明け方の夢 6
「うう……いったぁ……カミーリアぁぁ治してぇぇ~」
エレベーターに乗り込んだ後、私は袖をめくって血が流れ出す腕をカミーリアの前に突き出した。
前に本当に生死に関わる負傷は痛みより恍惚感を感じるとか聞いたことがあるから、ただ痛いだけのはマシな方なんだろうけど。痛い以外今何も考えられない。リストカットする人はこんな気分なのか。
「う……」
カミーリアは血の臭いに嫌そうな顔はしたけど一応尖った舌を出して傷口を舐めてくれた。
前は混乱して何が何だかわからなかったけど、何されてるか分かってからだとこの柔らかくもザラザラした生温かい感触が癖になりそう。痛みもだんだん引いてきた。
頭も回るようにはなったけど何だこのエレベーターのドア、行きと同じもののはずだけど扉が妙にぐにゅっと歪んでいる。何かあったんだろうか。
「とりあえず下に降りよう。下に降りたらまずカミーリアの服脱がしてあげるから」
この子に舐めてもらいながらカミーリアが着せられた拘束具のベルトを一個ずつ緩めているけど、ふざけているのかと思うくらいベルトが幾つもあってキリがない。
道理で重いわけで、拘束具の繊維の部分をベルトが隈なく覆ってる感じで二の腕だけで12個もベルトが巻き付いている。
「チアキ、お前逃げられると思うか?」
「何? また外務卿に自分を引き渡して逃げろって言う気?」
「いいや」
カミーリアは首を横に振った。
「お前はあの男をコケにした。一度メンツを潰された以上、例え俺を差し出して靴を舐めて赦しを乞うてもお前は殺される。許すこと自体が許されない。公務員とはそういう生き物だ」
「じ、じゃあどうすれば」
「何言ってんだ簡単だろこっちからアイツを殺す。そうするために早くこれを脱がしてくれ」
カミーリアは、私に何でそんなことも思いつかないんだというような口振りで言ってきた。
そうか……さっきジェスタフがカミーリアのことを生体兵器と言っていたし、きっと強要されてカミーリアも何人も……。
「うっ!?」
私が唾を飲み込んだ瞬間、エレベーターが大きく振動して右へと傾いた。証明が点滅して外のガラスと機体が擦れ合い、金切声のような音と共に激しく火花が散るのが見えた。
「な、地震?」
いや、こんな都合悪く地震は起きない。ジェスタフが何かしてきたに違いない。
私が手すりを掴んでエレベーターを停めようとすると、真上の方で外から何かが当たってエレベーターの金属板に弾かれる音が3回立て続けに聞こえた。
「ま、まさか……銃でワイヤーロープを切断しようとしてる……?」
気づくと、私はいつのまにか12階のボタンを押して、ドアが完全に空くよりも早くカミーリアを抱えてエレベーターから飛び出していた。まだ治りきっていない腕が床と擦れて熱い痛みが血液と一緒に染み出てくる。
「うぐ……確かに君が言った通り、絶対に私のタマは殺るって意志を感じる」
「だろ?」
エレベーターが止まったからか上のあの人も発砲をやめたようだ、そもそも射撃で切り落とせるほどこれはヤワな作りではないと思うけれど、ただ私を足止めしたかっただけか。
それと併せて左のエレベーターが上に登っていくのが横の液晶に表示された。間違いない。私が12階にいるのが分かったから追ってくる気だ。
1分と経たずにジェスタフはここに来るだろう。どこかに隠れなきゃいけないけど部屋に籠るのは逃げ道がなくなってしまう。逃げるのと隠れるのが両方並行してできそうな場所はどっかにないのか。
「あ……」
私が視線を右往左往させていると、壁に固定されたこってり装飾が施してある立派な青銅のパネルに目が行った。この階、バーラウンジがあるのか。ここなら従業員用の通路とかがあるかもしれない。
「行くよ」
