明け方の夢 5
「ふぅ……流石に疲れるな」
流琴は警備兵を倒した後、エレベーターを使わずに階段を使って上に上がっていた。非常階段は外にあるから誰が見ているか分からないし、エレベーターは人目に付きやすい。
だが、こうして階段を登っていても人気は少しも感じない。どうやらあの3人でジェスタフのボディガードは全員だったらしいと彼は少し安心した。
しかし、本当にあの連中だけなら彼らも24時間働いてるわけじゃないだろうし昼間は休んでいるだろう。その間の昼間の身辺警護はどうしてるんだ? よほど自分の腕に自信があるのか?
流琴はそこが少し解せなかったが、とりあえず敵がいないならエレベーターを使ってもいいだろう考え、近くのエレベータ―のボタンを押した。
トンファーだけでなく鹵獲したMP40サブマシンガンを持っているのだが、これが中々重くて体力を消耗する。すぐに動いたので誰か乗ってることもないだろう。
理想としては千明を見つけたら腹パンして気絶させてでも連れ帰ることだが、理想は叶わないから理想なので、そううまくは行かないだろう。
それでも一番避けたいのはジェスタフと遭遇することだが、この時間なら流石に寝ていると信じたい。
千明にもまだ会っていないが無事なんだろうか。捕まって痛めつけられてないか不安だ。もしあの子が殺されたら俺は清香はもちろん、死んだアイツの父にも合わせる顔がない。
2人にはマチリークから着の身着のままで逃げてきて、野垂れ死ぬ寸前だったところを助けてもらった恩がある。
返せないほど大きな借りだったが、ここで千明を連れ戻せたら少しは返せるだろう。だからと言って俺の人生には特に変化はないが。
流琴がそんなことを少し考え込んでいる内に、チャイムが鳴ってエレベーターが到着した。高級ホテルなだけあって中に白薔薇が活けてあるが、よく見たら造花だった。
行く先は無論最上階だ。レストランやバーラウンジも興味はあるけど、それはまたの機会にしよう。
彼は急いで乗り込むと、閉じるボタンを押した。こういうのも普段ならエレベーターガールなんて係の人がやってくれるんだろうか。今時時代遅れかな。
ドアは音もなく、それでいて素早く閉じられる。完全に閉じる寸前、にゅっと10本の指が隙間から現れて左右のドアを掴んだ。
「なッ!?」
そして、金属が擦れ合う不快な摩擦音を立てて力任せにドアがこじ開けられる。
「んな、何だお前は……!?」
現れたのは、オリーブ色のツナギ姿に防刃ベストを着込んだ大男、ミハイルだった。
バカな。こんなガタイのヤツが付近にいたのに気づけないなんてことがあるのか。一体今までどこに潜んでたんだ?
「お、おい近づくな、失せろテメェ!」
流琴は後退ってサブマシンガンをミハイルに向けようとしたが、それよりも早く彼に銃と胸倉を捕まれ、そのままエレベーターの外に引きずり出されたかと思えば裏拳で殴り飛ばされ、飛んだ先の階段に背中を強く打ち付けた。
「ぐはッ!」
サブマシンガンはミハイルに奪われたが、彼はそれでさっさと流琴を撃ち殺したりはせず、ただ背後に放り捨てた。
「ぐ……外務卿の連れてきたペットか……」
やはり護衛はあれだけじゃなかった。もう1人用心棒がいた。だが、さっきの雑魚とは比べ物にならない燃え盛るような覇気。恐らく特殊部隊の隊員かそのOBといったところかと流琴は睨んだ。
かなりの修羅場を潜り抜けてきた者に特有の厳かな佇まい。手練れじゃないはずがない。
にしてもデカい……2m10センチはあるのか? NBAの選手でもここまでの身長の人間はほとんどいない。ここまでデカいとこれはこれで不便だろうなと、流琴はトンファーを杖に立ちながら思った。
「……」
一方ミハイルはポケットから小さな筒を抜き取ると、それを振って例の鋭利な警棒へと変化させた。
