今日も今日とて、双子の兄妹。
「お嬢ちゃん、朝だよ」
私を大きく揺さぶるおば様……エミリーさんの優しげな声で目を覚ます。
うう、いつもより五時間程遅く寝た為爽快感は少ない。私は大きく伸びをした後、ベッドから起き上がる。
眠い眼を擦りながらエミリーさんの後を着いて行くと、ダイニングへ辿り着いた。
「朝ご飯はもう作ったからねえ。たんとお食べ」
「え、本当ですか!?何から何まですみません。……頂きます!」
其の儘木製のダイニングチェアに腰掛けると、スープと目玉焼き、パンがお皿に盛られて出てきた。
私は申し訳なく思いつつ、スープをスプーンで掬って口へ運んだ。出汁の味が染み出た優しい野菜スープだ、美味しい。
お次に目玉焼き……私の好きな半熟だわ。トロトロで大変美味だ。最後にパンを食べると、バターが染み込んでじゅわぁと口で溶けた。とても美味しい。
……あれ、さっきから美味しいとしか言っていないわよ私。随分と語彙力が低下したわね。
しかし、失礼ながらキールの食事に慣れた舌で他のものを食べられるのか……と思っていたが杞憂だった。キールが高級料理だとすれば、エミリーさんの料理はまるで『お盆に祖父母の家で食べる味』と言った感じだ。
お婆ちゃんの作った煮物美味しかったなあ……。しみじみと感傷に浸りながら飲む野菜スープは胃だけでなく心にも染みる。
ふと、エミリーさんがお皿を拭き、微笑みながら此方に振り向いた。
「どうだい?お嬢ちゃん」
「とっても美味しいです。有難うごさいます!」
「おお、そりゃあ良かったよ。お代わりもあるからねえ」
「……!」
野菜スープとパンのお代わりをした後、私はふと疑問が浮かびエミリーさんに尋ねた。
「そう言えばエミリーさんの言っていた『大事な人』は何処に?……確か明け方に来る予定でしたよね」
今は窓から映る景色から見るに、明け方はとっくに過ぎているようだ。
エミリーさんは思い出したように笑った。
「ああ、あの子は数時間前に帰って来てね、今庭でアンタの服を干してるよ」
「……え!?またしてもご迷惑をお掛けしてすみません……」
「いいのさ、いいのさ。あの子にはお嬢ちゃんが私の恩人だってちゃんと話しといたからさ」
「すみません……」
本当に申し訳ない。キールに後で謝ろう。
私はせめてものお詫びとして皿洗いをやろうと食器を持って洗面台のスポンジを手に持つ。
するとエミリーさんは慌ててそれを止めた。
「いいんだよお嬢ちゃん。アンタは何もせず過ごしていておくれ」
「え、でも……」
「ああそうだ、あの子に自己紹介でもしてきな、ね?」
「は、はい……」
あまりの圧に負けて私はとぼとぼと玄関へと歩いて行く。キールに謝って事情を説明したら、またまたご迷惑を掛けてしまうが屋敷まで送ってもらおう。
つくづく自分が情けないわ……。トホホ……。
玄関まで歩くと、ある事に気がついた。
「あれ、靴が無いわ」
この世界では前世における欧米的な文化が多くある。すると当然、靴は玄関では脱がずに履いたまま生活するのだ。ベッドでは流石に脱ぐけれども。幼い頃はそう言った文化ギャップについていけない時期もあったが、今ではすっかり慣れた。
そう言えば昨日ネグリジェに着替えてから靴を見かけていないわね。
うーん、と考えるがこの家は玄関を出ると直ぐに芝生があったと思いこの際気にしないことにする。
寝起きで頭が正常に働いていない私では、『エミリーさんに借りる』なんて発想が浮かんですら来なかったのだ。
