狂気と暴力の象徴 2
そう言われた藤岡は、最初は居場所を突き止めろとしか言わなかったじゃないかと言い返したくなったが、確かにこの男の言うことももっともだとも思った。
しかも、日本に向かっているという。慌ててコンビニで新聞を買うと、3日前にマチリーク軍が日本との軍事境界線の一つである竜飛岬の自衛隊司令部に無線でコンタクトを取ったという記事が数日前の出来事なのに未だ一面で書いてあった。
そこにジェスタフの名前もあった。それから彼は外務大臣や統合幕僚長、そして首相と無線での交渉を経て、護衛は数名のみなど幾つかの条件付きで入国を許された。
実際はマチリークも一応日本なので、入国という言い方も変なのだが。
これには焦った。恐らくしびれを切らして直々にこの子どもを連れ戻しに来たんだろうが、彼が東京に来るというのに肝心の子どもに遠くまで行かれたら事だ。
一刻も早く位置を特定するだけでなく、移動させないよう手を打つ必要がある。そのためには手っ取り早いのが自分で捕まえてどこかに拘束することだ。
そのために藤岡はなるべく避けていた住民への聞き込みを行い、小汚い身なりの子ども、つまりカミーリアがいないかを聞いて回った。
この辺りからぷっつりとカミーリアが関わったと思われる事故が途絶えてしまったのが、藤岡の焦燥感を嫌というほど掻き立てた。
それでも、児童ホームレスだったカミーリアはそこそこ目立った存在だったようで、何人か姿を見た人はいたので、藤岡は右往左往しつつ何とか追えた。
そうして足立区と隣接する草加市に辿りついたのは今日のことだった。
普通に来れたなら草加せんべいでも買いたいところだが、精神的にも金銭的にもそんな余裕はない。
とにかく今すぐにカミーリアを見つけて拉致しなければ、これまでの努力が全て水泡に帰してしまう。
自分がここまでひどい目に遭うのは自業自得だと最初は思っていたが、次第に人質を取って自分を脅してこき使うジェスタフに怒りが湧いてきた。
数時間経って、藤岡が拾ったペットボトルに公園の水を詰めている時、フェンス越しに胸の大きい女子高生が小さな子を連れて歩いていた。
最初は、ここいらの高校生は随分と早い時間に下校するんだなとぼんやり見ていたが、すぐに下の子どもに視点を変えると、目を疑った。
あの子どもが一緒に歩いている。間違いない。藤岡は考えるよりも早く足を動かして女子高生を追った。
幸い、頭の軽そうな女だったので跡をつけて自宅を特定するのは簡単だった。幸か不幸か尾行中にジェスタフから電話がかかってきたので、尚更相手は警戒しなかった。
今晩越谷にある潰れた自動車整備工場の跡地に来い。そこで話を聞かせろと言われた藤岡は今すぐにでもあのガキを捕えなくてはと焦ったが、急いては事を仕損じるという言葉を思い出して、すぐに行動を移しはしなかった。
それでも別にいいような気はしたが、最悪なのは自分が捕まることでなくジェスタフと自分の関係が警察にバレることだ。
そうなった時、赤っ恥をかかされた彼がどんな報復に出るかわかったもんじゃない。間違いなく殺されるし、その死も安らかなものではないだろう。
とは思ったのだが、心のどこかではジェスタフに従うことに嫌気が差している自分もいた。
渡された資料もあるし、いっそ死なば諸共で子どもと警察に駆け込んでアイツを破滅させてやろうという思考が土壇場で脳裏をよぎった。
警察やマスコミに洗いざらい話せば、もしかしたらマチリークも観念して仲間を解放するかもしれない。自分だって世間に注目されればされるほど殺しにくくなるだろう。
どうせ三流大学出の自分には今後人から注目されるような機会もないだろうし、この体験を糧にジャーナリストとして活動するのも悪くないとすら思い始めた。
早い話が、目標達成を目前に控えて彼は舞い上がってしまったのだ。この男は捜索に関しては優れた手腕を見せたが、短絡的な楽天家故に現実を見据えるということができなかった。
その結果、あと一歩のところで彼は先走り、見事に返り討ちにあった。おまけに自分の不始末によって望まぬ形で警察が動く羽目になった。
大人しく居場所だけ伝えればよかったと、捻挫した腕の痛みに耐えて逃げた時に心底後悔した。それは今でもそうだった。
