今日も今日とて、お茶会。
私は頭でうーんと唸り考える。この状況をレオに見られることは無いんだし、まず誤解を解くのが先よね。
キールの美しい顔は怪我をしているかのように歪み、琥珀色の瞳に涙がうっすらと膜を張っている。
「取り敢えず、座って話をしましょう」
私が宥めるようにそう言って戸棚からポットを取り出すと、キールはおずおずとソファに腰掛けた。
無言のまま鼻水を啜る音だけが後ろで響く。
キールがこんな状態だし、メモを出さなくても紅茶くらい私一人で入れてもいいだろう。
そう判断した私は戸棚に入っているいくつかの缶を取り出す。
その中から私は『ラベンダー』と書いてある缶を見つけ、中の茶葉をポットに規定量入れた。
心が疲れているときには温かい紅茶(ラベンダーなどのリラックス効果があると尚良)が良いのだ。
お湯を注ぐとラベンダーの優しい特徴的な香りが鼻を擽った。
キールはきっとブラック騎士団で多忙な生活を送っているせいで疲れているのね。
私の護衛という仕事のせいでもあるから、即ち私の非も少しある。何かしてあげなければと思うのは普通のことだ。
でもキールの淹れた紅茶の方が美味しいに決まっているけれどね。
そろそろ頃合かしら。薔薇が描かれている高価なティーセットのカップに慎重に注ぐ。
そして私は後ろにいるキールへ振り返って尋ねた。
「紅茶にミルクや砂糖は入れるかしら?……え?ちょっ、どうしたのキール!?」
私が尋ねた瞬間、キールの右目から一粒涙が溢れた。え、え!?私はまさかの展開に焦る。
「オレ……なんで泣いてん、すか」
当の本人も目を見開き狼狽えている様子だ。何で泣いているのか自分でも分からないのだろう。
それを私に聞かれてももっと分からないわよ。
私がキールの背中を摩ると、キールは嗚咽を出して泣き始めた。
そして言葉が途切れ途切れになりながらも私に言う。
「優しく、されるのなんて、初めてなんすよおっ」
ぐしゃりと顔を歪ませそう言うキールは、私が想像していた『チャラ男イケメン』なんてものではなかった。
ただひとりの、哀しい人。
私がブラック企業に勤めて三ヶ月ほど経った頃、
身も心もすっかり疲弊していた。
1度だけ、祖母が一人暮らしをしている私を訪ねに来たことがあった。
「あんなに小さかったのに、もう貴女も社会人なのね。」
「はは、そうだね……」
私が空返事を返す。すると私の疲れに気づいたのか気づいていないのかは今となっては分からないが、おばあちゃんが私の両手を強く握った。
そして、目をギョッとさせて驚く私にこう言ったのだ。
「貴女は昔から優しい子だったからねえ。きっと、社会に出ると辛いことも沢山あるでしょう。でも、全部背負わなくても良いのよ。貴女が思っているより、世界は貴女に優しいもの」
私はこの言葉を生涯忘れなかった。ただ、握られた手の温もりと懐かしいしゃがれ声が優しくてわんわんと声を上げて泣き始めた。
急に泣き始めた私におばあちゃんは驚きもせずに泣き止むまで背中を摩ってくれた。私は慣れていない優しさに心が驚いてしまったのだ。
きっとキールもそうなのだろう。
そう思うとなんだか放っておけなくて、私は務めて優しくキールに笑いかけた。
「疲れた時は美味しい紅茶と話し相手に限るわよね。……冷めないうちに、召し上がれ」
「……っ!ほんとにもう、セッちゃんは……」
私がラベンダー茶が入ったカップを差し出すとキールはそれを一口飲んでほっと息をついた。
何処か安心したような顔になっていて私も安堵する。そこからずっとその紅茶を喉に流すキールのカップはすっかり空になっていた。
「キールが淹れたものには劣るけれど、おかわりがあるから好きなだけ飲めばいいわよ」
「そんなことないっす!!……オレが飲んだ中で一番、いっちばん美味しいっす」
「ふふ、お世辞が上手いのね」
お世辞でも『一番』を強調するキールに、私は思わず嬉しくなってしまった。
そこから私がカップに三杯目の紅茶を注いだ頃には、すっかり見慣れた彼へと戻っていた。
「それで、そこの騎士団のおっさん達ってば俺に全部家事やらせるんすよお……」
「まあ、それは酷いわね。キールの優しさに甘えているのよ」
「……さっきから思ってたんすけど、『キール』じゃなくて『兄ちゃん』でしょ」
「あ、……そ、そうよねっ!……お、お兄ちゃん」
嘆きながら私に愚痴を零していたキールが急に真顔でそう言うので思わず怯んでしまった。
しかし、この歳でお兄ちゃんとはやはり少し気恥しい。
私が応えるとキールは喜びを噛み締めるように笑った。
「うぅ、やっぱり『お兄ちゃん』は恥ずかしいわね」
「いや、めちゃくちゃ可愛いっすけどね。」
私が照れているとキールはうーんと悩む素振りを見せた後こう言った。
「……あ!!じゃあ俺が弟になって『姉ちゃん』って呼べばいいんすよ」
「!?!?……キールが、おとうと……?」
『名案だ!!』とでも言うかのようにキラキラした瞳でこちらを見つめるキールに、私はただ頭が混乱していた。
え?誰が誰の弟?キールが私の?
考えれば考えるほど宇宙に迷い込んだ猫のような虚無顔を脳内で繰り広げてしまう。
「えっと、ちょっと待って。それだと年齢の関係が可笑しくのだけれど……」
「大丈夫!オレ、セッちゃんと家族になれるなら関係なんて何でもいいっすもん!!」
母ちゃんでも婆ちゃんでも良いっすよ!!と元気に答えるキールに私の心に深く傷が刺さった。
え?私、そんなに老け顔……?
