宣戦布告
外務卿アンドレイ・ジェスタフ死亡から2ヶ月後。
内閣府庁舎の出入り口付近を固めるように400人以上の兵士が隙間無く並んで立っている。自衛官でも警察官でもない。武装組織マチリークの兵隊だ。
もっとも服装は制帽を被り、ボタンが襟まで伸びた抹茶色のブレザーと茶色いワイシャツに、灰色のネクタイを締めた儀礼用のもので、銃も第二次世界大戦の頃から使っていそうな古臭い銃剣付きボルトアクション・ライフルだ。
兵士達はライフルの銃床を掌の上に載せ、肩に立てかけて有事に備えたまま直立不動の態勢を崩さない。
天空へと突きつけて誰かを串刺しにしたくて堪らなそうな幾本もの銃剣は陽の光に照らされて眩い光を放ち、ただでさえ目立つ彼らを一掃際立たせている。
そんなマチリーク兵達に遅れは取らないと言わんばかりに、盾を構えた機動隊が門を挟んで互いに睨み合っている。
あくまで武力誇示で戦闘目的で来たわけではないため、武装自体は機動隊の方が優っているが数ではマチリークの方が倍である。
彼らが内閣府庁舎に集っているのは、ジェスタフの遺骨を受け取るために幹部が日本政府から呼び出され、その護衛を任されたからだ。
***
「アンドレイ・ジェスタフさんの遺骨です。酷い亡骸でしたので、勝手ながら遺体はこちらで火葬させて頂きました」
会議室内で、小さな骨箱に入ったジェスタフの遺骨が椅子に座る3人のマチリークの役人の前に差し出される。
真ん中の30代前半ほどの男性は、ボルトロノ・ジャンセンというジェスタフの後釜で外務卿となった男で、まだまだ若輩者の年齢のこの小太りの男が日本でいう外務大臣の地位に就いているのはどこか不思議である。
日本側から見てその右にはボルトロノよりずっと年上の理知的な雰囲気を放つ大柄の老人が、手の甲を鼻に近づけて何やら匂いを嗅いでいた。
左にはボルトロノの副官の外務部長の男性が出されたコーヒーをブラックのまま不味そうに啜っていた。
ボルトロノは上司のジェスタフが目の前にある小さな箱になって現れ、そして再会したことに少なからず動揺していたようだが、口調は落ち着いていた。
「お気遣いありがとうございます。自殺と伺いましたが、前外務卿は本当に自ら命を絶ったのですか? 私共も彼の身辺調査を死後に行いましたが、理由となり得るものは無く疑問に感じているのです」
「はい。死亡した日、ジェスタフ氏は沢道首相との会食を控えており、迎えの者がホテルに呼びに参ったところバスルームで首を吊っているのを発見したそうです」
「そのホテルではその日、大規模な爆発があったそうですが?」
「たまたま近くのファミリーレストランでガス爆発が起き、近くを走っていたタンクローリーが巻き込まれた他、いくつもの自動車が巻き込まれたものです。このような時に考えられないような事故ですが、司法解剖の結果ではその頃には亡くなっておられたと判明しており、自殺とは無関係です」
マチリークへの説明を任された住吉官房長官は淀みなくスラスラと2代目外務卿の質問に答える。毎日底維持の悪い記者と質疑応答しているので、このような場面は欠伸が出るほど慣れている。
しかし、そんな彼でもさっさと遺骨抱えて兵士を連れてマチリークに帰れよ野蛮人共。そして二度と日本の土を踏みに来るなと内心では思っていた。
しかし、マチリークは最近力を増している。先日、まさかロシア側が日本を無視して樺太をマチリークに譲渡するという事態が起きた時は心底驚愕した。
あそこにはまだ石油を吐き出す油田がある。マチリークは今や国家の承認を受けていない武装グループでありながら軍艦だけでなく油田まで保有している。
いささか大きくなりすぎだ。ロシアは国際社会の批判には我関せずと言った風にまるで相手にしていない。
「申し訳ありませんが自殺された動機はこちらも分かりかねます。もしかすると異国の地で孤独に悩まされた結果なのかもしれませんが、故人についてあれこれと詮索するのは無礼なことですので……」
「それもそうですね」
ボルトロノはコーヒーを太い指でカップを鷲掴みにして飲み、重く頷くと起立して席を立った。
「?」
そして、椅子の背もたれを老人の方へと向けて頭を下げた。老人はそれに応じて立ち上がる。
何だ? 官房長官は閣僚らしく顔に出さずに怪しんだ。よくよく見てみると、この肥えた外務卿よりもこっちの男の方がスーツの生地のランクが上だ。
長い白髪を全て後ろに撫でつけてオールバックにしており、背筋を伸ばした立ち姿は鮮やかで気品漂う。若い頃は相当な美男子だったのだろう。
