第十五話 狭すぎる
なんて悲しい感情なのだろうか。
狭すぎる空間で、ひとりぼっちの小さな少年のオレは、泣きはしなかった。
オレは可哀想な子供なのだろうか...周りの大人達は哀れな目で見るくせに、何かをしてくれるわけではない。
「...日村さん!日村さん!」
目が覚めても、暗い景色だったがはっきりとハルお嬢様の必死な顔が見えた。
なんだ?嫌な夢を見たな......。
「大丈夫ですか?日村さん、私を抱きかかえながら気を失ってて...」
まだ朦朧としているが、何が起きていたのか思い出した。
「ハルお嬢様、お怪我は!?」
「私は大丈夫です...それよりも日村さんの方が...」
「オレは大丈夫です。この通りなんとも!」
オレの驚異的な受け身は、ハルお嬢様を無事に守れたらしい。
「ここは一体どこなのでしょう...。アキったら、また変なイタズラして...」
ここは、アキお嬢様のトラップの中か...。
毎日引っかかっているトラップに違和感を感じた。
オレの嫌な予感は当たり、ここはアキ様が以前家出騒動で身を隠していた【オトメルーム】だろうな。
秘密基地みたいなものだ。
あの家出騒動以来、トラップルームへと変わった。
ここに来たのは初めてではない。かなり脱出するのに苦労をした。
「ハルお嬢様、申し訳ございません。オレと一緒で怖いですよね?」
「え?そんなことないですよ。このお部屋の方が怖いです。何も見えないし...」
暗さがオレの男という存在を消してくれている。これは好都合だ。
「ハルお嬢様、ここを脱出するのはかなり大変です。オレから離れないでください。」
「は...はい!」
「オレが先に歩いてトラップを作動させます!オレが受けますので、合図したら走ってください!」
「そんな!ダメです!日村さん、怪我しちゃう!」
「大丈夫ですよ、毎日引っかかってますから。」
「ダメです!そんなの許しません!」
ハルお嬢様が声を荒げて立ち上がると、何かのセンサーが反応した。
ドン
ドン
ドン
ドン
ドン
一体なんの音だ?
「なんの音ですか?」
「ハルお嬢様、オレから離れないでください。」
すぐさま、ハルお嬢様を自分の胸に引き寄せた。
この音はなんなんだ?暗いからよく見えないがなんだか黒い物が近づいてくる.....。
オレは目を細め何かを見つめた。
壁だ!!
押し寄せる壁を背に走ろうとすると、もう遅かった。
壁がオレの背中を押している。
オレは、胸元にいるハルお嬢様が潰れないように背中と両手で押し寄せる壁を押さえつけると壁は止まった。
この狭すぎる空間で、ハルお嬢様に壁ドンしている。なんともブサイクな両手壁ドンだ。
ハルお嬢様の心臓の音だろうか。ドキドキと鼓動がはっきりと聞こえた。
嫌いな男に両手壁ドンだもんな、そりゃ心拍数も上がるほど嫌だろうな。
「申し訳ございません。ハルお嬢様、怖くはありませんか?」
「こ、怖くはありません...日村さんがいてくれるから...」
気を遣わせてしまった...。
「私、少しずつですけど...日村さんの一生懸命な姿を見て...男の人に対する考え方が変わってきたんです!」
あのハルお嬢様からの意外なお言葉だった。
「そう言えば...ハルお嬢様は島田くんと話してる時、普通ですよね。」
「島田さんは...見た目は女の子だから男の人と話してる感覚がなくて...。」
暗くて狭くて近すぎてよくわからないが、ハルお嬢様の声は楽しそうだった。
「あんな感じでも中身はめちゃくちゃ男なんですよ!オレも島田くんの見た目が可愛すぎて、最初は女の子だと思ってましたよ!」
「日村さんって...島田さんみたいな女の子がタイプなんですか...?」
「え?」
先程の楽しそうな声とは打って変わって、弱気な声になっていた。
何か変なことを言ってしまったのだろうか...?
