テロ組織の良心ジェスタフ
「はい……はい。ええ……無事生きたまま捕らえました。はい。それに関しましては私も重々承知しております。はい。これで一安心だと私も胸を撫で下ろしております。では……そちらの準備が整い次第すぐに。お休みを妨げてしまい申し訳ございません。失礼致します」
帝都ホテル最上階プレミアムスイートルーム。
カーペットで木目模様を再現し、壁は赤煉瓦を多用した英国風の内装のこの部屋は、ホテルの一室でありながら2階があり、上は打って変わって白い壁に大理石の床と、まるて高級マンションのペントハウスのような作りになっている。
特に外側を仕切る長く傷一つない1枚窓は、邪魔な窓枠がないことで一切視界を遮ることなく素晴らしい東京の景色を客に楽しませてくれる。
この時間でもワイシャツ姿にショルダーホルスターを着用するジェスタフは通話の終わった携帯を真っ二つにへし折り、ゴミ箱に放り捨てた。
「飛ばしの携帯とはいえ、確実に逆探知されないためには一回ごとに使い捨てないといけないとはな」
せっかく来たんだから夜景だけでも見たいなと、藤岡は床に正座しながら思ったが、盗撮されたくないからか窓はしっかりカーテンを下ろしてあって何も見えない。
ジェスタフは今までテーブルを囲むソファの一つに座りながら誰かと電話をしていたが、彼ほどの地位の男がかなりへりくだっていた辺り、相手は恐らくマチリークの首魁だろう。
ソファには他にミハイルと、最初の記者会見の時にいたジェスタフの女性秘書が向かい合って座り、スピーカーから流れる「フィガロの結婚」を聞きながら、生クリームがこんもり盛られたアイリッシュコーヒーを飲んでいる。
こうして見ると公務員というよりはベンチャー企業の役員連中みたいだった。
そのジェスタフはにこにこした顔で彼の側に歩み寄る。
「さて、長々と喋ってすまなかったね藤岡君。おめでとう。無事命令を完遂したな。だが、君ならできて当然だと思っていた」
お前が俺の何を知ってんだよと内心では思ったが、褒められて悪い気はしなかった。
「ありがとうございます……。それで僕の仲間達は……」
藤岡が一番気になっていることを尋ねると、ジェスタフは微笑んで彼の肩を叩いた。
「ああ、約束通り解放しよう。俺は帰りは東京湾から船で帰る予定だから行きで乗せろと言っておいた。しかしまさか轢き逃げなんて思い切ったことをしたな」
「は、はい。買収した浮浪者に契約させたレンタカーを使ったのですぐには脚はつかないと思います」
「そうか。賢いな」
ジェスタフは淡泊にそう言うと、冷蔵庫から出した舶来のビール瓶の王冠を歯で開けてラッパ飲みした。
「それで、お前はこれから実家に帰るのか?」
「ほへ?」
口周りのクリームを拭いながらミハイルが顔を向けずに藤岡に話しかけた。この男に世間話を振られるとは意外だったので、思わず変な声が出た。
「そ、それは……その……」
「何だ? 言いたいことは遠慮せずハッキリ言いなさい」
ジェスタフはテーブルの上の飲みかけのワインを湯飲みに並々と注いで藤岡に渡した。酒は嫌いだったが、猛烈な喉の渇きに耐えられずに一気に飲むと、喉がじんわり熱くなって少し明るい気持ちになった。
「えっと……あのガキをさらう時に何人か巻き添えを出してしまいまして……これで死んでたら死刑もありえるんで、一度断って厚かましいとは思うのですが、やはり自分をマチリークに連れて行ってくれませんか?」
ジェスタフは唇を窄めると、少し考える素振りを見せた。
まさかここまでさせといて用済みだから追い出す気じゃないよな? 俺だって好き好んで轢き逃げと誘拐をやったわけじゃないし、それでムショ暮らしなんてまっぴらごめんだ。藤岡は泣きそうになりながら、懇願する眼差しで立ってジェスタフを見つめた。
すると、彼は目を瞬かせて軽く頷いた。
「おう。構わんよ。その殺人を犯してもなお悔やむどころか自己を可愛がる鉄面皮。公務員としては理想的だ。ほとぼりが冷めるまで君の身柄は外務部預かりとしよう。おい」
褒めてるのかコケにしてるのかどっちだ?
