キール・クラウドの〝家族〟 1
オレの人生のはじまりはひとつの孤児院だった━━━━━━━。
オレには両親がいない。
祖父母もいない。姉も兄も、妹も弟もいない。
血の繋がりなんてものは存在しなかった。
物心ついた時から小さな孤児院で暮らしていた。
暮らしていたと言っても、そこでは到底人間に対する扱いを受けていなかった。
劣悪な環境、金儲けの為の慈善活動。
次々と死んでいく名ばかりのオレのきょうだい達。
オレは幼いながらに自分はここに捨てられた、不必要な存在なのだと悟った。
名前なんて無かったオレは、孤児院にあるビリビリに破かれた絵本の中の登場人物の名を名乗ることにした。
それがオレ、『キール・クラウド』のはじまりだった。
腐ったパンにコップ一杯の水。それが毎日の食事であった。
「あ、あの……」
「何?まさか足りないなんて言わないわよね?」
「ちっ、違います!」
「だよねぇ、あたし達は親に捨てられたゴミ同然のあんた達を支援する優し〜い大人たちだもんね」
どれだけ叩かれたか、殴られたか、蹴られたか。そんなことは覚えていない。
同じように捨てられた他の子供たちは、限られた食事の奪い合いをして殴り合う。
地獄のような環境だった。
ある日、孤児院の埃を被った窓から群衆のパレードを見た。きらきら、ちかちか。幼いオレはその光景に直ぐ釘付けになった。
皆笑って良い服を着て、美味しそうなものを食べて踊り合う。
そこには愛しそうに子供を抱き抱える大人もいた。きっと『家族』だろう。
親が子を見つめる瞳の優しさは、初めて見るものだった。胸の奥がきゅうっと痛くなる。
いいな、ずるいな。オレも欲しいな。
どれだけ願っても絶対に叶わない願いであることなんて、分かりきっていた。けれどそれを間近で見たい、オレも皆と踊りたい。なんて想いを抱いて一目散に広場へ駆けた。オレを止める孤児院の大人たちの声を振り切って。
息を切らして広場に着いたオレは、絶望した。
「ママ〜、なんであの子あんなにボロボロで汚いの?」
「……キャッ!アニー、あの子に近ずいたら駄目よ!貧乏が移るわ」
「……っ!」
先程の母親はオレから隠すように自分の子供の目を塞いだのだ。
街のはずれの小さな孤児院で暮らす親に捨てられたオレ。そんなもの、愛される方が間違っているのだとこの時初めて知った。
街の皆のオレを見る表情は、嘲笑と嫌悪。
オレに家族がいないから、愛されることも愛すことも出来ないんだ。
そんな時、一人のピエロがこちらへ玉乗りをして近ずいてきた。
「ヤッホー!!……ウワッ!転んじまった!オイラって何でこんなにドジなんだろ〜」
「アハハ!ママ、ピエロさん面白い!」
「うふふ、そうね。アニー」
玉の上に乗っては転ぶピエロ。滑稽な姿に皆笑っていた。俺への冷たい目線はそのピエロへの笑いへと変わっていったのだ。
ピエロはオレと同じくボロボロで泥だらけなのに、周りの態度は全く異なる。
オレはその日、『人に愛されるにはどうすれば良いのか』を知った。
それを実践してみると、目に見えて効果が分かった。
毎日オレに暴言を浴びせ殴っていた女が、段々とあからさまにオレへの態度を変えていったのだ。
「孤児院のオネーサン、いつもオレのご飯作ってくれてありがとうっす!でもオレ、偶にはケーキも食べたいな…」
「え〜、もう仕様がないわねぇ。他の子達には内緒よ?」
「嬉しいっす〜!!オレ、オネーサン大好き!」
「あたしもキールのコト、好きぃ」
少し言葉使いを変えて、媚びを売ったらこのザマだ。オレは笑いが止まらなかった。
あのピエロが俺に教えてくれたのだ。
愛されるキャラクターで居続ければ、皆オレを愛してくれるのだと。
その孤児院で愛される為に料理も武術も洗濯も全て独学で勉強した。女達にはオレが成長して行くにつれ甘ったるい視線を向けられ、身体を求められた。
それに全て応えていくうちに、日に日に吐き気を催すようになった。
女達がオレに『恋をした』『愛してる』なんて言う度に、オレは恋愛というものが大嫌いになっていった。
周りの兄弟はどんどん死んで行ったけれど、オレには関係ない。
「だって、あんなの『家族』じゃないっすもん」
どれだけ沢山の女に好かれて愛されても、それはオレの上辺だけを見て言っているのだ。
『ボロボロで弱っちい、家族に捨てられたキール』のときはオレに酷いことをしていた人間が、『優しくて私を愛してくれるキール』になった瞬間変わった。
そんなの、愛なんかじゃない。
オレの求める愛はただひとつ。あの日広場にいた親子のような関係。
そう、『家族愛』だけなんだ。
家族愛とはつまり、無償の愛。オレがどんなに汚くて酷くて気持ちの悪い人間でも愛してくれる、そんな愛。
時が経ちオレが18歳になった頃には、オレの剣術の噂を聞きつけた騎士団がオレをスカウトしに孤児院へやって来た。
オレがその誘いを断る訳もない。18年育った孤児院にしたくもない感謝の言葉を述べ、王国直属の騎士団へと入団した。
オレの剣術が誰かの役に立つなら、ひょっとしたら本当に愛してくれる人が見つかるかもしれない。なんて淡い期待を抱いていた。
