平凡な校舎で出会った数奇な出会い 2
大声で頭上からいきなり呼びかけられた。
知り合いなので私は取り乱すこともなく顔を上に上げたと同時に、パンパンに膨らんだカバンが降ってきて私の腕を撫でた。
「ひっ」
あと少しズレたら、私の頭に命中していたかもしれないとこだ。私は慄いて後退りしてからもう一度真上を見ると、カバンを投げ落とした窓を全開にして、今度はその持ち主が飛び降りてきて颯爽と着地した。
「ふーいちいち反省文なんか書いてられねーよ。会議で見張りの教師もいねぇし帰るわ。で、お前も何かやらかしたの?」
「違うけど。つーかアンタが足や頭蓋骨折って一生モノのハンデ背負うのは全然構わないけど、カバン投げる時はちゃんと見てから投げてくんない危ない」
「わーったようっせぇな。ただでさえピアスの穴開けたくらいで説教されてイライラしてんだから嫌味言うな。つーかお前の後ろにいる子誰?」
犬橋冷穏。詩音の双子の兄。さっき詩音が男子から好かれてる割に告白されたという話を聞いたことがないと言ったけど、それはバックにいるコイツが原因だ。
詩音が私の幼馴染だから当然彼も幼馴染ということになるが、そうでなければあまり関わりたい部類の人間ではない。第一に彼はその評判の悪さで中学の頃から有名だった。
「院」に行ったことこそないけど、夏祭りで喧嘩した他校のアホに報復するためにその学校に乗り込もうとしたり、ブチギレて生活指導教師を椅子で殴ったという極上のアホだ。
この手の不良はいつキレるか分からないという威圧感から、まるで知らない来客に今にも吠えようと睨みつける番犬みたいな雰囲気を纏っているけど、冷穏もそれと同じようなオーラを放っている。
それでいてやたら詩音には甘く、彼女の前では王子様を気取っている。いくら詩音と付き合えても、こんないらん付属品のチンピラとまで関わりたがる物好きはいないだろう。
金髪に染めた髪が伸びてプリンみたいな頭になっているが、背は高いしルックスも悪くないので中学時代はモテていた印象がある。
でも、大人になるまで道を蝶に例えたらさなぎの過程にある高校生には流石に現実が見え始め、問題を多く起こす冷穏とつるむ者は少ない。
「アンタには関係ないよ冷穏、私急いでるからまたね」
もちろん私も例外でなく、冷穏と私が幼馴染だと知っている生徒は詩音以外にはいない。私は推薦で黄山学院大学行きたいんだから、尚更教師には知られたくない。
コイツも不良やるのはいいけど、ただでさえこのこの高校生徒数少ないのに虚しくならないんだろうか。
私は後ろに手をやって子どもの肩かどこかを叩き、とっとと敷地から出ようと冷穏の横を通り過ぎたら、彼に腕を掴まれた。
「関係ないって言われたら余計気になるじゃんかよ。迷子……とかにも見えないな。きったねー身なりしてるな。服とかポロリしてねぇーのが奇跡なくらいボロボロだ。警察に連れてくのか?」
「とりあえず家で風呂に入れてごはん食べさせてからそういうのは考えるわ」
「そっかーじゃあ俺がコイツ風呂入れといてやるから、お前が料理作るなり買うなりしなよ」
「何サラッと家上がろうとしてんの。いつも上がってるからっていつでも入れるわけじゃないから」
コイツ今日は随分としつこいな。私に手を出せば詩音にどう思われるかは冷穏が一番よく分かってるだろうから別に怖くはない。
単純にコイツを誰もいない時の我が家に入れたくないのだ。いくら昔は一緒の布団で寝たこともあるとはいえ、嫌なものは嫌だ。
「おいガキ! 汚い手で俺のカバンに触んじゃねぇ!」
「……あ?」
すると、冷穏が私から顔を背けたと思った瞬間、私の耳元で大声であの子を怒鳴りつけた。
あの子が冷穏のカバンを取ろうとしてあげたのに、コイツはそれが気に入らなかったらしい。
窓から地面に放り投げた時点で充分汚れてそうだけど、そこはいいんだろうか。何にせよコイツとは一緒にいて少しも愉快じゃない。
「ちょっと!」
私が怒って冷穏から無理矢理手を振り解こうとした瞬間のことだ。
冷穏のカバンが持ち主の脇腹に飛んできた。それも砲弾みたいにとてつもない速さで。
「ぎ……いっ……」
中にロクでもないのが色々詰まってるらしく、脇腹にモロに重たいタックルを食らった冷穏はよろけてすっ転び、真後ろの植木鉢に足をひっかけ、そのまま後頭部を校舎の支柱に打ちつけて気絶してしまった。
カバンの方は駐車場の辺りまで行ってしまっていた。何が何だか分からない。私が目を丸くして子どもの方を見ると、いつのまにか私の近くにいた。
この貧弱なゴボウみたいな手では牛乳瓶ですら1メートルも投げられないと思うけど、一体冷穏に何をしたんだろう?
