ある皇太子の帰還。
ティアとのふたりぼっちの生活から離れ四日目。いずれ自身が王位を継ぐことになる大国、『ビブリエット』から遠く離れた国で公務をこなす俺は、心身の限界が訪れようとしていた。
「レオナルド様、宜しければアフタヌーンティーは如何ですか?」
「いや、生憎満腹なんです。お心遣いありがとうございます」
「レオナルド様ー!初めましてわたくし『ターニャ家のご令嬢のアンネ様ですよね。すみませんが、俺は急いでおりますので。また今度』」
歩く度歩く度、寄ってくるのはこの国の地位が高い者ばかり。レオナルド、とファーストネームで呼ぶことを許可した覚えはないけれど。
派手な化粧に紅いリップ、目が痛くなる程チカチカしたドレス。これが公務でなければ無視をしている所だ。
……ティアはもっと薄化粧でリップは薄いし、素朴なドレスを好むのに。
誰と居ても、何処にいても、思い出すのはティアばかり。
本当にどこまで毒されてしまったんだ、俺は。
あと一日。あと一日でティアに会える。俺はその一心で公務に取り組む。
……と、励んでいたのに。
「レオナルド様は本当に見目麗しいですわ。女の私も思わず嫉妬してしまう程に」
「いえいえ、別に大した事などないですよ。貴女の方がお美しい」
「あら、お上手ですわ。……ねえ。今夜お暇かしら?」
「……すみません。大変魅力的なお誘いですが、未だ仕事を終えておりませんので」
そう言うと目に涙を張り硬直する少女。━━━━━この国の王女だ。まさか最終日の夜に『会食』とは名ばかりの見合いをさせられるとは。
俺には婚約者が居ると伝えて居る筈なのだが。少しリップサービスをするだけで頬を赤くするその女はきっと、俺と婚約させて国の繋がりを強くさせたいだけの国の道具に等しいのだろう。俺も同じようなものだから分かる。
本当は仕事は今日中に詰め込んで終わらせたが、早く滞在している部屋へ帰りたいから致し方無い。ティアに会うのに、仕事が溜まったままだと思う存分愛でられないだろうから。
俺はらちのあかない会話に痺れを切らし、ナイフとフォークを食べ終えたサインにして席を立つ。
「俺はこの辺りで失礼します。益々の互いの国の繁栄を祈っております。……では」
「……っ!お言葉ですが、貴方様の婚約者より私の方が相応しいのではなくて?」
その女が口にした言葉を聞いた瞬間、自分の中の糸のようなものが切れた感覚がした。ティアが、この女より劣っている?
脳内で言葉を反芻し、理解した瞬間笑いが込み上げてきた。
「ご冗談を。俺の婚約者は誰にも比べられない程美しく聡明で、それでいてとても優しいのです」
「……っ!ああもう良いわ、帰ります!」
笑みを浮かべて小さく手を振り見送るが、女は此方を振り向きもせず出て行ってしまった。
まず俺の権力目当てで近付いて来た時点で、君はティアには絶対及ばないよ。なんて言ってしまいたかったけれど、この立場はつくづく面倒なものだ。
というか婚約者が居ると知った上であんな事を宣うなんて余程性質が悪い。
女は自身を『俺に相応しい』と評価していたが、どの点を見て言った言葉がさっぱり分からなかった。
顔?性格?立場? 性格は言わずもがな、こんな小国の王女の立場など大した事など無いだろうに。
顔に関しては、この国の『妖精』と呼ばれる程だと小耳に挟んだのだが、全くもって妖精等では無かった。俺はブロンドの髪より亜麻色の方が好きだ。瞳は緑より藍色の方が良い。反対に言えば、それ以外は興味が無いとも言える。
あの女が妖精であればティアは何と評せばいいのだろう、なんて何時にもなく感情的になってしまった。
そうは言っても、ティアに不釣り合いなのは俺の方だ。
彼女に出会ってからは少し解消したけれど、性格は卑屈で。立場も皇太子と言うだけでそれに見合う器を持ってはいない。
顔だって、こんなもの不必要に人を呼び寄せるだけで何の得も無い。鏡を見ても俺が居るだけで、他の人間がこぞって言う褒め言葉の意味が分からない。
けれど━━━━━━ティアだけは他でもない俺自身を見てくれる。俺が誰であっても、認めてくれたのだから。
嗚呼。早く彼女に会いたい、滑らかな声を聞きたい、笑顔を向けられたい。
彼女に会うまで毎日朝を迎える事が嫌で嫌で仕方が無かったのに、今では心臓が高鳴って仕方が無い!
