第三話 アキお嬢様
「日村ヒム子!?変な名前!」
小学生というのは、無邪気に思ったことをそのまま言う生き物だ。そのままの感想が防弾ガラスの心にストレートで入ってくる。防弾ガラスも同じところを突けば割れてしまう。
たしかに、オレの名前は変だ。こんな事になるなら、もっといい名前を付けておけばよかったと心から後悔している。
「ねぇ!ヒム子、よろしくね!」
滝音家の御次女アキお嬢様が突然右手を向けてきた。
無闇に思ったことを口に出さないのが大人という生き物である。もともとない語彙力を駆使しして、アキお嬢様を一言で表すと“天使”だ。同じホモサピエンスだろうかと疑うくらい、可愛らしい。目が大きく、色白の肌には透明感があり、高級なお人形のようだ。
「何ボーッとしてるの!?握手だよ!あたしと握手出来ないっていうの!?」
たしかにこのご時世だから握手は難しい。
「申し訳ございません。」
「はいはい。じゃあ、あたしから握手してあげる!」
文句を言いながら、オレの右手を掴んできた...その瞬間だった。
ビリッ!
右手から伝わってきた電流が全身に走り渡り、背中から倒れてしまった。
「キャキャキャキャキャ!ひっかかったー!!」
独特な笑い声だ。
触ると電流が流れる装置を手に忍ばせ、何かメモを取っていた。
人が苦しんでいる様子を楽しんでいる。天使の顔をした悪魔だ。
体はよろけていたが思考回路は絶好調だった。
「よろしくね!ヒム子。あたしを退屈にさせないでよ!」
振り向き側にニコッと笑った顔は天使だった。
アキお嬢様は、数々の天才的なトラップを屋敷中に仕掛けてくる。パーティーグッズのお遊び程度の物からテレビのドッキリくらい大掛かりなものまでと幅が広い。課金の次元がエグすぎた。
オレはありとあらゆるトラップを経験して、改めて思った。藤原教官の新人研修は、このためにあったのだなと。あの時の最先端技術を駆使した空砲の方が体に受けるダメージは凄まじかった。
これくらいのトラップなんぞ、朝飯前というより、昨日の晩飯前に遡れるくらい余裕だ。
研修のおかげで受け身は取れるが、トラップの予想が出来ず、情けないことに毎回引っかかっている。
三ヶ月が経ち、現場に慣れてきた頃のことだ。
アキお嬢様のわがままがエスカレートしていった。
「ヒム子!あたしのおやつは!?3時におやつは常識でしょー!」
アキお嬢様は声を荒げて、おやつをねだる。
「もうー!お父様にいいつけるわよ!」
旦那様は、ハル様とご一緒に海外にいらっしゃるので、いいつけても何も怖くない。奥様の方が権力があるし。奥様は、バリバリのキャリアウーマンで、屋敷を留守にする事が多い。だから、誰もオレを裁けないのだ。
「誠に申し訳ございません。恐れながら申し上げますとレディが声を荒げてはいけませんよ。おやつの食べ過ぎは旦那様に叱られてしまいます。」
頭を下げて丁重に断るとアキお嬢様は膨れて部屋に帰っていく。
「何よ!わかってるんだから!ヒム子のばか!」
わがままな性格は、きっと寂しさからであろう。旦那様や奥様、ハルお嬢様がご不在の中、この大きなお屋敷でひとりぼっちだからな......。
家族と一緒に過ごしたい気持ちは、オレも痛いほどわかる。
オレは、アキお嬢様には甘すぎると思うが、お茶菓子を持って部屋に持っていくことにした。
プンスカ怒ってドアをきちんと閉めるのを忘れたのだろうか、少し開いていた。
そっと覗き込むと、アキお嬢様は一人で静かに泣いて、寂しさに耐えているようだった。
表情豊かなアキお嬢様は、オレら使用人の前で“喜怒楽”を見せることはあっても、“哀”を人前で見せることは絶対にない。家族の愛情に飢えてはいるが、弱音を吐いたことは一度もなかった。本当に強い子だ。
オレは、持っていたお茶菓子を廊下に置いて、ノックをしてその場から立ち去った。
去って三歩もしないところで、アキお嬢様のトラップにひっかかった。許さん。
旦那様とハルお嬢様が帰国され、二週間の隔離生活が終わり屋敷に帰ってくる事になった。
アキお嬢様は、とても喜んでいた。もちろん、オレも嬉しい。早く、旦那様とハルお嬢様にお会いしたい。
奥様も戻られるとのことだったので、家族四人揃っての食事ができるとアキお嬢様ははしゃいでいた。トラップが成功した時の喜びとは違って、家族に対する喜びは幸福感が違うのであろう。
初対面でかなり緊張していた、帰宅当日のことだった。
「おかえりなさいま...!」
思わず語尾が消えてしまった。
眩しすぎて直視できないっ!
ご両親の良いところを譲り受けた超ウルトラスーパーハイパーハイブリッド女神。
「あなたが新しい使用人さんですね。よろしくお願いします。ハルと申します。」
大きなキャリーケースを重たそうに引きずっていても、さわやかな笑顔で長い綺麗な髪を耳にかける姿がとても美しかった。
「日村ヒム子と申します。お荷物をお持ちいたします。」
才色完備とは、ハルお嬢様のために生まれた言葉だと思った。たった十六歳で想像を超えた美人は、成人を迎えたらどのような女性へと変貌するのだろうか。人類は、見惚れてしまうだろう。口説いてくる輩は、間違いなくいるし、男なんて選び放題だろう。でも、大の男嫌いなんだよな...。今、目の前にいるのが、男だと知ったら、どんな反応をするのだろうか。想像しただけで怖くなった。
奥様も戻られ、四人揃ってのディナーは、何年ぶりかも思い出せないほど久しぶりだったようで、積もる話がたくさんあった。
「ハル、海外留学はどうだった?」
「すごく楽しかったわ。それと、子供の頃に三人で行ったあの海もすごく綺麗で、とても懐かしかったわ!お父様に連れて行ってもらったの!」
「ハルは小さい頃、あの海が好きで帰りたくないってよく言ってたよな。」
三人が楽しく会話しているのに、アキお嬢様だけは会話に参加していない。あんなに楽しみにしていたのに、どうして寂しそうなんだろうか。いつものアキお嬢様じゃないーー。
翌日、慌ただしい朝を迎えた。
オレとした事が、どうしてあの時声をかけてやらなかったのか、昨日の自分を恨んだ。
【さがさないでください】
一言添えられた手紙がアキお嬢様のベッドの上に置いてあった。
次回
3月7日(日)12時更新予定