玄関前で詩音がリュウの両肩を掴んで切実な顔で舌の根も乾かぬ内に再犯予告していた。詩音も中々腹黒いとこがある。というかうまい棒で買収されてたのか。ギャラが安すぎる。まさかたった1本じゃないだろうな。
「じゃあ本当にお願いね?」
「いいけど僕が教えてあげた方が詩音のためだと思うけどな」
「そんな正論は求めてないので」
「あっはい」
大丈夫かコイツ。もうじき期末考査なのに兄妹揃って爆死するんじゃないだろうか。私は手袋をはめながらリュウの横を通って玄関に腰掛けた。
考えてみたらリュウって私と2歳しか変わらないのに身長が140もない。哀れな。
「あっ千明、今のはオフレコで」
「はいはい」
私がローファーにクリームを塗って磨いていると、リュウが私の耳に口を近づけて、いや近すぎて耳たぶに唇が触れるくらいの距離で耳打ちしてきた。声に混じった吐息が鼓膜に入ってきてぞわぞわした。
「ねぇ千明、今晩も一緒に寝ていいかな?」
「え゛っ」
え? 今晩も? ただでさえ興奮して一睡もできなかったアレを今日もだと?
「も、もちろん」
「やった」
「何? なんの話?」
リュウはそう言って私の頬にキスしてきた。
ダメだ誘惑に逆らえない。というかあの悶々とした苦痛の時間がなぜか思い出せない。むしろ今日こそはリュウを寝かさずにニャンニャンしてやるというやる気が湧いてくる始末だ。
可能ならカミーリアも一緒に……。
よし、今日も一日頑張るか! 私ってすげー単純。