私は玄関を開け、庭へと歩み出す。少しわくわくした気持ちと一緒に。
「やっぱり大丈夫ね」
芝生を裸足で歩くというのはなんとも言えない楽しさがある。さわさわと脚に触れる芝が擽ったくて気持ちいい。
実家では絶対に出来ないことだ。それに今世で初めてこんな事をしたわね。
何だか急に『自由になった』という事がリアルに感じて浮き足立つ。
空ってこんなに青かったっけ。風ってこんなに素肌に触れてくるっけ。お花ってこんなに綺麗だったっけ。
全部全部、あの宮殿を出たから分かる事だ。
今、レオはきっと仮の婚約者が逃げ出してどう思っているかな。
溜息をついて呆れているレオを思い浮かべたが、今の私にはもう関係がない事だ。
ひょっとして、ヒロインが来るまでの新しい仮の婚約者が出来ていたりして。それはそれで何だか虚しい様な気がするけれど。
「今度はちゃんと、幸せになってね。レオ」
 
友達はアレンだけだと彼と約束してしまったから、レオとの関係をどう言い表せば良いか、今の私には分からない。だから私は『元婚約者』としてレオを想って呟いた。
……破ったドレス等の弁償には目を瞑ってくれますように。
すると奥の庭から物音が聞こえた。きっとキールだろう。その音を辿って芝生を歩きながら進んでいく。洗濯物を干す物陰が、真っ白なシーツ越しに見えた。私はそれへ向かって駆け出す。
突如、大きな風が空を斬った。
目の前の洗濯物が揺れ、目が風で乾燥する感覚。思わず目を擦り、目を開けると先程の影の正体が居た。
私はキールへとお祝いの言葉を述べようとした……時であった。
「キール、ご結婚おめ……『貴女が婆ちゃんが言ってた命の恩人ですか?』……え」
「婆ちゃんを救ってくれて本当にありがとうございます……!」
「だ、れ?」
「すみません!自己紹介が先でしたね。僕はカイン・フィーネスト。エミリー・フィーネストの孫の一人です」
頭が真っ白になった。目の前に居る男性は、茶髪に焦茶の瞳。キールのものとはまるで違っていた。
私は口から言葉が出てこなかった。
エミリーさんが言っていた『大事な人』ってお孫さんこと?キールじゃないの?
ひょっとして……これは……。
「……違う家に来てしまった!?」
「おわっ、如何したんですか!?」
「御免なさい。少し取り乱してしまって……」
目の前の男性━━━━━━カインさんは心底心配したように私の顔を覗き込んだ。
若干私を引いているような気もする、辛い。というか、今まで私はキールの新居だから良いかという気持ちでご厚意に甘えていたが、人違いならとんだ迷惑者だ。恥ずかしすぎる、末代までの恥だわこれは。今の所末代が出来るかは定かじゃないけれど。
「この辺りじゃ見かけない顔ですが、どこから来たんです?」
「え、えーと。私家出してここまで来てしまって……」
カインさんは心配したように眉尻を下げた。
まだ会って間もないけれど、優しい人なのは伝わってくる。
よし、家出設定でどうにかひっぱろう。ああ、後日菓子折りを持って伺わなくてはいけない家が増えたわね。
本当に自分のおっちょこちょいにはウンザリだ。天下のセレスティアなのに……。
「差し出がましいのですが、家まで送って頂けないでしょうか……」
「すみません。婆ちゃんが言うには、事故が起きたせいで馬車の荷台は壊れ、馬は脚に怪我を負ったそうなんです。この辺じゃ他に家も無いし……」
「そ、それはどうしましょう。困ったわ」
そうだったー!!馬車壊れていたんだった!
現場にいたじゃないセレスティアのバカバカ!
