アレン・ルーデンスの〝 トモダチ〟
俺がまだ、人生の全てを舐め腐っていた頃。
そして俺の「トモダチ」に出会っていなかった頃。
俺は孤独で傲慢な子供だった━━━━
周りの大人は俺に気に入られるため必死に媚びを売り、俺を褒め称える。
メイドも両親も俺には才能があるのだと囃し立てるのだ。
幼い俺はそれを信じてずっと自分のことを「生まれ持った才能のある人物」だと思い込んでいたのだ。
直ぐに俺は調子に乗り、ルーデンス家の一人息子という肩書きだけで全ては掌の中にあると信じ込んでいた。
だから何をしても、何を言っても、誰も俺を咎めない……
それは俺にとっての当たり前であって日常であったのだ。
いつもいつも俺に取り入るように猫撫で声で甘える気色の悪い「婚約者候補」たち。
それは俺に才能があるから。
それは俺が素晴らしい人間だから。
俺以外の人間は全て等しく俺の下に存在するのだ。
そう思い込んでいたのだ。
あの女、セレスティア・ヴァニラに出会う日までは。
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「今日も女とお茶会??俺そういうの断れって言ったよな??」
俺は睨みながら侍女に吐き捨てる。
「はい、坊っちゃま。ですが今日は同じく公爵家であるヴァニラ家のセレスティア様とのお見合いですので……」
俺ははぁ、と溜息を吐いた。俺と同じ公爵家と言うだけで俺と見合いが出来るソイツは、きっと今頃浮かれているんだろう。
「ほんとに使えないな、どいつもこいつも」
公爵家?ヴァニラ家?そんなことどうだっていい。
俺はアレン・ルーデンス。それだけで凄いのだ。
まあ俺に取り入ろうとする女を見ながら食べる茶菓子も悪くない。俺は寛大な男だから少しだけなら時間を取ってやろうか。
猫撫で声で笑いかける女は嫌いだが、それだけ俺が凄いってことだからな。仕方がないのだ。
わざわざ約束の場所の庭園に足を運んだ所、今回の婚約者候補はそこにはいなかった。
「はぁ?!この俺を待たせるなんて有り得ないぞ!!」
これまで数多のお見合いには不本意ながら参加してきたが、待たされると言うのは初めてだ。ふつふつと怒りが湧き上がる。
向こうの家のメイドが焦ったように言う。
「セレスティアお嬢様はまだ準備中でして……」
そう言ってクッキーを机に置くメイドに俺は舌打ちをした後、それを食べ始める。
まあ、このクッキーは悪くない味だな。今度うちのコックにも作らせよう。
それからクッキーの皿が真っ白になった頃、ようやく例のセレスティア・ヴァニラがやってきた。
どんな女だ、と思ってじっと見つめる。
腰まで伸びた髪は地味な亜麻色だし、
藍色の瞳は意地が悪そうに少しつり上がっている。美人ではあるが、俺の婚約者には全く不相応だ。
「はじめまして。私、セレスティア・ヴァニラですわ」
俺の機嫌を伺うように見つめてくる瞳。ああ、こいつも同じかと内心舌打ちを打った。
…こいつも、俺に媚びへつらう女たちと一緒だ。
そんなこと来る前から分かっていたけれど、何故だか胸が痛くなった。
「うるせぇな、俺に媚びへつらってんじゃねえよ」
毎回女たちとのお茶会では俺がこの言葉を言って、女たちが泣き喚き怒りお開きになるのが恒例の流れとなっていた。
今回もさっさと終えたい。俺は手に持った残り1枚のクッキーを食べ終えると、仕方ないからクッキーだけはもらってやろう、と皿を持って言った。
「おい、いいからクッキーのおかわり」
さっさと動けよ、もうお前に用は無いんだ。という意味を込めて睨む。
すると女は固まった。面倒くさい、きっと泣くのであろう。俺が追い打ちをかける言葉を続けて言おうとしたとき。
「うわ、有り得ないんですけど」
この女、セレスティア・ヴァニラはそう言ったのだ。
その瞬間自身の心臓の鼓動の音を感じた。
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俺はその日、初めて人生で叱られたのであった。
これ以上ない怒りが体から湧き上がり、口が勝手に罵倒する。けれど女は窘めるように言った。
「どうこうもありませんわ。貴方は公爵家として以前に人としてのマナーがなっていないように見えましてよ」
俺がルーデンス家の息子だと伝えても。
「あら。そういうことなら私だって、ヴァニラ家の一人娘、セレスティア・ヴァニラですわよ」
と、女は態度を変えなかった。
俺はあまりの衝撃に今まで機能したことのない涙腺が緩むのを感じた。
