明け方の夢 9
「くたばれェェェッ!」
流琴はグリップでジェスタフの首筋を狙うも彼にはあっさりと躱される。だが、腕と同時に身体も回し、彼が背後に足をやった瞬間に蹴りを繰り出した。
「がっ……」
額にこれをモロに食らったジェスタフが声を漏らす。
が、すぐに目玉を流琴に定めて足首を掴むと、そのまま彼を自分に引き寄せ鼻を肘で折ろうとした。それを流琴はトンファーでガードすると、逆に彼の鳩尾に一撃叩き込んだ。
「クッソ……こういう狭ェところはやはり苦手だ」
ジェスタフは赤い唾を吐いて踵を返し、奥のレストランまで駆け出した。
当然逃がすわけもなく流琴は彼を追う。背中を撃ってやろうと思っているが、防弾チョッキを着ている彼に22口径弾はいたずらにもならない。射撃にもそれほど自信もない。
暗い廊下を抜けると少し開けた先に下のレストランに続く螺旋階段があったが、普段は使わないのか鎖で塞がれている。
パーティなど宴会場も兼ねているレストランは広く、確かにジェスタフからしたら有利そうな場所だった。
そこには行かせないと流琴は背後から彼に殴りかかるが、背後を見ていたジェスタフによって胸に蹴りを入れられて激しく噎せ込んだ。その咳も血生臭くて吐き気を覚えた。
「フフフ……俺もやはり公務員なんだな。戦いでなく政治で国を変えようとしたが、やはり殺し合いというのは高揚せざるを得ない」
「うるさい病気野郎が」
そう吐き捨て、流琴とジェスタフは迫り合う。しかし、ジェスタフは積極的に攻めてこない反面守りが固く、一発見舞うこともままならない。
「息が上がってきてるな。振りが大袈裟すぎるせいだ」
ジェスタフはそう呟き、受け止めた後のトンファーを掴んで流琴からもぎ取ると、下層のレストランフロアに向けて放り投げた。
「ほーれ取ってこーい」
彼はこの戦いは遊びと言わんばかりに、丸腰の流琴を料理するより彼が抵抗する様子を明らかに楽しんでいた。
彼もまたそれは分かっていたが、腹立たしくも武器なしでは戦えないので、助走をつけて柵に飛び乗ると、落ちる前にトンファーを掴み取ろうと跳躍した。
「そう簡単に取らせるわけないだろうがボケ!」
「うるさいどけッ!」
しかし、彼を追ってジェスタフも柵から飛び降りると、死神のように柳葉刀を彼の首目掛けて振り被った。流琴はそれを腕時計で防ぐと、彼の顔面を殴りつけて追い払った。
「ハッハハ……全く効かんな」
ジェスタフはテーブルに叩きつけられるが、屁でもないような顔で即座に起き上がると、椅子を投げつけて彼を怯ませ、その僅かな隙を突いて腹に二段蹴りを押し込むと、ダメ押しに口に柄を突っ込み、梃子のようにして流琴の八重歯をへし折った。
「グァァァッ!!」
コイツ、かなり武芸に精通している。剣術みたいな戦場でほぼ使わない技術をここまで鍛えているヤツが公務員にいるとは思わなかった。
さっきから刃を刃引きされた峰の方で打っているのに圧倒されているし、さっきの男ほどではないが、だいたいの攻撃はむしろ当たりに行っている。
徹底的に俺を嬲る気だ。気持ちが折れた頃合いできっとまた勧誘するに違いない。
「前線への派兵経験があるのは本当らしいな……」
「随分歪められた情報だな。俺は現役の陸軍将校だ」
***
『ダメだなコイツも……また死んだ。おい、すまんが処分しておけ』
『ファック……実験の苦痛に耐え切れずに首吊りか。苦労して素体を調達するこっちの身にもなってほしいぜ』
『あなたは特別なんだね……私はもう無理、目も見えないし死にたくて仕方ない』
『お前が気になってたあの女の子は移送中に舌を嚙み切ったぞ。どうせ死ぬなら役立って死ぬという発想はなかったようだな』
『麻酔は使わなくていい。どうせコイツは並大抵のことでは死なない。ショック死もしない』
『諸々の経費は補償する。経理部から通達が届き次第この子以外のこの施設にいる子どもはみんな薬殺しなさい。いや、一瞬の苦しみもないよう銃殺がいいかな』
『かしこまりました外務卿。重機関銃がありますので速やかに』
『君達、解放だよ。庭を通ってお外に出ようか』
『痛い!! 助けて!』
『糾弾不良です中尉』
『クソ。二流品よこしやがって……君、手榴弾持ってるか。投げ込め』
何だこれ……。ああ。俺がぶっ壊した研究所での記憶か……。そうか、あの男どこで見たのかイマイチ覚えてなかったが、ここで会ってたのか……。ふざけやがって……。命を何だと思ってやがる……。
みんなどこに行ったんだ? いや……そもそも、俺は誰なんだ……? 何でこんな目に遭わなくちゃならなかったんだっけ? クソ、何も、分からない……。
すると、一筋の光が見えて、カミーリアは目をぼんやりと開けた。
「う……」