以上が藤岡俊之の過ちから始まった尻拭いの全てだが、同時にジェスタフの問いかけへの答えにもなった。
「なるほど、それはひどく辛く険しい道のりだったな。俺ならとっくに音を上げている」
藤岡の説明を聞いたジェスタフは乾いた拍手を送ったが、一人だけの拍手ほど聞いてて虚しいものはなく、藤岡はひどく惨めな気持ちになった。
「しかし最後のは蛇足だったな、潜伏してるヤサさえ教えてくれたら君は放免だったのに、どうもややこしくしてくれたな。これであのガキの価値が日本にバレたら俺もまずい立場になる。そうなったらもう君らも助けてやれないな」
ジェスタフは少々疲れた声でそう言うと、懐のホルスターから拳銃を抜いた。あの時に佐々木ローンで用いたリボルバーではない、38口径の小さな自動拳銃だ。
「だが、さっきも言った通り俺は君を評価している。そこでだ。ヘレン・ケラーを凌駕する器の持ち主であるこの俺が君にもう一度チャンスをやろう。コイツを使って人質でも取るなり半殺しにするなりして明日中にガキを俺の前に連れてこい。できたらお友達は解放しよう。そして君だが」
ジェスタフは銃を藤岡の前に突き出しながら、頬を手でかきつつ少し考える仕草を見せ、微笑んで言った。
「君の場合はほとぼりが冷めるまでマチリークで匿ってあげよう。もちろん虜囚なでどはなく日本の客人としてね。悪い話ではないだろう? もちろん断るなら構わない」
「い、いえ……そこまでして頂かなくても……」
過激派組織のマチリーク内で余所者の自分が生活するなんて考えたくもない。まっぴらごめんだった。
「あ、そう。まぁいいけど」
ジェスタフは鼻息を短く吐いてから煙草をもう一本咥えた。
「そ、それと……自分、拳銃を所持したことがないので、せ、せっかく用意してくださって申し訳ないのですが、持っていてもその、あのー宝の持ち腐れかと……」
「君意外と自分の意見ハッキリ言えるタイプなんだな……フン!」
ジェスタフは呆れた顔つきでミハイルに拳銃を渡してから両手を組み合わせると、その手を力を込めて握り締め、腹から出した声と共に掌を擦り合わせる。
この人何してんだと、藤岡だけでなくミハイルらも彼の手を覗き込んだ。
「んじゃ、これで好きにしなよ。結果さえ出せたら文句は言わないのがマチリークだ」
そうして手の中から50万円ほどの札束を出した。これでチンピラを雇うなり匿ってる家の住民を買収するなり自由に行動しろということのようだ。
「あ、ありがとうございます」
藤岡は大人しくその金を受け取ると、ジェスタフはすぐには金を離さずに紙幣を介して藤岡をぐいっと立たせてやった。
この男も悪意や差別で俺を酷使しているわけではないんだなと、藤岡は少しだけ考えを改めた。
「行け」
ミハイルが地面に警棒の先端を叩きつけて収縮させると、コンクリートの床に亀裂が走り、乾いた音が工場全体に反響した。
この金で最後の晩餐とは言わないが焼肉でも食いに行こうかと藤岡が考えていると、背後からジェスタフがこんなことを言った。
「そう言えば藤岡君の家、夫婦で慎ましくイタリアンレストランを経営してるんだったな。テイクアウトOKだったからここに来る前にマルゲリータを頼んでみたけどチーズが多めでうまかった。でも、きっとかわいい一人息子が失踪して放心状態だろうからガス爆発でも起こさないか俺心配」
彼が笑って話してる間、藤岡は自分の背筋がゆっくり凍り付いていくのを確かに感じた。コイツらすでに自宅を特定してるどころか下見も終えてるのか。身の毛がよだつ。
藤岡が振り返ると、ジェスタフはランタンを持ったまま片方の口角のみぎりぎり釣り上げて、にぃっと笑った。
やるしかない。藤岡は再び奈落の底に突き落とされた。無事に命令を遂行したところで、自分と仲間達が本当に許されるという確証はない。用済みとみなされて処刑されることも充分予想している。
しかし、もうやるしかない。
藤岡は、自分はジェスタフの指示通りに動いても殺されるかもしれないが、もし彼を失望させたらその時は確実に殺されるということを理解した。
せっかく戻ってきた食欲は、一瞬で消え失せたことは言うまでもない。
アンドレイ・ジェスタフは、彼にとって狂気と暴力の象徴そのものだった。