可愛く脳内で自分に怒ってみても、この状況は全く可愛くない。
カインさんはまたまた眉尻を下げて酷く申し訳なさそうにしているので、何だかこちらがいたたまれなくなる。
「こんな小さな家で良ければ、馬車が治るまで泊まって行きませんか?」
「本当ですか!?でも、こんな素敵な家で泊めて頂くのは流石に申し訳ないです」
「あはは。貯金を切り崩して老後に暮らす婆ちゃんの新居を買った身としては嬉しいです」
「なんて祖母孝行なのかしら……」
勢い余って身を乗り出して言ってしまったが、本当にお世話になりっぱなしである。
というか、エミリーさんに新居を買ったのはカインさんだったのか。
前世で私が出来なかった祖母孝行をしていると知ると、途端に彼の背後から光が射して見える。今まで見た中でトップクラスの善人だ。
同年代のように見えるけれど、もう就職しているのかしら。
「そう言えば、エミリーさんから妹さんもいると伺ったのですが……」
「ああ、双子の妹なら裏で花に水をやってますよ。紹介します。……って、裸足じゃないですか!」
「はい、靴が見当たらなくてっ……うぇっ」
カインさんは私が裸足であることに気が付くと突然私の腰を抱いて姫抱きする。そして足裏に付いた芝をタオルで拭き出した。
逞しい腕に簡単に支えられてしまう。いくら筋トレをしていても、今の私はお腹が『ぷにっ』とするのだ。私の中のセレスティアとしてのプライドが恥ずかしくて死にそうだ。
思わず淑女らしからぬ声が出てしまったが、これには誰しもそうなるだろう。
「いやあの、本当に大丈夫なので。裸足が好きだからそうしているんですっ!」
「……そうなんですか?これは失礼しました!」
裸足が好きってなんだ。止めて貰う為としても、もうちょっとマシな嘘あっただろう私。
あれか、私は蛮族か何か?
でも無事地上に下ろしてくれたようで何よりである。流石に見知らぬ男の人とこんなに長時間話したのはあの三人以来なのだ、緊張してしまう。
カインさんもカインさんで、急に自分のした事(姫抱き)に照れ始めた。
「え、えっと……。それじゃあ、妹の所に行きましょうか」
「は、はい……」
何だか気まづい空気感の中、カインさんを先頭にして歩み出す。
あ、カインさんのズボン継ぎ接ぎになっている。所々解れていて、今にも破けそうだ。
タダで泊めて頂く訳にはいかないし、今夜にでも縫っていもいいか後で尋ねてみよう。
というか、今世で双子に会うのは初めてだ。やっぱりこっちの世界でも確率が低いのだろうか。
なんて考えているうちに、家の裏庭━━畑とガーデニングスペースに辿り着いた。
「おーい、アリア!ちょっとこっち来てくれー!」
カインさんが手を振った先には、彼と全く同じ髪色のセミロングの少女がいた。こちらに向かって笑顔で駆け出す少女は可愛らしい。
……ん?何か見覚えがあるような。
茶髪のセミロング……セミロング……。うーん、思い出せそうで思い出せない。
顔をもう一度見ると、彼女も此方を見て目を見開き驚いていた。
「どうしてここにセレスティア・ヴァニラさんがいるの!?」
ふと、頭の中に学園祭での記憶が蘇ってきた。
チョコレートの売店で私の前方で難癖を付けられていた少女━━━━━━━━━。
『何かお礼をさせて下さい!!』
『おかしいな、私同じクラスの人とは全員と友達のはずなんだけどな』
『いえ!!こちらこそお役に立てず申し訳ありません!!』
「貴女、あの時の普通科の女生徒……?!」
「まさかお婆ちゃんの恩人が貴女だったなんて……」
「私、今度こそお礼が出来ます!ね、ヴァニラさん!」
焦茶色の瞳をキラキラと輝かせる少女は酷く可愛らしい。というか、『お礼』という言葉に隣に居るカインさんまで瞳が輝き出したではなかろうか。
尊敬、という目線を全身から送って来る良く似た二人。私は二人に挟まれながら、『世間って狭いのね……』と明後日を見ながら考えていた。
 