どうやら誰かに背負われて自分は崖を登っている。また死ねなかったか……誰が? どうして崖なんか。
「あ、起きた? 今ちょっとアスレチックの真っ最中だから……動かないでね」
「チアキ?」
周囲を見回すと下は深い穴で泥水が迫っている。千明はそれから逃れるためにダッフルコートでカミーリアを背中に巻きつけ、一歩一歩踏みしめて穴をよじ登っていた。
それは、蟻地獄から逃げようともがく蟻そのものだった。
普通に登ってはすぐにずり落ちてしまうので、所々に点在する埋まった瓦礫を掴んで登っているのだが、中には鋭利なものもあり、それらに触れてしまう度に千明の手は血だらけになって爪も剝がれていた。
「ああもう……カミーリア? 次はもっと気持ち弱めでやってね……ぬおおッ!?」
彼女がかなり身体を張っているのはよく分かったが、いかんせん遅くて水に飲まれそうだったので、痺れを切らしたカミーリアは少しだけ手元の地表に向けて空気を発射し、共に宙を舞って穴の外に出た。
「ああ……うがいしたい……この自販機倒れてるけど使えるかな……」
千明はカミーリアを解いて懐中電灯を付けると、横転した自販機を発見し、近寄って硬貨を入れて緑茶のボタンを連打したが出てこないので、苛ついて力任せに蹴ったらフレームごと外れて中身が全部転がってきた。
「やったーラッキーほらカミーリア、甘いの」
千明はスポーツドリンクのペットボトルを拾って開けてカミーリアに渡すと、自分も緑茶を口をゆすいで一回吐き出してから、喉を鳴らしてごくごくと飲んだ。
カミーリアも半透明な液体に舌を付けてから一本丸ごと空けてしまった。
「あーうまい!! しっかしひどい有様だね!! これ修理するお金は誰が出すんだろ。やっぱ税金? ってカミーリアどこ行くの? 私と一緒にいようよ」
満身創痍でありながら、カミーリアは立ち上がって身体の埃を叩いてホテルを見上げた。
「まさか父さんの加勢に行く気? さっきあんなに血を吐いたのに今度こそ死んじゃうよ」
「もうほとんど回復した。さっきのはもうできないが、今みたいな弱い出力のならできる。お前だってアイツにのうのうと生きていてほしくないだろ。だって一度は殺そうとしてた」
「え? いや報いは受けてほしいけど……」
「お前は人なんか殺しちゃダメだ。苦しむことになるだけでいいことなんか何もない」
そう呟くと、再び身体からそよ風が吹き上がってきた。その風速は徐々に上がっていき、自販機から零れたアルミ缶が不規則に彼の周りを転がり始める。
千明が尋ねる。
「そうなるって分かってるのに、カミーリアは人を殺しにいくの?」
「仕方ない。結局のところ俺はそういう目的のために生まれてきたからな。お前一人助けるだけでこの様だ」
そう言って、カミーリアは惨憺たる周囲を見回した。千明の方はあまり深く目を凝らすと死体を見つけてしまいそうで怖かった。それでも勇気を振り絞ってカミーリアを抱き止める。
「わ、私も行くよ」
「え?」
「カミーリアにだけ手を汚させるのも心苦しいでしょ。なら私も一緒に行く」
「……意外だ。もっと争いは何も生まないと月並みなことを言って引き留めるかとばかり」
カミーリアの身体は風で冷やされているからか、氷のように冷たかった。
「そりゃできるならそうしたいけど、それだとカミーリアのこれまでの人生を否定することになるんじゃないかと思って。私はカミーリアがどんな経験をしてきたのか分からないけど、カミーリアだけ苦しませたくないかも……って」
千明は自分でもこっぱずかしいと思うようなことを言ったから羞恥心で顔が熱くなるのを感じた。
カミーリアを今まで手元に置いておきたいと思っていたのは、優越感や自己満足からで、彼の心に目を向けなかった自分の在り方の傲慢さに気づいたからというのある。だからこそ、千明自身が変わるためにもカミーリアが必要だと感じた。
自分は普段は本音を隠して生きているけど、それでも今だけは本当のことを言わなくちゃダメだと思って、言葉を続けた。
「私は君と一緒に暮らしたい。だから、君と同じ苦しみを分かち合いたい。正直バカップルが同じところにリスカするみたいで普段なら嫌なんだけど、私はカミーリアに必要とされたいし、私と一緒にいて居心地がいいと思える人間になりたい。それに……」
他にも何か言おうとしたが、頭上から銃声が聞こえたので話すのをやめた。
「引き留めるだけ時間の無駄だ。わかった、でも間違っても俺の手助けなんかするなよ。お前はただ黙って見てろ。できるだけ見つからないようにしろ」
「う、うん」
そう釘を刺すと、カミーリアは千明の身体にしがみつき、掌を地面に向けた。
「カミーリア」
「ん?」
「普通にエレベーターか階段で行こう。多分それであそこまで行ったら今度こそ漏らすから。私」