童顔ではないと思うがそこまで老け顔だったなんて知らなかった。
前世年齢と今の年齢を足すと子供一人居ても可笑しくはないだろうけども!!……つらい。
この際、母親は百歩譲って良いとしよう。
婆ちゃんって!!……一体キールには私がどう見えているのだろうか。
もし私が祖母だったとしても、孫がこんなにピアスバチバチの金髪なんて心配すぎる。
それにブラック企業に勤めてるなんて心配の度を越す自信しかない。ごめんね、前世のおばあちゃん……。
「お、お兄ちゃんで大丈夫よ……」
「そうっすね!それが一番可愛いし」
それが一番可愛いと言うことは、キールはお婆ちゃんや母さんにも『可愛い』と思うのだろうか。
思わぬ所で熟女好きを知ってしまった。
あれ?キールの好きなタイプって『ボインのねーちゃん』じゃなかったっけ?
あ、ボインのおば様方が好きなのね……。人のタイプに口を挟むことは失礼だし、ノーコメントだ。
私がキールの騎士団の制服である黒を基調とした隊服のポケットがみちみちと詰まっているのを発見した。何枚もの手紙だろうか、ポケットが悲鳴をあげている。
「そのポケットに入っている手紙はどうしたの?大分詰められて居るけれど」
「……ああ、これっすか。そんなに面白いものじゃないっすよ」
冷たい声と顔でそう吐き捨てるキールは直ぐに笑顔を作って私に「ささ、お茶が冷めちゃうっすよ!」と言った。
むむ、はぐらかされてしまった。
しかしその手紙が何なのかはおおよそ検討がつく。
名探偵セレスティア・ヴァニラには何でもお見通しなのよ!!
その手紙の封を閉じている赤いハートのシールでね!!
ふふふ。キールもなかなか隅に置けないわね。
照れ隠し、もう少し上手くなった方がいいわよ。
「セッちゃんは悩みごととかないんすか?嫌な奴がいたら俺が殴り殺しにいくから、遠慮なく言って欲しいっす」
「そんなこと言われたら遠慮しかできないわよ……」
悩みかぁ……。お腹にお肉が付いてきたこと、なんて淑女である私は絶対に言えない。
悩み、悩み……。あ!
「大切な人から手紙で『もう会わない』と遠回しにいわれてしまったこと、かしらね」
アレンのことである。私は心の片隅でずっとそのもやもやが残り続けていた。
キールはアレンと歳が近いし同性だから、いいアドバイスが貰えるかもしれない。
「それって、セッちゃんの家族?」
「?いいえ、友達よ」
また先程のような冷たい声を発するキールに友達だと伝えると、キールはぱあっと明るい表情で笑った。
「なーんだ!なら心配無いっすよ。友達なんて家族の足元にも及ばないっすから。そんな奴、もう会わくていいっす」
「え、でも私は会いたいのよ。目を離すと危なっかしいし」
キールのその言葉が引っかかる。友達も家族も、比べるものではない。どちらも大切なのだ。
「友達とか恋人は星の数ほど作れるっすけど、家族は作れないんす。……どれだけ願っても、絶対にね」
「ど、どうしたの……?」
キールは冷たく、自嘲するように笑った。
私が見つめる急に私の頭を優しく撫でた。
「セッちゃんには、オレって言う家族が居るんすから。……そんな奴、捨てちゃいなよ」
「……っ、キール!!」
そのまま甘い声で耳元で囁くキールの胸元をぐっと押す。
けれどもやはり、ビクともしない。私が睨むと
「だから『兄ちゃん』。……っすよ」とキールが無表情で言う。
なんだか少しだけキールが、怖い。
言い表せない恐怖が私を襲う。話題を変えよう、そう思った私はポットを片手で掴んだ。
「お、おかわりは大丈夫……?」
「あ!ちょうど欲しいと思ってたっす。やっぱりセッちゃんは気が利くっすねぇ」
ほっ、良かった。元のキールだ。
私がほっと胸を撫で下ろすと二人分のカップに紅茶を注いだ。
再び紅茶を飲むキール。……今日だけで飲みすぎじゃないだろうか。胃がタプタプになるわよ。
あれ?なんで私キールと紅茶飲んでるんだっけ?
ああ!!忘れていたわ!!
「それで、私が皇太子に誑かされてるって言っていた件は……!?」
「……!そうだったっす……。オレが絶対助けてやるっすからね!!」
「絶対誤解してるわね。私、誑かされてなんかいないわよ」
「嘘はダメっすよ!!だって……」
━━━━━━あんな冷酷王子が婚約者を作る筈無いっす!!
……へ?『冷酷』?レオが?
イメージと全く違うわね。レオはもっとこう……。
ふわふわ、って感じだけれど。
あ!人違いね!!なんだ、キールってばうっかりしてるわね。
私が安心していると次に発したキールの言葉に耳を疑った。
「この国の皇太子、レオナルド・アーサーは誰にも心を開かないって騎士団の中で有名っすよ!!」
「え?誰にも、心を開かない……?」
キールの言葉が理解出来ず、繰り返して私が言う。キールは勢いよく頷いて私の両手を握った。
「セッちゃんは優しいから、王子の策略に気が付かないだけっすよ」
さくりゃく。私は頭でその言葉の意味を理解しようとする。が、出来ない。
私との婚約はやはりレオが私を愛しているからでは無いと、信じたくなかったのだ。
ああやはり、私の自惚れね。