ジェスタフは秘書の方を見ると、彼女はすぐさま立ち上がって階段を降りて行った。
「あの女と一緒にマチリークまで行け。サツに追われてるなら早い方がいいからな。指示も彼女のを聞け。それと、これ持っていけ」
ジェスタフは木のハンガーラックにかかった自身のスーツを取ると、胸ポケットからグリップ部分に青系色の組紐が巻かれた小さなシースナイフを抜き取り、藤岡に手渡した。
「これは?」
「ポケットチーフってあるだろ? マチリークの高級官僚はいつもというわけではないが、式典の時とかは胸ポケットに官給品のこういう小さなナイフを差して参加するんだ。そのためにほら、通すための輪があるだろ。その中でも紐付きのは俺みたいな部署のトップしか所持できない。それを持ってれば金がなくてもマチリークで不自由することはないと思うぞ」
要は魔法のアイテムというわけらしい。偽造防止のためか製造番号のようなものが鞘に彫ってある。
「なぜ、ここまでしてくれるんですか?」
「そりゃ俺は公務員だからな。かわいい子ども達が将来、マチリークは努力した人を平気で裏切るなんて知ったら傷つくだろう? 民の生殺与奪は公務員が握っている。故に公務員は誰よりも民に寄り添わなくてはならない。それ俺が帰還したら返してくれ」
逆らわなければ我々は友ということかと藤岡は受け取った。
ジェスタフは人を脅しはするが優しい面もある。根っこは意外と真っ当な政治家だった。不覚にも藤岡は、働けるならこういう上司の下で働きたいとすら思ってしまった。
「あ、ありがとうございます」
「ああ」
藤岡はナイフをポーチにしまうと、踵を返して階段を降りようとしたその時。
「ん?」
壁にかかった大きなタペストリーが目についた。部屋の趣と明らかに異なるものだ。大して審美眼もない藤岡だが、これは流石に違和感があると気づいた。
田の字を横に広げたような形で、枠線は鮮やかな緑だが、その他の空白はちょうどさっき飲んだワインみたいな黒っぽい赤という極めてシンプルなデザインだ。
「それ気になるか? マチリークの国旗だよ。あんまり日本人には知られてないけどな。車窓をイメージしてるらしく、黒ずんだ赤は外の酸化した血や鉄錆、緑は内側の豊かな自然を意味している。それが差すのは、『他国を土足で踏み躙っても我々の国土には指一本触れさせない』という意味だ」
すごい好戦的な意味合いの国旗だなと藤岡は思ったが、実際のところジェスタフもそう思っていた。やはり世界最大の武装組織なだけはある。本当に国連加盟国になる気があるのか?
