明け方の夢 7
ジェスタフは数歩分跳んで後ろに下がると、上下に刀を回して査定するような眼差しで流琴を見つめた。
「全くどいつもコイツも……おいミハイル! ミハイル!? お前一体何やってる!?」
それが10秒ほど続いてから目を離すと、チョッキの肩につけた無線機を取り、ミハイルを呼び出して彼の応答を待たずに怒鳴りつけた。
「ミハイルってコイツのことか?」
「は?」
流琴はポケットから折れた警棒の一部を取り出し、ジェスタフの足元に放り投げた。それを見た瞬間、ジェスタフの顔が青くなった。
「お前……倒したのか? あのウチの暴力装置を……?」
そして、信じられないものを見るような顔つきで彼は流琴を睨むが、すぐに平静を取り戻したのか前髪をかき上げて一服し始めた。
「まぁいい。戦いの中で死ねたならアイツも本望だろう」
「ああ、次はお前だ」
ジェスタフがほくそ笑む。
「調子に乗るなよ。というか何だお前いい年して髪の毛そんなチャラチャラ染めやがって、お前みたいなビジュアルの奴、NTRの竿役で死ぬほど見たわ」
「あ? そんなロクでもないもん死ぬほど読んでじゃねーもっと脳に優しい漫画読め。お前こそそのキモい模様の柳葉刀かっこいいと思ってんの?」
「あ? 魔除けって知ってる? こういう曰くつきみたいなものを持ち歩くことで雑多な災いを跳ね除けてんだよ」
互いに口撃しあうジェスタフと流琴だが、片方が黙るともう片方も黙った。両方不毛と思ったようだ。
「お前、マチリーク人かと思ったが違うな。どこの国の鉄砲玉だ」
「……ロシアだ」
「ふーん、何だっけ。KGBってのか?」
「ああ……」
勘違いしているならそれはそれで構わないと適当な出まかせを言ってみた流琴だが、次の瞬間ジェスタフは頬を膨らませて破顔した、
「ウッフフフフフフ……!! ハハハハハハハハ!!!」
「何が面白い」
「馬鹿だなお前は。いいか? 俺達マチリーク人は日本語を話す。これは日本語が公用語だからだ。そんで、お前がロシア人ならその流暢な日本語は後から覚えたということになる。おっとハーフとか在日なんてのは無しだぞ。そういうのが秘密警察になんてなれるはずないからな」
「……で?」
「第二言語というのはどんなに勉強しても必ず母国語の訛りが出る。これは掌紋や歯型みたいに絶対に直せない。俺の英語もそうだ。実際ロンドンに留学に行った時はこれでムカつく目にも散々あった。お前、マチリーク人だな」
ジェスタフは会って2分ほどで流琴の正体を看破した。言い訳もせずに流琴は鼻を鳴らした。
「……やはり鋭いな」
「どうも、何ならお前がなんで日本なんかにいるのかも大体察しがつく」
ジェスタフは紫煙を吐きながら煙草の火で彼を指差す。いや、彼というより彼の服装を差していた。
「そのシャツの裾を出して、第一ボタンと一番下のボタンを外す着こなし方。見覚えがあるぞ。お前反戦団体の『赤の蝋燭』のメンバーだな?」
「……」
「図星か。8年くらい前に民をかどわかして公務員へのネガティブキャンペーンやら反戦運動をけしかけたクズ共だ。本来ならムショにぶち込むところだが、生かす価値もないから主だったメンバーは極秘裏に銃殺されたと聞いた……生き残りがいたとはな」
流琴が静かに反論する。
「クズだと? アイツらはお前ら公務員に親や親友を殺された連中だ。それも犯罪を犯したから殺されたんじゃない。強盗に人質にされたのに巻き添えで殺されたりした純然たる被害者だ。クズはそんな彼らに謝罪も補償もしないお前らだろうが」
ジェスタフは流琴のシャツに吸い殻を投げつける。
「だから何だ? ぼく達は被害者だからぼく達のやることには目を瞑れと? 園児の理屈で話にならんな。浅学菲才の人間はこれだから困る。害獣は幾ら殺そうが動物虐待にはならんというのを知らないのか」
「……あ?」
流琴の髪が逆立つ。頭に血が上っていくのが手に取るように実感できた。挑発されているのは分かっているが、ここで涼しい顔でやり過ごすのは耐えられないことだった。
「おっと危ない」
ジェスタフがカウンター上の酒の水たまりの舌なめずりをした時、いつのまにか背後に回った千明が彼にまた催涙スプレーをかけようとした。
ジェスタフはそれに勘付くや否や刃とは反対の先っぽに埋め込まれた鉄球で彼女の腹を突き、赤子のように制した。
「うぐっ……」
「君邪魔だ。今すごくいいとこなんだから」
そう言ってリボルバーを抜くと、千明の白い頬に銃身を触れさせ引き金を引く。赤い発砲光と共に千明の髪がぶわっと吹き上がると、彼女の身体は感電したように震えて真横に倒れ込んだ。