「じ、じゃあ行こうか」
何にせよ、面倒なのが伸びてくれたから助かった。
見つかっても飛び降りに失敗したようにしか見えないだろうけど、一応流血してないか確認してから、私はこの場を後にした。
そして私はこの時、この子に憐れみと同時に興味が湧いてきた。一体どんなことがあって防災食の乾パンを盗み食いなんかしたんだろう。興味は尽きない。
***
「ここ」
「……」
家は徒歩で15分くらいの場所にある。自慢じゃないけどそこそこ大きい家だ。
私は庭の方に回ると、犬小屋で寝ているチベタン・マスティフの『らいおん』を見つめた。文字通りライオンのたてがみみたいに毛深いから『らいおん』。
昔は背中に乗って遊んでたけど、その気になれば今でもできるくらい大きい。そのため穏やかな性格だけど他人にはかなり怖く見えるらしい。
そんでもって、コイツが寝てるということは母さんはジムに行ってるようだ。家にいたら構ってほしくて窓際で丸まっている。
私はドアを開けると、玄関にカバンを置いて靴を脱いだ。それに合わせてこの子の足を見てみたら、裸足だっだ。
どうしよう。絶対床が汚れる。この子というと、廊下の先の方をじっと見つめている。
「ちょっとこれ履いてもらえる?」
私は靴箱から健康サンダルを取り出すと、これを履いて脱衣所まで行ってもらおうとした。
「これ踏んだら足がズタズタにならないのか?」
「そんな拷問道具はウチにはないなぁ」
足つぼを刺激する表面の無数の突起を警戒したらしい。この子ドリアンとか見せたら失神しそうだな。やってみたいところだ。
その子はしばらくサンダルを見つめていたが、やがて恐る恐る履いてみた。入れた瞬間に彼の首筋に鳥肌が立ったので、痛いし相当嫌だというのが見て取れる。かわいそうなので早く脱がせてあげよう。
「ここが脱衣所、じゃあ服脱いでもらってもいい? というか私の昔の服貸すから君のボロボロの服捨てていい?」
「……好きにしろ」
そうぶっきらぼうに言って、この子は私の目の前で服を脱ぎ始めた。見た感じ8歳くらいだろうからまだ羞恥心とかはないのだろうけど、私の方は少し目のやり場に困った。
しかしひどい。よくここまで二足で歩けたなと思うくらい痩せぎすだ。何となく絵本の『醜いアヒルの子』を思い出した。
そして、問題が1つ。
「君、シャワーとか使えないよね?」
「何だそれ。薬品か?」
やっぱり。だって普通に生きてる私ですら、このくらいの時はまだ一人で風呂に入れなかったんだから、こんな浮浪児の子が知ってるわけないもん。
やっぱり私も入るしかないか。いや、風呂入れると自分から言っといて連れてきたら後は放任なんてのはダメに決まってるか。
「ちょっと待ってて」
私はこの子が脱いだボロ布を掴んで脱衣所から出ると、ゴミ袋にそれをブチ込んで箪笥を開けて、私の替えの下着とパジャマを取り出した。
そして、一番下の引き出しを開けると、私が小学生の頃に着てたアニメキャラがプリントされたパジャマを引っ掴んだ。
男の子用のパンツを道中のコンビ二で買うべきだったが、すっかり忘れていた。仕方ないからここは我慢してもらおう。
私がついでに制服のブレザーをハンガーにかけてから2分足らずで戻ってくると、この子は歯磨き粉を食べる寸前だった。食い意地強すぎない?
