今日も今日とて、宮殿。
目が覚めた私の目に入ったのは、見知らぬ天井であった。
真っ白な壁にルビーが装飾された黄金のシャンデリア。
ここ、どこなの!?
私は急いでベッドから飛び起きる。うわ、このベッドふっかふかだ……。
思わず二度寝したくなる衝動を抑えつつ、辺りを見回す。
白を基調としたロココ調のソファや机。
そこにローズクォーツが埋め込まれている所から女の子らしさを感じられる。
宝石を薔薇の形に加工して装飾されたクローゼット。
その中には軽く三桁程のドレスや靴、ネグリジェが入っていた。
その全てがシルクが使われていたり、珍しい染料で染めてあるなどの高価すぎるものだ。
まるで、少女が夢に見るお姫様のような部屋であった。
頭が冴えてきて、段々と昨日のことをはっきりと思い出していた。
きっとあの後レオがここへ連れてきたのであろう。
ということは、ここは宮殿の中!?
私は叫んでしまいそうな衝動をグッと堪えた。
偉いぞ、私。いや、抜け出した癖にあっさり捕まった時点で全く偉くないけれど。
窓から外を眺めてみると美しい庭園が見える。
真っ赤な薔薇に、白い薔薇……。見渡す限り薔薇が広がっている。なんて広大な敷地なのだろう。
その中でも一際目立つのが一本だけ植えてある青色の薔薇の木であった。
ここは五階ほどの高さにある為、生身で降りることはほぼ不可能であることが分かる。
私が窓の外を眺めていると、コンコン、とノックする音が聞こえた。
振り返ると、絶世の美男レオナルド・アーサーこと私の婚約者のレオがいた。
こちらに向かって歩きながら、私に微笑みかける。
「お早う、ティア。今日も綺麗だね。ほら見て、太陽がティアの美しさに嫉妬して雲に隠れているよ」
よく朝っぱらからこんな口から砂糖を吐く程の甘いセリフが言えたものである。
しかし、『綺麗』と言う言葉に顔が赤くなるのが止められない。今の台詞を翻訳してみる……『今日は曇りですね』ってことね。内容自体は全く健全だ、勘違いしそうになる自分を戒めなければ。
私は火照る顔を抑えて平静を装いつつ、レオに尋ねる。
「えっと、今の状況を説明してくれると助かるのだけれど……」
「ああ、そうだね。まずティアの家には『婚約期間の男女によくある些細な仲違いでティアが家出した。もう解決したから心配するな』と伝えて、向こうも納得していたから安心して」
ほっ、と胸を撫で下ろす。これ以上家に迷惑は掛けられない。
これでお母様やお父様、メイドも安心したであろう。
今まで心配かけてごめんなさい、と心の中で謝る私にレオは言葉を続ける。
「あとティアの首に付いていたセンスの悪い首輪はもう外したよ。跡になってはいないようだけれど、痛みが合ったり不調を感じたら直ぐに言ってね」
「あっ、気付かなかったわ……!」
首元を触ってみるともう違和感の正体は無くなっているようだった。どうやって解いたのだろうか。
力づくで引きちぎったのかな。
どう見てもレオがそんな筋肉ゴリラのようなことをやってのけるようには見えない。
私がまじまじと見つめていると、レオはニコリと微笑み言った。
「ということで、もう心配事は無いよね。さて、朝食にしようか」
「……ちょっと待って、アレンは無事なの?」
今一番重要な所はそこである。
少し頭のおかしいところもあるが、私の大切な友達なのだ。それに危害を加えられたとしたら、いくらレオでも許すことは出来ない。
じっと見つめる私にレオはまたも微笑みながら言う。
「……。あのまま置いて行ったけれど、致死量の毒じゃないから2、3日すれば元の体調に戻るんじゃないかな」
「本当なの?!……良かったわ」
不自然に数秒の間があったが、どうやら無事のようだ。本当に良かったわ。私のせいでアレンにケガや後遺症を負わせてしまったら、彼にもルーデンス家にも会わせる顔が無い。
『ちっ』。あら、今何か聞こえたような。
舌打ちのようなものが聞こえた気がするが、今この場には私とレオしか居ない。
きっと空耳ね。それとも鳥の鳴き声かしら?
