ある下っ端騎士団員の話。
突然だが俺は、王国直属護衛騎士団の下っ端である。
いくら下っ端と言えど、大国である此処『ビブリエット』における騎士団である。だから有難いことに、他の仕事に就く同年代の人間よりは余っ程の給料は貰っている。
まあ並大抵の努力では入団することは出来ない。
大抵の団員は厳しい入団試験をクリアしないと剣を握ることなど到底不可能だ。
俺も29歳の春、やっと三度目の試験によって合格出来た。
が、そんなに難関な職場でも極稀に『神童』は居るのだ。
━━━キール・クラウド。なんと18歳にして騎士団からスカウトされた為、俺と同期である。
スカウト制度は騎士団が作られた年から数年に一度あるかないか、と言う程に珍しいものだ。
俺は素直に尊敬していたが、上の人達はそうは行かないらしい。
何でも器用にこなすアイツに仕事を押し付けては、嫌味を言う上司にはいつもうんざりだ。
アイツもアイツで嫌なら嫌といえば良かろうに、大型犬の様な人懐こい笑顔で了承して仕事をこなしてしまうものだから、余計におっさん達をイラつかせるんだろう。
……仕事がひと段落したら、飯でも奢ってやるか。
騎士団における『仕事』と言うのは、まあ民間が想像するものと大抵同じだ。
しかし、他国からの来客の警備、日々の鍛錬、宮殿内の秩序を守る……等々結構地味だったりする。
ましてや俺は下っ端だから、回ってくる仕事はほぼ雑用だ。
その俺が、まさか。
『皇太子婚約者の護衛』なんて責任重大すぎる仕事に着く事になるとは、夢にも思っていなかったのだ。
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「まさかキールが辞職するとはなあ」
「本当に驚いたよ。彼奴、結婚するんだって?チクショウ、美形は良いよな」
「まあまあ、お前も俺やクラウドみたくいい人見付けられるといいな」
「くそう、お前も世帯持ちだったか……!」
同じく下っ端の同期と大きな部屋の前で駄弁る。
元々はクラウドの仕事だったのだが、急に騎士団を辞職した彼奴のお陰で俺達に回ってきた、という訳で。もっと遡ると、上の人達がこの仕事には絶対就きたくないと無理やりクラウドに押し付けたものだ。
しかし、俺たちには何故そう思うのか心底不思議だ。
若い女一人護衛するだけ(それも室内は厳重警備)なんて、他と比べたら楽すぎる仕事だと思うんだけどなあ。
なんて考えていると、俺達のお互いの上司が部屋の前を通り掛かった。直ぐさま俺と同期は敬礼する。
「おお、お前たち。ご苦労さん」
「はっ!ご苦労であります!」
俺が声を張って挨拶すると、二人のおっさんは満足気に髭を撫でる。
すると不意に、眉を顰めて言った。
「まさかアイツ、騎士団を辞めるなんて言い出すとはな」
「その所為で俺達の仕事が二倍だよ、二倍」
……そう言えばこの人もクラウドをよく思って居ない人だったなあ。そこまで仲良く無いとは言え、同期を悪く言われると少し苛立つ。
それは隣にいる男も同じようで直ぐに話を逸らした。
「……あはは。そう言えばこの部屋にいる女性、どんな人なんでしょうね」
「お前たちも可哀想だなあ。それも皇太子の婚約者の護衛なんて……死に急ぐ様なものだしな」
「死に急ぐ?どういった意味でしょうか」
「……お前たちは知らなかったか。まあ、顔も見たこと無いけど、きっと大層べっぴんだろう」
そこから中年の男二人は『ルーデンス家の坊ちゃん』だの『監禁』だの聞きなれない話題で盛り上がっていた。
すると部屋の中から、誰かが駆け出す音が聞こえた。
婚約者の女性だろう、やけに急いでいるようだった。
そう言えば先程も彼女から扉に向かって話しかけられたような気がした。……まあ気の所為だろうけどな。
すると男達は俺たちの不可思議そうな顔に気が付いたようで、此方に向かって息を潜めて話し始めた。
「お前たち、皇太子と話したことはあるか?」
「いや、無いですけど……」
「じゃあ、俺らが今から此処で言うことは墓場までの秘密な」
「は、はい」
何時になく真剣なその瞳に、俺と同期の男はゴクリ、と喉を鳴らした。
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お前ら、ルーデンス家の坊ちゃんが皇太子様の婚約者を誘拐した事は知っているか?
……それも知らないのか。まあお前たちはもっぱら雑用係だもんな。
……詳しい説明を省くと言葉の通りだ。俺たち騎士団は『きっと連れ戻しに行かされるんだろうな』程度の認識で居たんだが、それは大きく裏切られたんだ。
元々、皇太子は人前に姿を表さなかっただろ?
