今日も今日とて、料理長(仮)。
私がショックを受けた顔をしているのを見て、キールが慰めるように片手で私の頭を撫でた。もう分かりきっていた事なのに胸が少し苦しい。
「大丈夫。もう俺と言う兄が居るんすから」
「……っ、どうして私が皇太子と婚約している事を知っているの」
そんなこと簡単っすよ〜とキールは朗らかに笑う。重い話の筈なのに彼の表情は何処か嬉々としている。
「前々から、『皇太子に婚約者ができた』って噂はあったんすよ。……誰も見たことはないのにっすよ」
そのままキールは話を続ける。その表情は冷たい声と裏腹に愉しげだ。
「んで、俺が『皇太子サマの婚約者護衛』の役割についたっす」
「……っ、知っていたの?」
「メモでやり取りしてる時からずっと知ってたっす。……皇太子サマにはそれすら悟られないようにしろって言われてたけどね」
私の脳内で今までの謎が更に深まるのを感じた。……レオは私の存在を周囲に知らせていたの?
けれどもやはり、それがセレスティア・ヴァニラであることは伝えていない。
考えれば考えるほど沼に嵌ったように思考が沈んで行く。
目の前のキールがその琥珀色の瞳を三日月のように歪めて微笑む。
キラキラと輝くその色とは裏腹に、ドロドロとした感情が読み取れる気がして思わず身体が固まる。
そしてキールは私を抱き締め右耳に囁いた。
「君を妃として利用する為に、皇太子サマはここにセッちゃんを監禁してるんすよ」
「かんきん??」
かんきん……『監禁』??
思わぬ言葉に思わず目を丸くしてしまう。
もしかして部屋から出てはいけないというルールを知っていて、それを勘違いしているのであろうか。
「やだわ〜お兄ちゃんったら。これは監禁じゃなくてお飾りの婚約者を世間にバレないようにする為よ」
「……。セッちゃん今までよく詐欺に騙されず生きてこれたっすね」
キールは眉を顰めて私を非難するように言葉を発した。
詐欺師に会ったことは無いし、これからも会う予定は無い。私がヘラヘラ笑っているとキールは唐突に言った。
「まず俺たちに『皇太子が婚約者をここに閉じ込めてる』ってことがバレてる時点でこんな事する必要なんて無くないっすか?」
「た、確かに……」
その発想はなかった。確かに婚約者であることを隠すのならば周囲に存在を伝えないし、伝えるのであれば私が部屋から出ても大丈夫な筈だ。
やはり、どのような意図があるのかは読めない。私が思い詰まった顔をしていたからであろう。キールは唐突に立ち上がった。
「妹の元気を取り戻すのは兄の役目っすよね!」
そう言ってキッチンへと駆け出すキール。
私はリビングに置きざりにされてしまい、一人ただ呆然とソファへ座っていた。……紅茶でも飲んで落ち着こう。
そこから十分ほど経ったときだ。
キールが「お待ちどうさまっす〜」と朗らかに帰ってきた。
両手にはトレイを持っている。あんなにお皿が乗ったものを両手で運べるなんて、凄く器用なのね。
「なんだか、美味しい匂いが……」
「ふっふっふ、じゃじゃーん!」
そう言って私の目の前のテーブルに皿を置いていく。
彩り鮮やかなサラダに、大きな海老が添えられミートソースと和えられたパスタ。
そして極めつけは見るからにとろとろのプリン。
これは、ひょっとして……。
間違いない。この彩り豊かな見た目に食欲をそそる匂い……。
これは、ここに来てから毎日私の食事を作っている料理長(仮)が作ったものよ!!
わざわざ頼みに行ってくれるなんて、キールと料理長(仮)の優しさが嬉しい。
「私の為にシェフに料理を作って貰ったの?嬉しいわ」
「違うっすよ、俺が今作ったっす」
「……え?!」
!?!?完全に料理長(仮)の料理じゃない!
それに『今』作ったって言ったわよね。
十分程度しか席を外していないのにここまで本格的なフルコースが作れる訳が無いわよ。
私が疑いの視線を向けていると、キールは弁明するように手を横に降って答えた。
「流石に十分しかないとこの程度のものしか作れなかったっす……」
「いやいや、こんなに豪華なものをそれだけの時間で作れる訳ないわよ」
「え?騎士団だとこの十倍の量を三回に分けて作らなきゃならないっすよ」
「え」
じ、十倍の三倍だから……。
ええと、ええと。私は両手の指を曲げて数える。……三十倍!?