ルーデンス家の威厳も何もなく、みっともなく泣き出す俺。
女は慌てたようにおれを慰める。なんだよ、やめろよ。惨めになるだろ。
俺の脳みそは初めての「弱っちい自分」に驚いていた。
そんな「弱っちい俺」の頭を女、もといセレスティア・ヴァニラは撫で言ったのだ。
「貴方はルーデンス家の将来を担う重要な人物です」
……と。
その言葉を言われた衝撃は今でも忘れられない。俺はルーデンス家に生まれた、それだけで1番だと思っていた。ルーデンス家に生まれた者としての役目なんて考えていなかったのだ。俺は頭がガツン、と殴られたようだった。
すると、ずっと女が子供を慰めるように俺の頭を撫でていたことに気がついた。
するとじわじわと何か違う感情が湧き出てきたのだ。
俺はこの女に興味が湧いた。
何故ならこの女は俺の瞳を通して「ルーデンス家」を見ていない。他の誰でもない「俺自信」を見ていたのだ。
いつもの俺なら不敬だ、と徹底的に潰すところだが、この女とのお見合いは引き続き行うこととした。
俺は何故かすっかり怒りが収まり、俺がいかに素晴らしいか、才能があるのか、という話をする。それを優しく肯定する女を段々と気に入っていったのだ。
いつもの媚びを売るような相槌とは違う、本気で俺の話を聞いている感じ。それがとても心地よかった。
自分でも驚いたのが、この女に先程クッキーを食べたのを詫びたことだ。俺が誰かに謝るなんて自分である俺ですら有り得ない、と思う。しかし、この女を見てると美味いクッキーを分けてやらなかったことに胸が苦しくなる。
「いいんですのよ、料理長のクッキー美味しいですものね。伝えておきますわ」
この女の優しい声色に先程撫でられた頭から全身へと段々熱を帯びるように熱くなる。
俺は無意識に「ティア」と女を愛称で呼ぶようになっていた。
「ティア」
この言葉を口にすると瞳に宝石を詰めたように見るもの全てがキラキラして、胸がケーキを食べたように甘ったるく重くなる。
その正体が何か俺には分からなかった。
分かるのは俺がティアをただ「欲しい」ということだけ。
帰りの時刻になったとき、俺はティアに婚約者になるように告げた。しかし、ティアは
「好きな人がいます!!」
と言った。この俺が断られるなんて有り得ない。俺はじわりと目頭が熱くなる。くそ、くそくそ!!会ったばかりの女にこんなに心が乱されるなんて!!
好きな人、とは俺より大切なのだろうか。
そいつは誰なのだろうか。
ああ、ブッ壊したい。俺とティアの邪魔をする奴が悪いんだ。そうだ、俺が間違う訳が無い。
━━━━━━だって俺は『ルーデンス家の将来を担うアレン・ルーデンス』だからな。
そして俺はティアは言った言葉を頭で反芻する。
「お友達でお願いします」という言葉を。
オトモダチ??トモダチってなんだよ。
俺の知らない言葉。俺は帰って母親に聞いてみた。母親は俺がその言葉を言った途端大層喜びこう言った。
「アレンさん。お友達と言うのは、心と心が繋がった何よりも深い存在なのです」
「だからお友達は大事にするのですよ」
「何よりも深い存在」そう母親は言ったのだ。
それは俺がなろうとしていた婚約者よりもずっとずっと深い関係と言うことなのだろう。
ということはティアはやはり俺が何より1番ということなのだろう。
「大事にする」とも言った。もちろんだ。
大事な大事なトモダチ。ティアは俺を大事にしたいから俺を婚約者じゃなくてトモダチにしたいんだな。俺はティアを分かってる。だってトモダチだからな。
ああ、そういうことか。やっぱりティアも俺を望んでいるんだ。ルーデンス家のアレンじゃない、この俺を。
すると気分が高揚し、人生で初めて『生きている』という実感が湧いた。
どくどくと脈打つ体に脳の中で笑うティア。
俺はこの日のために生まれてきたのだ。
この日のためにルーデンス家に生まれたのだ。
「トモダチ……トモダチかあ」
思わず笑うのが止められない。〝トモダチ〟
この座は誰にも渡さない。
俺がティアの唯一でティアが俺の唯一。その証明が〝トモダチ 〟
なのに
なのに、なのになのになのになのに!!
あの男は誰だ。長い前髪で目を覆う気色の悪い男。
ティアがいくら嫌がっても手を離さないアイツを見ていると、腸が煮えくり返った。
俺とティア……〝 トモダチ〟の仲を引き裂くアイツに生きている価値なんかないのにな。
そんな男に誑かされちまった可哀想なティア。俺が助けてやるからな。
「だって俺たち、『トモダチ』だろ?」