「ごめんなさい!わわわ私、変なこと聞いちゃって!!」
「あははははは!オレもなんか変なこと言ってしまって申し訳ございません...。」
「あの......日村さんって彼女さんいらっしゃるのですか?」
年頃の女の子だから、こういう大人の浮いた話を聞きたくなるのはわかる。
学生の時に学校の若い先生にこういう質問するのが恒例行事みたいなものだったからな。
まさか、自分が質問される側になるとは...。
「それは...秘密です。」
“秘密”という言葉は便利だ。こうやって濁すことができる。だが、だいたいは“いない”という意味だ。
仲睦まじい雰囲気を断ち切るように、いきなりライトが点灯した。
「キャアああああああ!!」
オレの顔が見えた途端、叫ぶハルお嬢様。
やはり、完全なる克服は時間がかかりそうだ。
申し訳ない、少女達の夢の壁ドンをしているのが男メイドで..。
「お姉ちゃん、見つけたよー!!」
アキお嬢様声が聞こえた。
壁はゆっくりと離れていく。
「助かったぁ...」
「ハル!大丈夫?ヒムラ、変なことしてないだろうね!」
「するわけねーだろ!」
「壁ドンの装置も誤作動しちゃったみたい!ごめんね、お姉ちゃん、ヒム子!」
この押し寄せる壁は、“壁ドン”という名前だったのか...さすがオトメルーム。
オレがぶつかったあれはなんだったのだろうか。
「滑り台の終盤の“アゴ杭”も設定よりも飛び出てたみたい!」
アゴ“杭”ね...。
この無理のあるネーミングと欠陥だらけのオトメルームから脱出できたので、とりあえず助かったからよかった。
あの後、アキお嬢様は奥様にこっぴどく叱られ、屋敷を改造するのを全面禁止した。
「日村さん、ありがとうございました。また助けていただいて...。」
「お怪我がなくて何よりです。怖い思いをさせてしまって、申し訳ございません。」
「怖くなかったです!もう少しお話ししていたかったです...日村さん、とても優しくて...かっこ」
「ハル!ここまで!さ、宿題やらないと!ね!ね!ね!」
エリオに無理矢理連れていかれるハルお嬢様。
最後、一体何を言いたかったのだろう。
こんな騒動の次の日、オレは休暇をもらった。やっと日村一馬に戻れる。
泥のように寝てたときだった。
ピーンポーン
どうせ島田くんだろ。
今日はゆっくりさせてもらうぞ。島田くんのことだ、ベランダから入ってくるだろう。
ドンドンドンドンドンドン
島田くんにしては随分乱暴だな。
このドンって音はトラウマになりそうだ。
「一馬!いるんでしょ!?さっさと出てきなさい!」
この聞き覚えのある乱暴な口調は...!!
ガチャ
「なんだよ!姉ちゃん!」
「久々にあったお姉様にその態度はないんじゃないの!?たった1人の家族なのに悲しいわっ!」
部屋にズカズカと入ってくるオレの姉、日村コトリだ。
“コトリ”という可愛らしい名前からは想像できないほどの逞しいメンタルと口の悪さがウリだ。
「ふーん、いいところ住んでるじゃない。相変わらず、オンナの匂いはしないのね!」
いきなり失礼な事を言うなあ...忙しくてそれどころじゃないんだよ。
なんでいきなり尋ねてきたんだ?
「あのね、一馬。私、結婚するの!それを報告しにきたの!」
姉ちゃんは、左手薬指の輝かしい婚約指輪を結婚記者会見のタレントみたいに見せてきた。
「ええ!結婚!?」
「あんたも自立したことだし、私が幸せになってもいいでしょ?」
「姉ちゃんもいい歳だからな...」
ゴツ
「まだ、気持ちは十七歳です!」
十七歳はグーで弟の頭は殴らない。
「今度会ってほしいの!向こうのご両親とうちの家族で顔合わせ。仕事もあるだろうから空いてる日教えて!」
向こうは両親が来るのか...オレらは姉ちゃんと二人だもんな。
ピーンポーン
今度こそ、島田くんだな...。
姉ちゃんは島田くんのことを知ってるから、久々に見たら驚くだろうな。
はいはい開けますよ。
今日は客人が多い。
「はいはい、なんですかー?...!!?」
「身体、大丈夫!?ひむりん!」
そこにいたのは末廣さんだった!やばい...姉ちゃんが変な絡みする前に...
「那由他、おつかれー!」
「ことりん、もう来てたのね!」
ことりん?
末廣さんはオレの姉ちゃんを見ている。
「え!?姉ちゃん、末廣さんのこと知ってるの!?」
「何言ってんのよ。那由他は、私の幼馴染で、昔あんたとよく遊んでくれた“なっちゃん”だよ。」
これで全て繋がった。
末廣さんが面談の時、オレを“おもしろそうな子”とか“なっちゃんって呼んで”とか言ってきたのは、オレを昔から知ってたからなのか!!
「やっと思い出したかしら。?カズくん!那由他は昔の名前で、今は、ナツキだけどね!」
狭すぎる世界は、こうして回っているのだった。
次回
3月15日(月)12時更新予定