「プレゼント、喜んでくれるかな」
ティアは沢山のプレゼントを渡すと、困った様子で『こんなに貰えない』と言う。やはり彼女は変わっているな、なんて思う。
きっと今日出会ったどの女に渡しても、彼女達はあの甲高い声を更に高くして醜く喜ぶだろうけど。
だから今回のプレゼントは一点だけだ。優しい彼女ならきっと、喜んでくれるだろう。
誰かに渡すプレゼントが、自分の胸まで満たすのは後にも先にもティアだけだ。
俺は明日のティアを思い浮かべながら、眠りに落ちた。
翌朝目が覚めて、皇室専用の馬車に乗って。
朝食を食べていても、移動中でも、ずっとずっと彼女の顔を思い浮かべていた。
そして、五日ぶりに宮殿へと戻ったのだ。
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「……は?」
宮殿へ脚を踏み入れて最初に発した言葉はそれだった。自分でも驚く程に低く、地を這う様な声が思わず漏れ出す。
━━━━婚約者の女性が、失踪しました。
怯んだ騎士団員から慌てて告げられたその言葉。理解したくない言葉を勝手に脳が理解してしまう。
震える声を抑えつつ、その騎士団員に伝える。
「……誰がやった?」
自分では感情を押し殺したつもりだったのだが、その騎士団員は肩を震わせ飛び跳ねた。その目はすっかり俺に怯えきっている。
それに俺は怒りを募らせながら、もう一度尋ねた。
「誰がやった、と聞いているんだ」
「げ、現段階では未だ原因不明です!昨夜十一時過ぎ、他の騎士団員二名が婚約者様の部屋のドアが空いている事に気が付き、事態が発覚しました!」
嗚呼、脳が真っ白になる。ティアが居なくなるのはこれで二回目だ。
あの狂った男は牢屋に入れたと言うのだから、もうティアは安心して暮らせると思っていたのに。今度は誰だ、見つけ出して必ず骨の髄まで後悔させる。俺が考え込んでいると、目の前の騎士団員は震える声を張り上げ言った。
「あ、あと地下牢からアレン・ルーデンスも逃亡した模様です!!」
「……彼奴が?あの牢は一人では絶対に開けられない筈だが」
俺は一瞬、あの男がティアを連れ出したのかと勘繰った。けれどあの牢屋を抜け出す事など到底不可能。第三者が居ることは明白だ。
犯行が可能なのは鍵を持った護衛か。
「これはあくまで自分の意見なのでありますが!婚約者様はアレン・ルーデンスを逃がし、共に逃亡したのではないか『何言ってるの』……っ!」
「ティアがそんな事する訳ないだろ?自分を攫ったあの男を逃がすだなんて。まるで、」
━━━━━━━━━ティアが自分の意思で俺から逃げたみたいじゃないか。
「すっ、すみませんすみませんすみません。自分が間違いでした許して下さい本当にすみませんすみませんすみません」
男の顔を覗き込みながらそう囁くと、男は体格の良い身体とは裏腹に今にも泣き出しそうな顔で謝罪を繰り返し始めた。俺はそれを気にとめずに急いでティアと俺の部屋へ駆け出した。
普段『楽しさ』『嬉しさ』『悲しみ』『怒り』その他諸々の感情がいまいち掴めない俺が、本心から理解出来るようになる。それら全て、ティアのお陰だ。この煮え滾るような怒りも全て、ティアがくれたもの。
大丈夫、彼女はきっと見付けられる。
お姫様が魔物に連れ去られないように、俺は細工だってしたんだから。
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その部屋には、幾人かの騎士団員とメイドが居た。俺とティアだけの部屋にその他の人間が入っていることに、また怒りが込み上げる。皆俺が来たことを知ると、怯えながらバツが悪そうに下を向いていた。
そして、一人の騎士団員が何か黒い棒のようなものをおずおずと此方へ差し出した。
「靴の……ヒール部分です。恐らく発信機がある事を知って何者かが折ったのだと思われます」
ティアの靴には全て、ヒール部分に発信機を埋め込んである。これで何処に居るかが分かる手筈だと思い込んでいた俺は、言葉を失った。
これじゃあ本当に、彼女が今何処に居るかが分からないじゃないか。身体中から汗がどっとふきだし、頭痛がする。目眩で視界がチカチカと白黒に点滅して行く。それを心配したのか駆け寄ろうとしたメイドや団員達を部屋から追い出し、彼女の痕跡を探った。
俺が送った動き辛いドレスに踵が高く発信機を埋めた靴。
彼女が怪我をしないように刃物なんて置いていないキッチン。
全部全部、ティアの為だけの部屋。なのに、一番大切なお姫様が居ないなんてあっていい訳がない。
俺は部屋でただ独り、うわ言のように愛を囁く。ティアも、ティアを攫った奴も。絶対に俺が見つけ出す。
「王子様とお姫様は結ばれないと……ね、ティア」
ティアのハッピーエンドには、俺が必要で。俺の幸せな結末にも、ティアは不可欠だ。
可哀想に。可愛いあの子は今頃泣いてるに決まってる。俺は優しいから、何度だって君を見つけてみせるよ。幼稚な恋物語には全て障害があるよね?俺たちの愛はそんなものには収まらないけれど、これだって『障害』のひとつだろ?
身体中の怒りを揉み消すようにティアへの愛を募らせる。この全身が震える感覚は、怒りか愛か。或いはそのどちらもか。憎悪、嫉妬、悲哀、愛憎……。どの言葉でも表すことが出来ないこの感覚は、彼女がくれた俺だけの感情だ。これだって、誰にも渡してやるものか。
俺は手の中で、彼女に送るはずだったとっておきの指輪を握り締めた。
運命からは、逃れられないんだよ。ティア。