「千明!」
「安心しろ。ただ音で気絶させただけだ」
その言葉には嘘はなく、千明は白目は剥いて倒れていたものの、少しの火傷こそあれ顔から血は流れていなかった。
「今名前言ったな。仲間なのか。お前のカキタレ?」
ジェスタフは弾を今ので撃ち切ったらしく、新たに装填しながら彼に尋ねた。
「違う……娘だ」
「へぇ、家庭まで持っているのか。世渡りがうまくて羨ましいな。今この子を撃ち殺さなかったのは俺の情けだ。そんでお前、家族とマチリークに戻って俺の部下になる気はないか?」
ジェスタフは額の汗を拭いながら右手に柳葉刀、左手にリボルバーを持った姿で両腕を広げて満面の笑みを浮かべた。
「何だと?」
「決して悪い話ではない。ミハイルほどの男を殺した奴なら素晴らしい働きが期待できる。第一にお前の国籍は日本でなくマチリークだ。
こんな状況で、もしお前のことが世間に知れたらチアキの人生は狂うことになると思わないか? それは避けたいだろ? これは取引でも脅しでもない。母国の責任としての人道的措置だ」
ジェスタフはチアガールのように刀を振り回すと、自らも身体を回して流琴の心を揺さぶる。
「外務部は今は新興の部署だが、今後日本や諸外国と交流を深めていけば必然的に規模の拡大も求められる。お前のような日本通で腕の立つ男は貴重だ。俺の右腕になれば一生左団扇で暮らせるぞ」
「断る」
流琴は即答で拒否した。ジェスタフの眉が動く。これまたほとんど反応を見せないので、これに関しても返事は予想していたのだろう。
「一応聞くけど理由は?」
「さっきの話を聞いてなかったのか? 俺はお前公務員が大嫌いなんだよ。何よりこっちの暮らしの方が遥かに気に入ってるんでね。ローマ皇帝アントニヌスの言葉にこんなのがある。幸福はその人が真の仕事をするところに存在するってな。幾ら金を積まれても人殺しの片棒を担ぐ気はない」
「さっきミハイルを殺したくせによく言う。まぁ好きにしろ。だが、誰かの格言や諺に代弁してもらわにゃならん意思などたかが知れている。あとで後悔しても遅いぞ。こっちも格言で言うなら、世界で最も哀れな人とは、目は見えてもビジョンのない人ってヤツだ」
ジェスタフはそう言うと、リボルバーをホルスターに戻して両手で刀を握り締めて深呼吸すると、剣道に見られる構えの姿勢を取った。
すると、今まで軽薄な雰囲気を纏っていた彼の周りの空気が硬派なものに一変し、辺りはまるで何もかもが死んだように思えるほど静かに感じられた。
「だが、その肩の傷で俺に勝てるかな? もっとも俺は俺で右手の拳が今かなり痛いのだがね」
流琴もトンファーを手首と肘で構える。だが、それを待たずにジェスタフは彼に斬りかかった。
「うおっと」
「な!?」
流琴がそれを腕で受け止めようとした時、2人は一斉にそれらの行動を中断し、脊髄反射で背後に飛び退けた。
同時に本来なら2人が切り結んでいた空間を強烈な突風が横切り、幾つもソファを薙ぎ倒していくと、先を争うようにそれらは窓に追突し、大きな亀裂を作った。
「お前ら俺のことは無視かよ」
「カミーリア?」
2人がバーのカウンターに視線を向けると、いつの間にか拘束具を脱いでいたカミーリアが上によじ登って掌をジェスタフに向けていた。
その手は所々がパックリ切れて血が滲んでいて、他によく見ると足や腕も細かい切り傷が幾つもできていた。
「なるほど、空気圧でベルトをいっぺんに断ち切ったわけか。ケプラー繊維すらものともしないとは恐れ入ったな」
「そこを動くな……次は外さない」
「……これ割と俺の人生で最大のピンチだな」
この男は役人らしく感情を人前では表に出さない。彼はそう言いながら頭を振って前髪を掻き分けると、足元で伸びている千明に目を向けた。
「お前ちょっと外行ってろ。あとでたっぷり相手してやる」
そう吐き捨てると、ジェスタフは銃を抜いてすでに亀裂がある窓の箇所に4発ほど弾を撃ち込み、拳大の穴を開けた。
「漢見せてこい」
そう言うと、千明の胸倉を掴んで彼女を窓に向かって片手で躊躇いもなく放り投げた。
穴自体は小さいものだったがすでに亀裂は広範囲に渡っており、彼女がぶつかった衝撃で音を立てて簡単に割れてしまった。
「チアキ!!」
そのまま彼女は、宝石のように煌めくガラスの破片と共に、12階から階下へと落下していった。まるで蝋の翼で太陽に迫り、なすすべなく墜落したギリシャ神話のイカロスのように。