「で、では失礼します」
「おう」
藤岡は、一応はこれで苦難に満ちた日々が終わりを告げたという安堵こそあったが、やはりジェスタフに全幅の信は置けないという気持ちから、逃げるように走って階段を下りて行った。
「よろしいんですか?」
藤岡が去っていった後、ミハイルが銃剣を取り出し刃を鏡代わりに自分の顔を見ながら彼に問うた。
ジェスタフの顔からも外用の笑顔が消え、同じ笑顔でも闇金屋を襲った時にも見せた、侮蔑的で歪んだ黒い笑みへと変わった。
「ああ。本国ならまだしも外国で殺しは処理が面倒だ。それにサツに捕まって唄われたらそれもまた面倒だ。まぁ場合によっては使い道がありそうな男ではある」
ジェスタフは一服しながらそう返した。彼はビールの残りを飲みながら寝室の扉の方に足を進め、ホルスターからリボルバーを抜く。
中折れ式というシリンダーは横から出すのでなく、銃身ごと縦に折るタイプの古いリボルバーだ。彼はきっちり弾が5発入っていることを確認した。
「それにアレだ。小説蜘蛛の糸の主人公は、たかが蜘蛛を殺さなかっただけで天国に行けるチャンスを釈迦からもらえた。なら、こうして情けをかけてやった俺はこれから先何人殺しても天国行きは確実だろう。なぁ?」
「はぁ」
そうして扉を開けると、そこには防声具など拘束具を着せられただけでなく、熊捕獲用の檻に放り込まれ、手錠で鉄格子に四肢を繋がれたカミーリアがいた。
すでに轢かれた傷は癒えて、やってきたジェスタフを元気に睨んでいる。
「よう小僧。楽しかったか? 遠足は」
ジェスタフはリボルバーをカミーリアに向けながら檻の前に屈む。目元以外のほとんどの素肌は拘束具で隠れているが、それ故に彼の憤怒がより際立って感じられた。
「あまり近づかれない方が……ケプラー繊維の拘束具とは言え長くは持たないかもしれませんので」
「問題ないだろう。こんないい子が危害なんて加えるはずがない。なぁ?」
ジェスタフは檻の中に手を入れてカミーリアの頭を撫でる。
「まぁそう怒った顔をするな。これからは大人しく軍の言うことだけ素直に聞いてれば、ある程度の自由は保証してやる。それになぜ悪く考えてるのか理解できないが、お前は自分でも思っている以上に恵まれた人間なんだぞ?」
彼はそう言って立ち上がると、何の脈絡もなく突如撃鉄を起こしてカミーリアの腹部へと2発立て続けに真顔で発砲した。
「お前が逃げるまで散々暴れてくれたせいで貴重な人的資源が山ほど失われた。ソイツらにも家族がいた。お前は孤児だから分からないのかもだが、お前がどれほどの人を不幸にしたか分かってんのか? その痛みを噛みしめ懺悔したまえ」
藤岡は脅されて嫌々カミーリアを轢いたが、この男の方は撃つことには何の抵抗もなくいどころか、喫煙の片手間に子どもを撃てる残忍さがあった。
防弾チョッキのの布地で作られた頑丈な拘束具なので弾は貫通はしていないが、それでも耐えがたい激痛までは消せない。
くぐもった呻き声がカミーリアから発せられるが、この手の苦痛の反応は見慣れてるので、2人は大して気にもせず寝室を後にする。
ミハイルは自分も痛めつけたかったと言わんばかりに腰の警棒に手を当てた。
「少し1人にさせといてやる。だが、脱出しようなどとはゆめゆめ思うなよ。次は38口径じゃなく357マグナムで撃つぞ」
そう短く吐き捨て、ジェスタフとミハイルは部屋を去って共に下の階へと降りていった。
「ミハイル。俺の荷物をまとめて5階に移しとけ。この部屋はもう使わん。万が一抜け出して暴れられても下の階なら爆風の影響もないからな。ああ、これは俺が自分で持っていく」
ジェスタフは踊り場の観葉植物の横に立てかけてある、腰ほどの高さのナイロンのガンケースを背負う。よほど大切なものが入っているらしい。
「かしこまりました。ですが、もしそうなった場合は俺が制圧します」
「ああ、無理なら殺してもいいという命令だが、やはり生きていた方がいいな。しかし、アレを輸送するまでの道のりは特に心配してないんだが、本国は二度と逃げられないよう対策してんだろうな。全く、俺は自分の息子に会えないのに何で知らんガキに時間割かれなくちゃならんのだ」
そうぶつぶつ文句を言いながら、ジェスタフはスイートルームを出ていった。
彼がエレベーターに乗ったのを見届けると、ミハイルはクローゼットのジェスタフの衣類を適当なボストンバッグに押し込んだ、アイロンがけはあとで本人にやらせればいい。




