今日も今日とて、お兄ちゃん。
つい反射的に声が漏れたが、「タイプ」とは私の思ったあのタイプのことであろうか。
所謂、好きなタイプ……。確かこの人メモには『ボインのねーちゃん』が好きって書いてあったわよね。確かに私の胸は控えめではないが特別大きい訳でも無い。
きっと違う意味でのタイプだろう。
というか、リアルで『~っす』を地で行く人だったのか。キャラが濃いなあ。
私が混乱していると、彼が視線を下へやったまま私に弱々しく尋ねる。
「え、えっと……。俺、キール・クラウドって言うんすけど、君の本名は……?」
髪型と顔はチャラい系のド級イケメンなのに、何だか話し方は途切れ途切れで緊張しているのが此方にまで伝わる。
待て、本名を言っていいのだろうか。
いや、レオの迷惑になってしまうだろうからここは無理にでも『セッちゃん』で通すしかない。
「私の名前はセッちゃんよ。本名はご想像にお任せするわ。……えっと、キール?」
「うっ……!」
イケメンは唐突に左胸を抑えると、益々顔を赤くした。自分でも何が何だか分かっていないように見える。私が大丈夫?と小首を傾げると、パクパクと口だけ動いた。……大丈夫では無さそうだ。
倒れた私を助けに来てくれたのだし、お礼はしなきゃね。
「……折角だし、一緒にお茶でもしない?」
「へぁっ、は、はいっす!!!!」
物凄く大きな声で返事をするキールに何だか笑ってしまう。本当にどうかしたのかしら?
私がティーポッドを戸棚から出そうとすると、「お、俺がやるっす!!」と言われたのでお言葉に甘えることにした。手馴れた様子で紅茶をティーカップに注ぐ所作が美しい。どうやら今日のおやつはマドレーヌのようだ。私はお皿を二枚取り出すと、そこに丁度半分の数になるよう並べる。
「まあ、美味しい……!!キール貴方、紅茶を淹れるのが上手いのね」
「……!へへっ、騎士団の中での家事はオレの役目っすからね!」
飼い主に褒められた犬のように顔を輝かせるキール。チャラ男の外見とは裏腹に後輩気質のようだ。
その後先程メモで話したたわい無い会話をするうちに、段々とキールも落ち着いてきたようだ。
バクバクとマドレーヌを頬張っている。
何だか、前世の弟を見ているみたいだなあ。
ブラック企業で忙しくても、もっと会いに行けばよかった。
むむ、そう言えばキールも仕事がブラックだと嘆いていた。心配である。私はキールにおずおずと尋ねる。
「……その騎士団ってブラックなのよね?」
「ぶらっく??どう言う意味っすか?」
「ええと、業務内容が明らかに多かったり、上の立場の人から酷いこと言われたり……とか?」
私がそう言うと、キールは酷く不思議そうに首を傾げて言った。
「??そんなこと当たり前じゃないっすか」
「え、え、え??」
まって、そんな純粋な目でこちらを見ないで……!!私は前世の記憶を思い出してつい彼に自分を重ねてしまう。これはマズイ、マズイぞ……。
きっとこのままだと彼も私のようになってしまう。
それまでにどうにか辞めさせてあげたい。そうしないと、彼はきっと……。そんなの駄目よ!!