あの優しいレオが舌打ちなんてする訳無いものね。
昨日『殺す』とか物騒なことを言っていた気もするけれど、それも気の所為だったのね……。
そうこうしている間にレオが机の前のケータリング用の台車を引いて大きな机に皿を並べていた。
……今のレオって皇太子だったわよね?
皇太子に朝食の準備をさせているなんて誰かに見られたら斬首では済まないだろう。
私は急いでレオから皿を取り上げ叫ぶ。
「レッ、レオナルド様!私が支度しますので、ソファにお掛けになっていて下さいませ!」
「あはは、そんな堅苦しいのはやめてよ。ティアの前では『皇太子』の俺じゃなくて、素の俺で居たいんだ」
レオは口元は笑っては居るが、目が笑っておらず黒く淀んでいる。
これはきっと地雷ワードなのだろう。瞬時に理解した私は「そっ、そうね。レオ」と慌てて訂正する。
しかし、こうして見ると嘘と本当の笑顔の差が分かりやすい。
そんな事を考えている間に、いつの間にか食事の用意が整っていた。
レオって、本当に何でもそつなくこなしてしまうから凄い。きっと才能以上に本人が努力しているのだろう。
もぐもぐ。もぐもぐ。
このスコーン、外はサックリ中はふんわりで美味しすぎるわ……!
このイチゴジャムが甘さが控えめで、スコーンの本来の美味しさを引き立たせているわね。
バターもすっきりとして、それでいて濃厚なコクがある。
私はすっかりレポーター気分で、脳内で食レポを披露してみる。
「……っ、あははっ。ごめんティア。美味しそうなティアを見てるとつい」
そう言って、レオは心底可笑しそうに笑った。何だか前もこんなことがあった気がするわね。そんなに面白い顔をしていたのか。少し恥ずかしい。
それよりも、私は気になることがあった。コホン、と態とらしく咳をすると私は彼にこう言った。
「貴方、やっと本心から笑ったわね」
「ティア、いつも俺は心から笑ってるよ」
「嘘おっしゃい。先程私が敬語を使った時、作り笑いしていたでしょう」
私が指摘するかのように人差し指をレオの顔の前に突き立てると、レオは目を大きく見開いた。
……どうしたのかしら。
レオも朝食の美味しさに感動したのであろうか。
このスコーンの美味しさならいくらでも語れるわよ、私。
「はは、お見通しかあ。……やっぱり俺には、ティアしか駄目だ」
「えっ」
こんなに美味しい朝食よりも、私が作った食事の方が良いなんて何だか照れてしまう。
お世辞と頭では分かっているが、やはり嬉しい。
レオ、学園で私が昼食を作っていた際も美味しそうに食べていたものね。
いやでも、このスコーンには完全敗北である。
ここまで経験の差が出ていると、逆にレオに気を遣わせてしまったのかと不安になる。
私がバクバクと一心不乱に料理を食べ進めていると、レオは急に黙っていた。
どうしたのか、と思って手は止めずに彼の様子を観察していると、レオは急に真剣な声色で声を紡いだ。
「ティアにはお見通しだから、もう誤魔化さないよ。……俺さ、腸が煮えくり返る程に嫉妬してる」
「……んぐっ!げほっ!ごほっ。……失礼したわね。それで、嫉妬って何のこと?」
急に真剣な目で見つめられてつい口の中の料理達が噎せてしまった。急いで水で流し込む。
顔の造形美のせいなのか、目が合う度に心臓が鳴り止まない。というか、嫉妬とは一体何の話なのかしら。
「嫉妬は嫉妬だよ。生易しく表現するなら、焼きもちってことだね」
スラリと言ってのけるレオ。
その声色は表情と違ってとても柔らかい。誰が?誰に対して?何で?といった疑問が私の顔に出ていたのであろう。
レオは表情が抜け落ちた冷たい、氷のような視線で私を射抜いた。
「俺があのルーデンスの男に対して嫉妬してる。……俺のティアとキスまでしてさ」
そう言って頬を膨らませるレオに、私は母性が芽生え始める感覚がした。あら?レオってこんな性格だったっけ?なんて少し疑問を憶えると同時に、弁明するように立ち上がって両手を思い切り横に振った。