何十年宮殿にいる俺ですら見た事はなかった。
だが、その日から皇太子は変わった。初めて彼の顔を見て、声を聞いたんだ。
『俺の婚約者が連れ去られた。一刻も早く探せ。……失敗したらどうなるか、分かるだろ?』
そう言った皇太子の姿を俺達は一生忘れられねえ。
それは、今まで戦ってきたどんな強え漢よりも。はたまたどんな肉食獣よりも。
恐かったんだ、凄く。自分より一回り以上離れているのにな。
だけどその顔は今迄見たどんなものよりも美しかった。その声を聞くと、男の俺ですらぼうっとした。
そこから俺たちは返事をする事さえ忘れて只管婚約者を探しに探したさ。……まるで皇太子の駒になったように。
そこでその婚約者の屋敷のメイドに逃げ出した先の心当たりを聞いたら、泣きながらこう言ってたんだ。
『お嬢様はきっと、自分の意思で逃げ出したのです』
ってな。
俺は、『やっぱりな』って思ったよ。あの美しい人から逃げる為に女は自分から出て行ったのだと思った。
だって皇太子は━━━━━彼の綺麗な紫色の瞳には、絶対に逃がしてやるかという『執着』が写し出されていたからな。
そこから、ルーデンス家に乗り込んで婚約者と坊ちゃんだけを攫ってった訳だ。
此方は宮殿と言えどルーデンス家は公爵家だ。まさかお宅の息子を牢獄にブチ込むなんて言えないから、あくまで『仕事』という建前も伝えたさ。
この宮殿の大罪人だけが入る地下の牢獄に今も居るだろうさ、婚約者を攫った悲劇のヒーローがさ。死んでるのか生きてるのかは知らねえけど。
……おいおい、お前ら顔が真っ青じゃねえか。話はまだまだあるぜ。
そこから今日まで、もう一度だけ仕事で皇太子に会ったんだが全く変わっていた。
あの日の冷酷な瞳を持つあの人は無くなっていたんだ。人を牢獄にブチ込んだなんて信じらんねえくらい、綺麗な笑顔の美青年さ。
一体どれが本当のあの人か、俺には検討もつかねえ。
そこから皇太子は元々宮殿内に用意させていた婚約者専用の部屋に、外側しか開かない鍵を付けた。
お前ら、間違っても開けてみようとか思うなよ。
次はお前らが牢獄行きさ。はっはっ、……え?笑い事じゃないって?悪い悪い。
調度品の用意も俺たち騎士団の仕事だったんだが、その全てが皇太子が選んだオーダーメイドの特注品だった。
はあ、一体俺らの給料幾ら分なんだろうな。っと、それでよ。大量のドレスやら靴やらは皇太子自ら見繕ったんだがな。
不自然な程に動きにくい物だったり、全ての靴に高いヒールを付けたり……。
極めつけは━━━━━━━━━━。
その全ての靴のヒール部分にな、発信機が取り付けられてるんだよ。中に埋め込められてさ。
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その言葉を聞いた時、絶句した。
隣を見ると同僚も同じような顔をしていたから、考えて居ることは俺と同じだろう。
何も言葉を発さない俺達に、今の話を語った男二人は同情するような目線を送った後、
「お前らには目をかけてるから話したんだ」
「今の話、他言したらお互い首が飛ぶからな」
と釘を刺して踵を返して行った。
……ひょっとして、先程ドア越しに聞こえた声は気の所為なんかじゃないのか?……彼女の『助けて』と言うメッセージだったのか?
そう思うと悪寒がした。ただ、自分よりも幼いであろうその女性が感じている思いを想像するだけで、ただただやるせなくなった。
 
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その三日後の夜まで、俺と同僚はどこか空元気を出して護衛をしていた。彼女からのSOSのような声掛けやドアを叩く音はあの日からさっぱり聴こえなくなった。
深夜十一時前、一人のローブを深く被った金髪の男が扉の前に近づいて来る。
「……お疲れ様さまっす!」
「おお、クラウドか。お前今日から新居に行ったんじゃなかったっけ?」
「なんだ、忘れ物か?」
「あはは、そうなんすよお。……大事な花嫁兼妹を忘れてきたんす……よっ!」
突如、同期の男は呻き声をあげて倒れた。
俺が混乱している間に、首元に何か硬く冷たいものを押し当てられる感触。
「ゔ、ああぁ!」
身体中に鋭い電流が駆け回る。ビリビリと首を中心に痺れが廻った。その場に倒れ込む。
まだ意識だけはあるのか、上目でキールを見る。
「よし。……セッちゃん、褒めてくれるかな」
彼のその甘ったるい笑顔を見た時、『今までの笑顔は作りものだったのか』と気がついた。
友達になれるかもしれないなんて、思っていたのは俺だけだったんだな。
其の儘、キールは俺の懐から鍵を奪い取り部屋を開けた。
薄れゆく意識の中、一人の亜麻色の髪を持った少女が心配そうに俺を見つめる幻覚を見ていた。ああ、この子が皇太子の婚約者か。
そして彼女は俺と同僚のポケットに何か入れた後、キールと共に歩み出す。……その後ろ姿を見て、俺は何故だか笑っていた。掠れた声を振り絞る。
「ははっ、ヒール、折ってん、じゃん。……良かった、な。こんど、こそ。逃げ、られ……て」
その声は誰にも届かず、俺はとうとう完全に気絶したのだった。
翌朝、宮殿内はかつてないほどに緊迫した状況になっていた。
『皇太子の婚約者がまた逃げ出した』『ルーデンス家の息子も牢獄から消えた』なんて言葉があちこちに飛び交った。
幸い、当日護衛をしていた騎士はキール・クラウドという事になっていたので(辞職が急だったこともあり)
俺と同期は何も処罰が下されなかった。
皇太子があと数時間で公務から帰ってくる。この状況を知った彼がどうするかなんて、俺にはもう分かりきっていた。
団服のポケットの中のオパールを握り締める。顔も見た事が無い皇太子が、どうかあの子を手放すようにと願った。
騎士団の下っ端くん(29)
情に厚い常識人で、キールのことは『同期以上友達未満』くらいに思っていた。
下っ端だが真面目に働くため、騎士団の上の人達に結構気に入られている。目を覚ましたときに同期と自分のポケットに入っていたオパールはきっとあの子が入れてくれたのだと分かった。が、誰にも言う予定はないし、売る予定もない。
『どっかで幸せに生きてるといいな』と思っている。
 