私は感情的になって叫ぶ。
「いい!?そんな環境は可笑しいわ!!キールが辛くて苦しい職場なんて辞めてもいいのよ。貴方は今までよく頑張ったわよ。……けど、少しくらい休んでも良いのよ……」
「……え」
私は言い終えると涙がポロリと出てしまった。
それに困惑した声を漏らすキール。前世の地獄を思い出してつい感情が昂ってしまった、恥ずかしい……。
きっとキールもドン引いてるき決まってるわ。
だって急に目の前の人間が泣き出したら誰だってギョッとするだろう。
チラリとキールを見てみると、彼の右頬も濡れている。
「ど、どうしたの!?……ごめんなさい私、余計なこと言っちゃったわよね」
自分の仕事場を貶されたら誰だって嫌だろう。
私がした事は最低ね……。私が急いでハンカチを差し出すとキールは首をブンブンと振りながら言った。
「それは違うっす……!!オレ、誰かに優しくされるの、久しぶりで……」
「!?!?」
その言葉を聞いた瞬間、凄く胸が苦しくなった。
前世の私も人の優しさに飢えていた。きっと彼もそうなのであろう。私は気付けば、いつもアレンにしていたように彼の頭を優しく撫でていた。
「よしよし、大丈夫よ」
「……っ!!オレ、多分セッちゃんより歳上なんすけど」
キールは顔を真っ赤にしながら、私にそう言った。
素直に撫でられない所が本当に弟ソックリだ。私は生暖かい目で撫で続ける。
「あら、いくつなの?お酒が飲めるってことは、……18かしら??」
「19っす!!セッちゃんは??」
「私は16歳よ」
「まじっすか!?……てっきり18くらいだと思ってたっす。……じゃあオレの方が兄ちゃんっすね」
そう言ってキールは照れ笑いする。
この国では18歳が成人と見なされ、お酒も煙草も解禁される。
というか、遠回しに『老け顔』と言っていなかったかこの人。まあ私は優しい悪役令嬢だから許してあげよう。あ、そう言えば老け顔で思い出したわ。
「……そう言えば、先程の『オバちゃん』って私のこと?」
ふと疑問に思ったことを口に出せば、顔を真っ青にしたキールは慌てて訂正する。
「だって趣味が盆踊りと食べることなんて、ばーちゃん達と一緒っすもん!!」
「それを言うなら貴方だって仕事の後の一杯と休暇じゃないの!貴方だって充分おっさん趣味よ!」
「セッちゃんもオレの事おっさんだって思ってたんすか!?」
私が思わず反論するとキールが驚く。というかこの世界に盆踊りという文化が合ったのか。そこは乙女ゲーム世界、もはや何でもありである。
パチリと目が合ったらすぐに逸らされてしまった。……おっさんと間違えられて怒ってるのかしら。流石に一杯はともかく休暇がおっさんは言い過ぎたかしら……。
「流石に言い過ぎたわね『あの!!!』……?どうしたの」
私の言葉に被せてキールが大声で言った。その端正な顔は耳まで赤く染まっている。
「オレ、初めてセッちゃんを見たとき『天使みたいな子だな』って思って……。でも話してみたら、本当に天使だったんすね」
「て、天使!?」
今キールが何と言ったのか、咄嗟に理解出来なかった。数秒後、やっと理解した私は驚愕する。
て、てんし……。何度頭で反芻してもしっくり来ない。どちらかと言うと悪魔じゃなかろうか。
「オレ、こんな優しい子と話したのも初めてで……。女の子ってもっと腹黒くて、自分の為なら手段を選ばないものだと思ってたっす」
私は驚愕する。まさしくそ!れ!が!私セレスティア・ヴァニラよ!!!!
『腹黒くて手段を選ばない』。え、わざと言ってる?ってレベルで私の事じゃないの!!
しかし、キールは私の目をじっと見つめている。
その輝く琥珀色の瞳の奥に何かドロリとしたものを感じて一瞬背筋が凍った。
「下心無しでオレなんかを心配してくれる人なんて初めてっす……。やっぱり、君は天使っすね」
そう言ってうっとりするキール。ひょっとして私今、チャラ男に口説かれているのだろうか。
ああ〜、なるほどなるほど。これはナンパか。
そう思うとすんなり受け入れられた。もしくは、冗談で笑わせようとしてくれているのか。
じゃあ私もそれに乗っかっておこう。
「うふふ、キール。良い口説き文句ね」
「へ!?く、口説くなんてそんな、烏滸がましいっすよ……」
「烏滸がましいって??そう言えば先程『超タイプ』とも言ってたけど何のこと?」
「それは、セッちゃんがドンピシャの好み過ぎてつい、言っちゃったんすよ……!……でも、こんなに心が綺麗な子、オレが好きになっちゃダメっすよね」
