明け方の夢 2
「ふ……」
ジェスタフは新たに移った部屋のベッドの上で、寝巻の作務衣姿で蓮華座を組み、深い瞑想に入っていた。すでに時刻は2時を過ぎているが、短眠の彼は毎日4時間ほどしか寝ない。
マチリークから持ってきたアロマキャンドルに火を灯し、薄く目を開けて一見ぼんやりしたような顔で彼は己の存在意義や政治の在り方、これからの人生などに思いを馳せるのだ。
彼は少々変わった宗教思想の持ち主であり、無神論者だが天国と地獄の存在は信じていた。10年も前、何の罪もない彼の弟の婚約者が惨たらしく殺されて以来神は信じなくなった。
それでも、そうした人倫に悖る悪行は必ず死後に地獄の業火の中で裁かれるだろうということは、何となくだが確信しており、無償の愛などという行為も実際は天国へ行くための点数稼ぎだと思っている。
なのでもっぱら、死後の自分は地獄に行くのか天国に行くのかについてが瞑想の主な議題だ。自分が行ったこれまでの行いはこれからの行いで清算できるのか、あるいは客観視したらどう見えるのか考えを巡らせ、自分で自分に赦しを与えるのだ。
権謀術数渦巻く公務員の世界に身を置き、さらに人からも尊敬される地位に君臨する彼は、いつしか誰かにも悩みを打ち明けられなくなってしまった。それこそ妻にも親族にも。
だからこそ、静かな部屋で一人物思いに深け込む時間を何よりも大切にしていた。
昨日殺した闇金の男は、家族とかいたんだろうか……。ああいうダーティな仕事をしていたからには何かしら由々しい事情もあったのかもしれない……。もしかしたら俺と同じでまだ年端も行かない子どもがいたかもしれん。
もし遺族とかがいたら匿名で見舞金を送るべきか? 他のヤクザ共や藤岡に轢かれた奴らにも……。いや、金は誠意として有効だが真の解決とは言えない。詫びの手紙でも同封すべきかな……。
彼がそんなことを考えていると、荒々しく外でノックがしたかと思えば彼の承諾も得ずに部屋にミハイルが入ってきた。
「アンドレ」
「何だミハイル。俺は床に就く前の瞑想を邪魔されることが何より嫌だということを忘れたのか?」
「寝る前ならいつでもできるでしょう。こっちへ」
「何だよったく……」
ジェスタフが咎めても気にも留めず、ミハイルは手をこまねいて彼に起立を促した。
アンドレというのはジェスタフの愛称だ。この巨漢ともそこそこ長い付き合いなのでそう呼ばれても別段何も感じないが、ミハイルは愛称をつけられることを非常に嫌うため、不公平だなとは少し思っていた。
「これをご覧ください2分前の映像です」
「あ?」
渋々ミハイルについていき、持ち込んだ自前の監視カメラのモニターを置いた部屋に案内され、つまらんものでも見せてきたら殴りつけようという勢いで画面を覗き込んだ。
「誰だよこの女」
「さぁ」
スイートルームに続く廊下にさりげなく置いた消火器に偽装した監視カメラに、見たこともない女が映っている。ダッフルコートを着て真っ白なジーンズを履いた女だ。
きょろきょろ付近を伺いながら不安げに歩く様は、まるで借り物の猫を思わせた。
「まぁ……藤岡の同類が絶対どこかでしゃしゃり出てくるだろうなとは思ってたけど、女か……。こんな夜中に来て俺の寝顔でも見たいのか? おい」
ジェスタフはミハイルの前に手を突き出すと、彼はさっとトランシーバーを渡した。ジェスタフは連れてきた警備兵3人に一斉に無線をかけ、わざとねっとり話しかけた。
「私です。今、最上階に侵入者がいます。君達は若い女性の姿を見ていませんか?」
彼に詰問される警備兵の一人が、粗い画質でも狼狽えているのがモニター越しでも面白いくらい見て取れた。
「はい? あ、ああはい……そういえばそんな気配はしたような気がします」
「何ですか? その奥歯に物が挟まった言い方は?」