「あっ、あれは不可抗力よ!アレンも私もその気は無いの。アレンは少し友達との距離感が分からない子なのよ」
「俺、凄く傷付いたなあ……」
アレンとは本当にお互いその気がないのだが、まるで浮気現場のように言われると何だか弁論しづらい。
まずはアレンと私が、いかに友達が少ないかについて話すべきかしら。
悲しげに目を伏せるレオを見ていると、良心が血反吐を吐くまで殴られる錯覚を覚えた。
「ご、御免なさい。婚約者が居るのにキスは駄目よね。でも、あのときはほぼ婚約者休止期間の様なものだったし」
私が必死に弁明しようとしても、レオの表情は暗くなるばかりだった。
圧倒的に私が悪いことは私自身が一番よく知っているから、何を言っても墓穴を掘るだけだ。
しかしここまで美しい人が悲しんでいる様子は、心に何か重く伸し掛るものがあるわね。
「レオ、本当に御免なさい。私に出来ることがあったら何でもお詫びするわ」
「本当に、何でも?」
「ええ、本当よ」
私は頷いてレオを見つめる。レオは先程とは打って変わって、笑った。まるでその言葉を待っていたかのように、取ってつけたような笑顔で。
「じゃあ俺との結婚式は三ヶ月後でいいかな?」
え、結婚式?
結婚式、結婚式……『結婚式』?!
いけない、いけない。あまりのパワーワードに理解に時間がかかってしまった。
いや、婚約者との結婚式は普通の事なのであろうが。今の私には死刑宣告と同じなのである。
このセレスティア・ヴァニラのバカバカ!
何相手の罠に引っかかっているのよ!
脳内で私に往復ビンタを食らわす。と同時に私は必死で断る理由を探す。
「……あっ!!この国では確か男性は18歳以上にならないと結婚は認められないわよね?レオ、今私と同じ16歳でしょう?」
「ティア、俺がいつ16歳なんて言ったの?俺は18だよ。……やったね。これで俺たち晴れて結婚だ」
な、なんと。レオは二つ歳上だったのか。てっきり同じ新入生だと思っていた。というかレオが何故普通科クラスの制服を着ていながら、普通科クラスの生徒に知られていなかったのかの謎も解けていない。
今はそれどころでは無い。私はまた頭をフル回転させて考える。ええと、ええと……。
次の言い訳は……。
「わ、私の家柄なんかじゃ、皇太子の貴方とは釣り合わないと思うわよ」
「え、逆にヴァニラ家より高い爵位で俺と同じ年頃の娘のいる家ってある?」
ヴァ、ヴァニラ家の地位が高いせいでー!
自分の家柄が良過ぎることに対して憤りを感じるのは前世を思い出したとき以来である。
私がポカーンと口を開けている間にその会話は変わっており、もうこれは決定事項なのだと悟った。
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「ティアが言ってたこのバター、隣国の妃が手ずから育てた牛の乳で作られているらしいよ。そこの王は相当な愛妻家だって有名なんだ」
その後もレオはニコニコと色々な話をしてくれたが、正直私の耳には入ってこなかった。たった前世23年、今世16年生きてきた私の脳では処理することが出来なかったのだ。
……いや、まだ若いからね。足さなければ。
そして、レオはあっと何か思い出したような声を出し言った。
「俺の父にはもう許可を取ったから、安心してね」
あと、国民への発表はもう済ませたから。
レオはまるで、天気の話をするかのように続けてそう言った。
何の許可かはもう聞かなくても分かる。それに何の発表かも直ぐに理解した。
もう遠い目をするしかない。
私は、自分の平穏ライフへのルートが目の前の美しい人によってバッキバキに折られていることに今更気付いたのであった。
因みに、『隣国の王と妃』とは過去に短編で書いた『田舎の酪農家少女、激重王子から逃げられない』に登場する二人のその後です。(*´ω`*)
二人はあれから王と妃となり沢山の牛たちを仲睦まじく育てています。
お暇があればそちらも読んで頂けたら幸いです。( *´︶`*)