ジェスタフといいマチリークも幹部クラスはみんなこういう知識エリートが占めているのかと官房長官は感じた。とても洗練された貴族のような男だ。しかし、それが逆に気味が悪かった。
「どうも。お話を聞いた上でいくつか疑問があるので伺いたいのですがよろしいでしょうか?」
「それは……構いませんが。あなたは外務卿の補佐官ですか?」
譲られた席に腰掛けた老人は、肘をテーブルについて指を組んだ姿勢で官房長官を見据える。秘書か補佐官にしては歳を取り過ぎていると思ったが、何かおかしい。外務卿が明らかに彼に敬意を持っている。何より雰囲気が違う。
老人は張り付けたような微笑を浮かべたまま、腕時計で時間を見た。
「私は……アルベルト・ファンディッケンと申します」
アルベルト・ファンディッケン。聞き覚えのある名前だった。その危険性から公安もマチリークの情報はほとんど掴めていないので、幹部連中のリストなどはまだ存在しない。それなのにだ。
いち早く感づいた隣に座るSPが焦った様子で官房長官に耳打ちすると、思わず彼は目を丸くしてアルベルトを二度見した。
「マチリーク軍序列2位文民大臣。アルベルト・ファンディッケン様ですか?」
「左様」
マチリークにおける政治関連の最高責任者だ。ジェスタフですらこの男にとっては単なる手下でしかない。それほどの重鎮中の重鎮。これほどの男がわざわざ遺骨を受け取るためだけに日本に来たのか。
「なるほど……外にいらっしゃる大勢の兵士にも納得がいきます。あなたの警護というわけですね?」
アルベルトは頷くが、それには答えずに骨箱を自分に引き寄せた。
「ふむ……まぁ思ったより丁重に扱って頂けたようで。正直勝手に東京湾やらどこかに散骨されたとばかり」
「まさか」
「いや〜しかしもうマチリークには戻ってこれないとばかり思い込んでいたので。帰って丁重に弔うことにします」
アルベルトがにこやかに箱を撫で回し、官房長官が息を吐く。何やら質問したがっていたようだがこのまま強引に話題を変えてしまおう。
「そうなさってください。つきましては今後の我が国との関係についてお話しをしたいのですが……」
「まぁ帰るのは少し先になりそうですが。まだ息子には日本にいてもらうことになりますね」
「む、息子?」
「ええ。知りませんでしたか」
官房長官が目を瞬かせてアルベルトの顔を凝視する。確かにジェスタフと顔付きが似ているが、そうかだからわざわざ来たのか。部下であると同時にあの男はこの男の息子だったのか。
しかし、それだと不安が募る。彼は本当にジェスタフが自ら死んだことに納得しているのだろうか。
実は彼は何者かに殺されたのだ。誰がやったのかはまだ分からないが、いずれにせよそんなことマチリークでなくても信じない。
外務大臣が訪問先の国で殺されるなど絶対に暗殺を疑う。仮にそうでなくても要人をみすみす殺されるなどマチリークといえど他国から糾弾されるだろう。
もしもアルベルトがジェスタフの死を他殺と睨んでいるならまずいことになる。流石にこの場で自分は殺されないだろうが報復はするだろう。ましてや実の息子となると。
「とりあえず交渉だの議論だのは私、あまり得意じゃないんですよ。やめにしましょう。それに私はそうした目的で来日したのではありません。私はただ……息子の骨を拾いに来ただけです」
アルベルトがそう背もたれに身を委ねて外務部長に目で合図をすると、彼は鞄から一枚のカーボンが挟まれた書面とボールペンを取り出してアルベルトに手渡した。
「ありがとうございます」
彼はそれに何やらすらすらと署名をするとボルトロノにも渡して彼も同じことをしてから再びアルベルトに返した。一体何の告知書だろうと住吉官房長官は訝しんだ。
そして、最後にアルベルトはカーボンを捲るとボールペンの先端をなんてことなさそうに親指に突き刺し、書面に血判を捺すと、官房長官の方に書面を出した。
「住吉長官!」
それと同時に外の渡り廊下から速足で足音が聞こえて、真冬なのに汗だくの血相を変えた職員が、ノックもせずに部屋に入ってくるなりえづきながら叫んだ。
「大変です! 先程青森県竜飛岬の軍事境界線において、マチリーク軍が日本に宣戦布告を……しました!!」
「なッ!?」
官房長官の顔が真っ青になった。
「少しフライングしましたね」
「ええ」
アルベルトが出した書面にはこう書いてあった。
『宣戦布告通知』
2010年1月23日、武装組織マチリーク・アルミア。日本国に対して宣戦布告。