「えっと……外務卿がお呼びになられた風俗嬢が来たので、ボディチェックをした上で通しました。5階にいらっしゃるという旨は伝えたのですが」
「ふっ」
「……なるほど」
ミハイルが鼻で笑った。ジェスタフは額に血管を浮かせつつもあくまで口調は冷静なまま、されど隠しきれない苛立ちを孕んだ声色で部下達に返答した。
「このホテルにはデリヘルは呼べませんよ。このホテルの設備を利用しない、つまり金を落とさない外部の人間は入ることができないのです。宿泊要綱にそう書いてあるのを知らないんですか?」
「え? じゃああの女は……」
兵士の声が震えるが、彼は責めるのをやめない。
「君達の私への評価と勤務態度がどういうものなのか実によく理解できました。このことは帰国したら即座に人事院に報告させてもらいます」
「も、申し訳ございません外務卿! 二度と同じ過ちは致しませんのでお許しを……!」
「ならば5分以内にあの女を私の部屋の前に連れてきなさい!」
ジェスタフはそれだけ言うとトランシーバーをミハイルに返した。ミハイルが命令を確認させる。
「そういうことだ」
「は、はい……ん? あ?」
「どうした」
監視カメラ越しに項垂れる兵士達をジェスタフは忌々しそうに睨んだが、彼らがエレベーターに向かうのでなく一斉にフロントの方に向いて銃を構えて駆け出したので首を傾げた。
「おい、無線を切るな。音量を上げろ」
ミハイルが指示通りに行う。
「失礼しまーす」
「何だテメェ!? そんなもん持ってどんな失礼をする気だ!」
肘にパッドを装着したシャツ姿にワインレッドの髪の男が正面玄関から堂々と入ってきた。その手には黒光りするトンファーをぶらさげて。流琴だった。
「じゃあやるよ」
「は!?」
流琴は持っているトンファーを1人にぽいっと投げつけると、彼が僅かに怯んだ隙を突いて顔面に肘打ちを叩き込む。
「クソッ殺せ!」
鼻血を噴いて倒れる兵の腰からナイフを抜き取ると、それを明確な敵対行為と見なした兵士が発砲した。しかし、流琴の背後にいた仲間に気づかず、彼が横に逸れたので仲間の腹を誤射してしまった。
「ああっ」
「ドンマイ」
それに愕然とした兵士の喉をトンファーのグリップ部で殴り、よろけたところにさらにすれ違い様もう一発うなじに肘を入れ、完璧に叩きのめした。
撃たれた兵も防弾チョッキを着ていたので死んではいないが、気絶して当分起きそうにはないし、起きても怪我で脅威にはならないだろう。
流琴は1人からサブマシンガンを奪うと、天井に取り付けた監視カメラに向けて一発撃ってから悠然と歩き去った。
ジェスタフとミハイルは、何も映らなくなったモニターの前で腕を組みながら考え込む。
「何者だ? 相手を誘導させ同士討ちとはネスじゃねーな。場慣れしてるし昨日のヤクザが報復に来たというわけでもなさそうだ。にしてもアイツら弛んでるなー。アレでも近衛兵かよ」
「女との関係が分かりません。仲間かたまたま同時刻にカチコミに来た赤の他人同士か」
ジェスタフがほくそ笑む。
「後で分かるさ。だが、中々面白そうなのが来たな。ミハイル、お前は男の方の面を拝みにいってやれ……女は俺が捕らえる。無論生死は問わない。どうせ正当防衛だ」
「はい」
ミハイルは彼に軽く頭を下げ、首を鳴らしながら部屋を出ていった。
「ったく日本は平和な国だと思ったから最小限しか護衛を連れてこなかったのに、これじゃ俺がバカみたいじゃねーか!」
ジェスタフは急いで自室に戻ると、作務衣にホルスターを着用してリボルバーを突っ込み、例のガンケースを掴むと40手前とは思えない健脚で階段を駆け上がっていった。
万一、あのガキを解放させられたらとてつもなく面倒なことになる。アレは野生動物用の檻なので簡単なかんぬき錠しか付いてない。何としても見つけられる前に捕らえなくては。