こびりついて警棒に付着した血を爪で削ぎ落しながら、ミハイルは流琴を睨むでもなくじっと見ている。
「おい、ここに若い女の子が来なかったか? 俺はその子の父親だ、君らに迷惑は……もうかけたか。いや、その子さえ連れて帰れたらそれでいいんだが、ダメだろうか」
「地獄にか?」
ミハイルはそう吐き捨てると、ゆっくりと流琴に近寄って警棒で殴りかかった。彼はそれをかわせはしたが、耳元で鳴った空を切る音と割り箸のようにへし折れた手すりに戦慄した。
流琴は反撃として屈んだまま跳んでミハイルの脛に蹴りを見舞った。
「?」
だが、彼は首を傾げるばかりで今のが攻撃だとすら思っていない。むしろ彼の鉄骨のような足を蹴った流琴の方が痛かった。
「化け物か?」
バク転して流琴は階段を登り距離を離す。今のは蹴って攻めるのも兼ねていたが外れたが、当たってもそれが彼に効いていたとは思えなかった。
流琴はトンファーをグリップを下向きに握って構えると、ミハイルの攻撃に備えた。
彼の方は警棒の先端を弄っていたが、流琴が態勢を整い直したのを確かめると、階段を上がって再び腕を振り上げた。
「フン!」
だが、流琴は添木のように腕から肘に沿って構えたトンファーでそれを防ぐと、ミハイルの腕を振り払って鳩尾に一発突き刺した。防刃ベストでも打撃までは防げない。
それと同時に手首を回して握る位置を逆に切り替えると、グリップでミハイルのうなじを絡めて引き寄せ、そのまま渾身の膝蹴りを彼に腹に叩き込んで階段から突き落とした。
「クソ! どうだ!?」
転げてうつ伏せに倒れるミハイルを警戒しながら流琴は階段を降りた。
気絶はしたようだが、起きたらまた追ってくるだろう。確実な安心ということで一応頭を撃っておくか。
流琴はサブマシンガンのところまで駆け出した。
「うっ」
しかし、背後から殺気を感じて立ち止まった。そして忌々しそうに振り返った。
「……」
「しぶといヤツだな。今の3連コンボ食らってノーダメかよ」
ミハイルが涼しい顔で立って警棒を拾い上げていたので、流琴は舌打ちした。
コイツ、俺の攻撃を避ける気が一切ない。効かないと分かっているからだ。きっと四肢を切断されても俺には負けないと思ってるんだろう。
これが普段なら絶対関わりたくない手合いだが、今はそんなわがまま言ってられない。
流琴はミハイルを睨みながら、彼が急に下痢になって退散してくれることを祈った。
すると、ミハイルが首と腕の力を抜き、だらりと棒立ちになって天井を見上げた。こんな脱力していても存在感を感じるのは少し羨ましかった。
「あー……めんどくせ」
「あ?」
「お前のように弱いくせに歯向かってくるテンみたいなヤツが一番疲れる」
うんざりした顔でそうぼそぼそと呻くと、ミハイルはベルトポーチの一つに手を入れて、金色に光るライフル弾を2本取り出した。しかし、それが撃てそうな銃本体を彼は持っていない。
何する気だと、流琴は顔をトンファーで覆って身構えた。ミハイルは弾丸を人差し指と親指の上に乗せると、コイントスの要領で指先で弾いて真上に飛ばした。
「……?」
回転するそれが彼の胸板の辺りまで落下した次の瞬間、ミハイルは警棒で弾丸を薙ぎ払い雷管を刺激し、何と銃無しで弾を撃ち出した。
流琴はミハイルが何をやったのかよく分からず、ただ守りに徹するだけで飛来する弾丸を左肩に食らった。もう1発は右手を置く花瓶に当たり、割れて花を浸す水が床に溢れ出した。
「うぐァァァッ!! いッてェェェ!!」
「言わなくても分かる。わざわざ言うな」
肩が熱を帯びて熱い血が、顔からは汗が噴き出てくる。涙まで出てくる痛みで脳が震えているような気さえした。
コイツ、回転する2つの弾が俺の方に向くのを見計らって雷管を叩いたのか。どんな動体視力してんだ?