私はカミーリアを持ち上げると、クソ遅いようでこれでも必死の重たい足取りでバーへと向かった。
***
バーラウンジは当然客は誰もいないしバーテンダーもいない。ドラマで出てくるような色んな種類の酒瓶が並んだ棚と椅子を挟む、磨き上げられた細長いカウンターテーブルが美しい。
けど、それ以外にも後方には革張りのソファや大理石のテーブルが幾つか置いてあり、面積も思ったよりずっと広い。酒以外に軽食も提供しているんだろうか。
私はしっかり入口の鍵をかけてから中に入った。ここを突っ切るとレストランにも繋がってるようだ。
明かりを点けたらここに逃げたことがバレるからできないけど、カウンターの反対側はガラス張りで、幾千万もの電球からなる夜景の光が差し込むので、結構明るい。
床は光沢のある黒曜石だけど、そこの中心を通るように一列だけ花崗岩が使われており、ガラス越しに水がちろちろ流れているのが見える。
黒曜石の白い斑点がまるで星のように見えるので、きっと天の川をイメージしてるんだなと思った。酒も高級だからこそ私でも知ってるような有名どころから、そこらのコンビニでも置いてあるのまで色々ある。
「チアキ」
カミーリアが小声で囁く。私が我に返ると外の廊下から革靴のコツコツという足音が聞こえた。もう追ってきたのか。
「逃げるよりアイツを始末する方が先だ。早くこれを脱がしてくれ」
「う、うん。わかった」
私はカウンターの裏に隠れてカミーリアの拘束具を緩めることに専念することにした。
さっそく一つ目に取り掛かろうとした矢先。
「ひっ」
乾いた銃声がしたかと思えば真上の棚に何かが飛んできて、ごとっと私の足元に落ちてきた。
弾が当たってひしゃげてるけど、紛れもなく扉を施錠するサムターンだ。かなり強引なピッキングだ。
「血が垂れてるし床のカーペットにくっきりと足跡が残っていた。ここにいるのは分かってるぞ」
扉を開けて開口一番ジェスタフは扉の前でそう言った。そんなもん手の打ちようがないのにどうしろと。
この薄いカウンターを挟んだ先にジェスタフがいる。銃を持っていて、私を殺そうとしている男だ。私は必死でカミーリアのベルトを外していくけど、指が震えて力も入らなくてうまく行かない。吐き気までしてきた。
「出てくるなら今の内だ。今なら家に帰れるぞ。俺に痛めつけられて帰宅するか俺に痛めつけられてから殺されるか選べ」
さっきとはまるで違う怒気に塗れた声色でそう言うと、ジェスタフはゆっくりと足を進める。私は息を殺して彼が去るのを待った。でも、彼はここが怪しいと思っている。
怖すぎる。自分に殺意を抱く人間に追い回されるのがこれほど怖いとは思わなかった。しかも心を病んでるからじゃなく問題解決の手段として私を消そうとしている。
「とっとと出てこい! 目上の人の指示には従えとパパやママから教わってないのか?」
どうしよう私。カミーリアを連れ戻しに来たことを後悔している。何でこんな誰も頼れない危ないところに一人で来てしまったんだろう。栄養ドリンクの効果が切れてきた。
「出てくる気がないのか? 言っておくがゆめゆめ逃げられると思うなよ。やりたくなかったが、今梅島に潜伏させてる俺の部下の兵士100人を呼び寄せた。もうじきここはちょっとした要塞になる。警察が来ても追い返せるぞ」
多分嘘だ。もしそんなにいるならとっくにカミーリアを数の暴力で襲って捕まえている。わざわざ日本人を脅して駒に使う必要がない。
というか何で梅島。各駅だから私も一度も降りたことないのによく知ってるな。
「ちあーきくぅーん ちあきくん♪ きみーがだれかはしらんけど♪ おれーがきみーならー♪ どこーにひそむでしょーう♪」