そこで一年程過ごしても、オレに『家族』と呼べる存在は出来なかった。
男ばかりの空間に現れた軽薄でヘラヘラして居るだけの役に立たないオレ。
街の女達からチヤホヤされているのも後押しして、騎士団の団員は皆オレを嫌った。
「いいよなぁ、オマエはヘラヘラしてるだけで女が寄ってきてよ。全然役に立たねぇ癖にな」
「ははっ、オレなんか全然っすよ。先輩の言う通り全く何もできないっすもん」
「……チッ、なんか萎えたわ。皇太子様の婚約者の護衛、オマエやっとけよ」
「分かったっす!ゆっくり休んでくださいっす」
騎士団の料理に洗濯、大半の仕事はオレへと回ってくる。でも、それでいい。
一番辛いのは誰にも見て貰えなくなるときだ。けれどこのままオレには一生、家族なんてできないと思って生きていた。
「えー!キールくん恋人いないの?……じゃあ私とかどう?」
「オネーサンにはオレなんかじゃ勿体ないっすよ」
「きゃあ!キールくん最高!」
「ねー、キールくん私とも遊んでよお」
「……勿論っすよ!」
街を歩くと声を掛けてくる女達。
甘ったるい声。派手な服。腰に手を回してくる手。
気持ち悪い、気持ち悪い。怖い、怖い。
そんな感情を押し殺して相手が喜びそうな言葉を取り繕う。愛や恋、恋愛に恋人と言った言葉が嫌いになって行く日々。それでも尚、オレは笑顔と甘い言葉を囁き続けるのだ。
そうすれば皆、オレを愛してくれるから。
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『あの』皇太子に婚約者ができた。勿論そんな噂はたちまち宮中で話題となった。
しかしその姿を誰も見た事がないと言う。
騎士団の団長からそんな噂の人物の護衛にオレが任された。それはきっと、何か失態を犯したときに自分が殺されない為だろう。
その婚約者はきっと大層偉そうな女なのだろう、と予想していた。
国の王妃となるのだから当たり前だ。きっとオレに寄って来る女達のように、皇太子に媚びを売ったのだ。
しかし、そんなオレの予想は裏切られた。
顔を合わせないようにメモで会話をするようになると、その女が変な奴だと言うことが直ぐに分かった。
全く婚約者であることを仄めかさないし、自慢もしない。
それに加え、オレの作った料理の感想を送るようになったのだ。(オレが作ったことは知らないだろうが)
名も知らない女に自分の作った料理が褒められただけで、オレは心の奥に変な感情を抱いた。はじめてだったのだ。自分の作った料理を喜んで食べてくれるなんて。
それに、珍妙な掛け声がドア越しに聞こえてきて久々に素で笑ってしまった。
その日からオレは『婚約者の護衛』という仕事に居心地の良さを感じていた。
騎士団で仕事を押し付けられ、二日間ロクに食事をとっていない日のことだった。
オレはその女の口車に乗せられ彼女の食事を食べてしまったのだ。
その時、女のほくそ笑む声がドア越しに聞こえた。きっとオレを皇太子に突き出して罰を与える気であろう。
……なんて考えたが、またしても予想は裏切られる結果となった。
女がこれを黙っている代わりにだした条件は『話し相手になれ』というものだった。
自分のことを『セッちゃん』だと名乗る女。
オレが婚約者と知っていることに気が付いていないのであろうか。
まあオレが知っていることを悟らせるな、という上部の命令があるので有り難いことなのだが。
女は口で、オレはメモで話していくうちに
普段は絶対に漏らさない職場の愚痴を零してしまった。慌てて訂正しようと筆を走らせていると、女はこう言ったのだ。
『え!?朝から晩まで私の部屋の前で護衛してるの!?貴方一人で!?!?最悪じゃないその騎士団……いや、悪いのはこの宮殿ね!!』
「……っ!」
その言葉の意味を理解した瞬間、オレは自分の目頭が熱くなったのを感じた。
これはきっと、ずっと仕事をしていたから疲れていただけだ。
そう自分に言い聞かせても止まらない涙。
せめて女に気づかれないように声を押し殺して泣いた。
その後も女と会話を続けたが、『もっと知りたい、知って欲しい』なんて思ってしまった。
そうしていると女のいる部屋の方から何かが割れる音と、女の悲鳴が聞こえてきた。
その時、何故かオレは一目散に『絶対に開けるな』と何度も口止めされていたドアを開けてしまった。
そこに居たのは━━━━━━━━。
亜麻色の長い髪に、藍色の瞳を持つ気の強そうな女。
オレの胸はばくばくと高鳴り、頭は沸騰したように熱い。
はじめての感情に困惑しながらも、オレが女が婚約者であることを知っているのを悟らせないように必死で取り繕った。
話している間も、目を逸らすことができない。この女が、いやこの子がオレのために怒ってくれたんだ。
そう思うとなんとも言えない幸福感が脳を支配した。
気が付けば、こんな事を口走っていたのだった━━━━━。
『やべー、超タイプっす』
初めて本心から女の子に伝えたその言葉。
それに驚く目の前の『セッちゃん』を見て、胸の高鳴りはもっと早くなる。
この気持ちの正体は知らない。知りたくもない。
 