いや、それもすごいがこんな無茶なやり方で、ある程度正確な射撃ができるのも驚いた。凄まじい戦闘センスだ。
人は誰でも何かしらの才能を持っていると言うが、その才能が何なのか大部分の人間は気づけず死ぬ。
俺だって脚本家をやってるが、本当は塾講師やMRの方が向いているかもしれない。そうやって大半の人間はどこか迷いながら人生を送るものだ。
「そのまま動くな。次は……4発でやる」
だが、この男は違う。類まれな兵士の才を持つ者が兵士となっている。単純だが、こういうラッキーな人間は多いようで皆無に近い。故に雑兵とは一線を画す強さを誇る。
真っ向から戦って勝てる相手ではない。後ろのサブマシンガンを取り奴を殺し、早く止血しなければ死ぬ。だが、それは相手も分かってるだろう。と、なるとやれることは。
「ま、待て……待ってくれ……!」
ミハイルが指の間に弾丸を挟んで今にも振り投げようとした時、流れるような動作で流琴は床に土下座して、彼の足元に長財布を放り投げた。
「命乞いか」
「そうだ、アンタは強い。俺じゃ絶対勝てない。さっきも言った通り俺は娘を連れ帰れたらそれでいいんだ。その財布には30万くらい入ってる。全部やるから見逃してくれ」
「フン……」
ミハイルは鼻を鳴らしてから警棒を口に咥えると焦げ茶の財布を掴み、流琴を見たまま中に指を入れた。
確かに分厚いので、札束が入っているのは嘘ではないなと思いながら。
「あァ!?」
すると、中でバチンと金属の反響音が鳴り響き、すぐさまミハイルが財布を振り捨てる。彼の指には、ネズミ捕りが挟まって血が滲んでいた。
「悪いな。今更だけど俺亡命マチリーク人でな。もしもの時のためにそういうの持ち歩いてるんだわ。今初めて使ったがな。それ挟むとこをヤスリで削ってるから痛いだろ?」
「貴様」
ネズミ捕りを外そうとするが初めて見たのか解除に苦戦し、ひとまずミハイルはネズミ捕りを外すよりも流琴を始末しようと警棒を握り締めた。
「獅子は兎を狩るにも何とやらだぜ。兵隊さんよ」
が、流琴がサブマシンガンを掴んで自分に銃口を向けているのを見て硬直した。
彼が舌打ちする間に引き金は引かれて、弾は全て発射された。警棒をへし折り指を飛ばし、頬の肉を削ぎ落して犬歯を剥き出しにさせたかと思えば、その歯を弾丸は砕き折った。脳天に命中すると、その度に頭蓋骨の割れる軽い音がした。
「……」
撃たれた直後はそれほど激しく流血せず、蜂の巣の彼が倒れてからようやく無数の銃創から温い血がとめどなく流れ、元々赤いカーペットを上書きした。
「クソ……まさか殺しまでやるハメになるとはな。だが危なかった」
流琴はサブマシンガンを捨てて財布を掴むと、元の位置の尻ポケットに戻した。まさかここまでやって蘇生するなんてことはないだろうが、それでも怖くてネズミ捕りを外すことはできなかった。
ポケットに押し込んでいる最中、彼はベルトに何かを挟んでるのを思い出して抜き取った。
「あ、清香のジュニア・コルトがあったんだった。これ使えば撃たれずに済んだか……」
流琴はミハイルの遺体から応急処置キットを見つけると、包帯で患部をきつく縛って止血し、エレベーターの扉によりかかって数分休むことにした。
千明がコイツに見つからなくて本当によかった。だが、この大男……待ち構えていたがジェスタフには侵入者が来たことを報告したんだろうか。
安眠妨害になるから内密に済ませようとしたと思いたいが……。
彼が痛みを紛らすために様々なことに思いを巡らせていると、エレベーターが上の階へと移動した。