何だかよく分からないけど、キールはその甘いマスクのチャラ男系イケメンのお顔とは裏腹に、自尊心が限りなく低いことが分かった。
意外である。こんなにイケメンなら女子達にはモテモテであろうし、ナルシストになっても可笑しくないのに。
「……せめて、君みたいな子が家族だったら良かったのにな」
そう言って長い睫毛で目を伏せたキールの顔が、酷く悲しげで私は焦る。
きっと、ブラック騎士団で毎日しごかれて気も可笑しくなっているのだろう。
私はキールに酷く同情して気付けばこんな事を口走っていた。
「……私で良ければ、貴方の妹だと思ってくれて良いのよ」
「……っ!いいん、すか。俺なんかが、兄ちゃんで」
キールは再び泣きそうな顔で私を見つめた。
何でそれだけでここまで喜ぶのかはよく分からないが、私は微笑んで言う。
「『キールなんかが』では無くて、『キールが』いいわ」
━━━━━━それに私、ひとりっ子だから。ずっとお兄ちゃんが欲しかったの。
するとキールは端正な顔立ちをへにゃりと歪ませて笑った。それは、泣きそうな……でも酷く嬉しそうな笑顔だった。
「じゃあ、オレは今日からセッちゃんの兄ちゃんっすね」
そう言って私の頭を撫でるキール。良かった、元気が出たみたいね。私はホッと胸を撫で下ろす。
……でも16にもなって頭を撫でられるのは、少し恥ずかしい。私が小さく睨むと、キールはもっと強くわしゃわしゃと撫でてきた。
すると私はある事に気が付いた。
「あ、そうだ。先程割れてしまったガラスを片付けないと『駄目っす』……え?」
「セッちゃんの指が切れたらどうするんすか、そんな白い指に傷なんて付けられないっす」
そう言ってキールは私を止めると、箒とちりとりを片手に素早く片付けた。
屈んだ時にチラリと見えたのだが、右耳に二つ、左耳に三つのピアスを付けている。
ひえ、チャラ男だ……!!
しかしそれすらも自分の魅力に出来るなんてつくづくイケメンは得だと思う。
もし来世があるなら、前世の記憶を持たないイケメンになってみたい。
きっといくら願っても意地悪な神様は叶えてくれないだろうけど。
しかし、片付けるキールのそのあまりの速さと正確さに私は驚いた。
「すごいわ……!!キール、あなた掃除もできるのね」
「『キール』じゃなくて『兄ちゃん』っすよ。……セッちゃんは俺の妹なんすから。それに、妹が怪我なんて俺、耐えられないっす」
その琥珀の瞳がギラギラと私に圧を掛けてきて、私はたじろぐ。きっと妹が出来てちょっとテンションが可笑しくなっているのだろう。
私は素直に呼ぶことにした。
「……えっと、お兄さ『兄ちゃん』……お兄ちゃん」
妥協してお兄さん、と呼ぼうとしたが直ぐに訂正されてしまった。恥ずかしいが、ブラック企業産の人間をこれ以上辛い目に合わせない為だ。
羞恥をひたすら我慢しよう……。
「ええと、……お兄ちゃん。そろそろレオナルド様が帰ってくるから、帰って欲しいのだけど」
「!!もうそんな時間っすか!?セッちゃん、ちゃんと夜ご飯も沢山食うんすよ、あと歯磨きもちゃんとするっす。あと……」
一応、レオとの関係は秘密だから『レオナルド様』と呼ぶことにした。
私に何度も小言を垂れるキールを無理やり扉と外へ押し出し、「また明日!」と言って扉を閉める。
ふう、何だか疲れたわね……。でもキール……じゃなかった、お兄ちゃんの元気が出て良かったわ。
全く、この歳で兄ができるなんて人生何があるか分からないものである。
でも、レオとの約束を破ってしまったのもまた事実。
これは不可抗力であるが、紛れもなく約束を二個とも破ってしまったのだ。よし、どうにかして隠し通しましょう。
と、心に決めるのであった。
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琥珀色の瞳を持つ男は広い廊下で小さく呟き続ける。
「セッちゃん、……俺の、唯一の家族。初めて俺自身を必要としてくれた子」
その美しい瞳はまるで溶かした蜂蜜のようにドロドロと甘い。
それは決して、妹に向けるようなものでは無かった。
男は、自身が初めて感じる胸の高鳴りも、高揚する気分も……家族愛と信じ込む。その愚かさに気が付く人間はこの場には居ない。
あるのは、自分が今日見つけた天使へ向けた、
独占欲と愛情だけであった━━━━━。