私は多少の抵抗を覚えながら、スカートと靴下を脱ぎ、シャツの襟元のリボンを外してからボタンを外して下着姿になると、妙な冷や汗をかいたけど、それらも外して全裸になった。
一方この子は、私には目もくれずに父さんのカミソリを握り締めていたので安心した。
同年代の女子に比べて胸が大きいから学校ではたまに視線が気になるけど、この子なら心配なさそうだ。
「じゃあ入ろうか」
そう言って、私はこの子から先に浴室に入るように促した。これでやっとこの悪臭からも解放されそうだ。おっと換気扇をつけとかないと。
すると、この子はバスタブの上にある小窓を背伸びして開けようした。
「ダイジョブだよ。換気扇つけてるから……あ」
違う、さてはこの子まーだ警戒してるな。何かあったらそこから逃げる気か。
そうか、今さっきカミソリ掴んでたのも、万一の事態に備えて……。何かやたら今日の私は勘が鋭いのは何故だろう。
どうしよう。窓は小さいし家は塀で囲われてるから覗かれることはないだろうけど、素っ裸の状態で外と繋がっているというのはやはり恥ずかしい。
何より死ぬほど寒い、今2月だし。しかし、今はこの子を刺激しない方がいいか。私は自分で小窓を開けた。意外そうな目でこの子は私の顔を見た。
そうして、私はこの子を座らせるとシャワーのお湯を出して頭にかけた。するとたちまち背中を伝って排水溝に向かう湯水は濁った灰色となり、髪に絡まった蛾の死骸まで落ちてきた。
「これはちょっと重労働になるかな」
私が髪に手を入れて泥とかゴミを落とし、固まった髪が柔らかくなってちゃんとシャンプーができるようになるまでに、たっぷり5分はかかった。
何とかシャンプーを済ませて次は身体を洗おうとした時に、私はこの子の細い身体にあるあるものに気づいた。
この子、腕に入れ墨がある。相当前に入れられたのか入れたのか、大分色褪せて痣のようになってるけど、辛うじて数字で6というのは読めた。まるで識別番号のよう。
私はこの子が虐待から逃亡してきたのかと思ってたけど、もしかしたらこの子はもっと闇が深い場所から来たのかもしれない。
不謹慎かもだけど、なおさら彼の正体に興味が湧いてきた。
私はそんなことを思いながら、この子の身体に泡塗れのタオルを擦りつけていた。少しは抵抗されるだろうと覚悟していたけど、一度浴室に入れればらいおんに比べたら遥かに楽だった。
アイツデカすぎて私がバスタブに入らないと洗えないし、抜け毛の掃除も大変なのだ。何より洗ってる最中、私にいじめられてるみたいな悲痛な声で鳴き出すし。
私は自分のことは後回しにして、母さんの高いボディソープで入念にこの子を洗ってあげた。さっきからこの子一言も喋らないけど、どうしたんだろう。流石に恥ずかしいんだろうか。
そんなことを肌寒い中で考えていたら、いつのまにか身体も洗い終えていた。視線を下にすると、見違えたように綺麗になった子が鏡に映った自分を見ていた。
私もこの子がどんな顔をしているのか見たかったので、屈んで鏡を覗き込んだ。
「もしかして君、外国人?」
改めてこの子の顔を見てみると、この子は銀貨のように鮮やかな銀色の目を持っていた。それに肌も白いし鼻も高い。痩せこけているけど美少年と言っていい。
逆に考えれば、人種の判別もつかないくらい汚かったのか。
そんな子を身綺麗にさせた自分が何だか誇らしくなってきた。私は気づかずこの子の背中に胸を押し付けてしまうくらい密着していた。
「どこの国から来たのか言える?」
「……それは……」
その子は鏡の中の私の顔を一瞥してから俯いてしまった。どうも言いにくいらしい。
アメリカとかイギリスの子? いや、外国人の割に日本語が上手に話せるということはひょっとしてまさか。
「もしかして君、マチリークから来たの?」
「……!」
その瞬間、窓から差す光でつやつやと輝くこの子の肌にぽつぽつと鳥肌が浮いたかと思えば全身がぶるっと震えた。この子に触れているから、それは我が身のように感じられた。
すると、後ろのドアが開き、いつのまにか帰ってきていた私の母さんが不思議そうにひょいと顔を出した。
「あっ」
「開けてごめん千明、アンタ誰と一緒にお風呂入ってん……え、誰その子!?」
「あ……道で拾った」
「拾われた」