一応名誉の為に言っておくが、学園の座学の成績は上の方である。
私は驚愕する。毎日このレベルの料理をざっと三十人前は作っているって事よね。
「それにセッちゃんの料理は毎回オレが作ってたし、こんなん楽勝っすよ!」
「ええ!?」
今の私の顔は鳩が豆鉄砲を喰らったような無様なものであろう。
だがしかし、あの素晴らしい料理の数々がキールの手によって作られていたなんて……。
私がプルプルと震えているとキールが不安げに形の良い眉を下げた。
「セッちゃん?……ひょっとして嫌いなものでもあったっすか?」
「……す、す」
「『す』?」
「凄すぎるわ!!是非この料理のレシピとコツを私に伝授して欲しい程にね……!!」
私のお腹のお肉の敵でもあるその料理の主を目の前にして、私は思わず興奮して手を握った。
平民暮らしの嫁になるには料理スキルは高ければ高い程良い。こんなに美味しい料理を短時間で作れたら将来の旦那さんも喜ぶであろう。
キールはぎょっと信じられないものを見る目で私を見つめる。が、気にせず話を進める。
「私の家の料理長の料理もそれはもう素晴らしいものだったけれど、あんなに美味しい料理は初めてだったわ!……それに料理だけではなくお菓子まで」
「こ、こんなの普通っすよ。……騎士団のセンパイ達には不味くて食えたもんじゃないって言われるし」
「それは可笑しいわ!!失礼だけれどその騎士団の団員の方々は味覚に異常をきたしているのではなくて!?」
ふぅ……。はっ!気がつけば早口で語ってしまった。
我に返ってキールを見るとがばっと効果音がつきそうなくらい強く抱き締められた。
「えっちょっとキ、じゃなかった。お兄ちゃん!?!?」
「はじめて、言われた。……こんなこと」
キールは私を抱き締めたまま硬直している。
私はなんと声をかけたらいいか分からない。が、少し気づいたことがあった。
「ひょっとして貴方、この喋り方が素なんじゃないの?」
「え。……やだなーセッちゃん、オレはオレっすよー!素とかないっす!」
「……なら良いんだけど」
そう言ってにぱっと笑うキール。
キールは気持ちが高ぶっているとあのチャラい話し方ではなくなる。
ひょっとして、と思ったが本人が詮索して欲しく無さそうだし聞かないでおこう。
「そういえばセッちゃんってやっぱり良いトコの娘だったんすね。家に料理長がいるなんて」
「ええ。悪いトコの娘では無いわよ」
ふふん、私の家(お母様、お父様にメイド達)を褒められて悪い気はしない。
まあ、皇太子サマに誑かされてるとはいえ婚約者になるくらいっすもんね。とキールが明るい声で言うとふと真顔でこちらを振り返った。
「でもその話、二度としないでね」
感情の籠ってないその顔は酷く冷たくて、思わず返答をするのを忘れていた。
……やっぱりキールには二面性があるような。
「セッちゃんの家族はオレだけっすから」
そう言って私の頭を撫でるキール。何故だかその姿がアレンと重なって見えた。
私は目を服の袖で擦る。……?似てもいない二人を『似ている』と思ってしまった、何でだろう。
私が黙りこくっていると、キールは「ささ、食べましょっ」と笑顔で私の両肩を掴みソファに座らせた。まだ納得いかないところもあるが、こんなに美味しそうな料理たちの前ではそんなもの無いに等しい。
私は本能のままにフォークを掴んだ。
もぐもぐ。もぐもぐ。
口の中で咀嚼する度に、脳細胞が喜ぶ声が聞こえる。
言っておくがこれは誇張ではない。事実である。
麻薬並に美味しいわね……。いや、麻薬を見たこともないのだけれどね。
そんな私の様子を見つめるキール。
その視線はまるで妹を見つめるかのように温かい。
けれど……。いや、やっぱり思い過ごしね。
今は目の前の料理を味わうことが何よりも優先よ!!