何か急に「日立の樹」の替え歌歌い始めた。この人もしかして結構長い間日本住んでたんじゃないの? それともこの歌マチリークでも有名なの? しかも名前覚えられてるし。
「そこ」
その時、突如頭上の酒が並ぶ棚に椅子が投げ込まれた。轟音を上げて割れた何本もの酒瓶からとめどなく中身が溢れ出し、それはそれは高い酒が私の頭や身体に降り注ぐ。これがマッカランの味かぁ。芳醇。
って味わってる場合じゃない。やっぱここが怪しいと思うか。こんな荒らして後で怒られるとは思わないのか? いや、カミーリアを逃がすことに比べたら些末なことなのか。
「……いないのか?」
運よく声を漏らさなかったので、ジェスタフはここじゃないのかと思ったようだいやダメだ、一応確認しに来た。
足音が近づいている。カウンターの上に何か置いた。何だ? 急いでるけどまだカミーリアは片腕すら出せない。
非常にまずい。カミーリアの言う通り命乞いして勘弁してくれる相手じゃない。
いや、考えてみたらこのジェスタフって人は私を殺そうとしてるわけだから、逆に私に殺されても文句は言えないはずだ。どこにあったのか衝撃でこれ使えと言わんばかりにアイスピックも落ちてきた。
これで殺せないまでも首とか刺したら再起不能になるはずだ。カミーリアだってやったんだし私にもできる。それに何人も殺してきた相手だ。やっても罪悪感も少ないはずだ。
と、言い聞かせてみてるけどすごく怖い。だってこの人さっき子どもいるって言ってたし、死んだら悲しむ人もいるだろう。私も父親がいないからそばにいてほしい時に親がいない悲しさは分かる。
それでも考える暇を与えず、あと数歩のところまで彼はやってきた。こうなったらもう頭空っぽにして戦うしかない。結局人生最後はやけくそだ! 死ね!
「ああああああああああああっ!!!」
私はアイスピックを掴むと、顔を覗かせたジェスタフの顔目掛けて襲い掛かった。まさか私の人生で人の顔面にアイスピック突き立てる日が来るとは思わなかった。
「おっ?」
ジェスタフは私がいたことに一瞬驚いたようだけど、それも眉一つ動かしただけで素早く掌をアイスピックに伸ばすと、指の間に針を通して私の拳を掴み容易く止めた。
「う、嘘……」
「少し褒めてやる。日本人というのはヘタレばかりだと思っていたがここまで俺に盾突くとはな。それもただの学生が」
指を針が貫通したらとか思わないのか? やはり軍事国家の幹部は私とは思考が違う。しれっと着替えてるし。
「その勇敢さに敬意を表して、もう一度聞いてやる。大人しくソイツを俺に差し出すか? 今なら出血大サービスでバックブリーカーだけで許してやる」
背骨折る気だ……。どっちみち死ぬじゃん。なら、私は最期までカミーリアの味方で屈服しない道を選ぼう。
「い、嫌です。あなたに撃たれたので病院行ってからカミーリアと風呂入って寝ます」
ジェスタフの顔が曇る。
「あ? シャブ中にされてソープに沈められたいってか? ご希望に添ってやるよ」
彼は淡々とそう言うと、私の腕を捻じ曲げ針を私の目玉へと近づけていった。抵抗してはいるけれど力の差は歴然だった。もう勝ち目はない。
母さん悲しませてごめん……また母さん大切な人を失っちゃうのか……。カミーリアもごめん……。
私が諦観して腕の力を抜いた次の瞬間、駆け抜ける足音と共に扉が蹴破られ、何者かがジェスタフに棒切れで殴りかかった。
「……」
ジェスタフは無言で頭を下げてそれを躱すと、私を突き飛ばして一旦始末は後回しにしてくれた。
そしてカウンター上の気色悪い模様の柄の青龍刀か何かを手に取ると、続けて来る一撃を舌打ちして刃で受け止めた。
「チッ……今度は誰だよ君」
「娘に触るな……!」
「え、父さん?」
ジェスタフと迫り合っているのは紛れもなく私の父さんだった。助けに来てくれた……。




