第8話 引き戻す者、引き戻される者
2000年前の満月は煌々と輝いている。
しかし、2000年の時を経た現在、月は地球の影に隠れ始めている。
「なんてこった、そういや今日は月食だ! ここしばらく雑魚騒ぎでそれどころじゃなかったんだよなあ」
ミスターがこんな時でも、のほほんと言っている。
「うう……、うおお!」
ハシュナが復活し始めた。すると、雑魚や手練れもまた息を吹き返しはじめる。
ドオオオン!
今までの分を取り戻すように、ハシュナは大地に拳を突き立てる。
「よくも、よくも!」
キューキュー言って消える雑魚などお構いなしに、ドゴンドゴンと道も畑も破壊していく。
そのあまりの酷さに、
「やめて! …、…、…」
と、玄武が顔をしかめるほどの強音をハシュナにピンポイントで送ると、さすがのハシュナも「うう」と耳を押さえて動きが止まる。
すかさず龍古が止める間もなく彼の目の前まで走り込み、カッと目を見開く。
目がくらんだハシュナは闇雲に腕を振り回した。
「! きゃあ!」
その一つが運悪く龍古を吹っ飛ばした。
だが、龍古が地面にたたきつけられるより先に、鞍馬が彼女を受け止めていた。
「龍古!」
叫ぶ万象たちに、鞍馬が大丈夫と言うように頷いた。
「鞍馬さん……。ごめんなさい、ふがいなくて」
うなだれて悔しそうに唇を咬む龍古に、鞍馬は「いいえ」と大真面目な顔で言った。
「貴方がいなければ、それこそふがいない私は、サボりが出来ませんので」
「え?」
ぽかんとする龍古に、
「今の、万象くんには内緒ですよ」
と、唇に人さし指をあてていたずらっぽい微笑みを残し、鞍馬はハシュナの前に躍り出ていった。
「鞍馬さんがサボりって」
龍古が皆に差し出す休憩のことをそう言っているのだろうけど。
龍古はなんだかとても嬉しくなって、意気揚々と立ち上がった。
その横では、万象とミスターが銃を撃つ。
「珍しいな、ミスターが銃なんて」
「うん~。最近は飛び道具が流行してるみたいだからさ」
と、目をやる先には、
「えい、この! あたれ!」
雀がドローンを打ち込んでいる。
「なるほどね」
またその横で、玄武は嫌な音を出し、龍古が目を見開き、雑魚や手練れは正しくデリートされて行くが、2人は敵を攻撃するとき、どうしてもいったん立ち止まる事になる。
その隙を狙って近づく雑魚どもを、
「玄武! 危ない」
「龍古!」
と、お互いのピンチをブーメランブレスレットで助け合っている。
そんな中、あろうことか、ハシュナがあっさりとその場を逃げ出したのだ。
血気盛んな万象が、風のように追いかけていく。
その後に続こうとした四神たちは、わらわらと出てきた大量の雑魚や手練れに、足止めを食らう。
「鞍馬! 何してる、早く来い!」
遠くの方から、なぜか鞍馬だけを呼ぶ万象の声がした。
「私は万象くんをサポートしに行きます。皆さんはここで雑魚たちを食い止めて下さい」
「わかったぜ」
「任せて」
「うん! でも、あのバンちゃんの声……なんだか」
玄武が気づいたとおり、それは声色を使ったハシュナの声だったのだ。
追いかける万象。
逃げるハシュナは、充分に東西南北荘から離れた、陽ノ下家の外れの外れまでたどり着いていた。
「待て!」
待てと言われて、待つような悪役はいない。
「くそっ! けどここからなら、充分射程距離」
そうつぶやいて銃を構えた万象は、いつものようにハシュナを撃った。
ドン!
「ぐわ!」
「え?」
うまく避けたように見えたが、弾はハシュナの腕をかすめ、なんとそこから鮮血が飛び散るのが見えた。
「え? え? 」
雑魚や手練れのようにデリートされると思っていた万象は、いきなりリアルに血が飛び出したりしたのに、思考が追いつかないようだ。
「う、ぐぐ」
ハシュナは痛そうに撃たれたところを抑えて動けないでいる。
「た……、たすけて」
しかも弱々しく助けを呼んでいるのだ。
「大丈夫か?!」
万象は思わずハシュナに駆け寄る。
自分が撃ったのはともかく、万象はけが人を放っておけるような性格ではない。だが、それがハシュナの罠だとは、万象は気づいていない。
「いけない、万象くん!」
遅れてやってきた鞍馬が、ものすごい早さで駆け寄るが、ほんの少しだけハシュナの方が早かった。
「え? うわあ!」
ドオン!
いきなり万象の目の前に現れたハシュナが、万象をぶっ飛ばした。彼は地面にたたきつけられて動かなくなった。
「万象くん!」
「死んじゃいないさ。そうさな、お前が八つ裂きにされる頃に目を覚まして、お前の亡骸に涙しながら自分もお陀仏って言うのはどうだ? 楽しいだろ」
すっくと背中を伸ばしたハシュナの腕からは、もう血の一滴も流れていない。どころか、キズさえも見当たらない。
「さすがは、もと神だけのことはありますね。キズの修復などお手の物ですか」
「あたりまえだ」
月はどんどん欠け、もうほぼ皆既月食となっている。
2000年前から送られてくる純粋な感謝の気持ちも同じようにほぼ途絶え、ハシュナはまたゆがんだ正義感にとらわれる墜ちた神に逆戻りしていた。
「さて、邪魔がいないところで、まずはお前を葬ってやる」
ニヤリと口をゆがめたハシュナが、鞍馬に躍りかかった。
ガン! ギイン! ズサア!
刀のぶつかり合う音と、土のすれる音。そして互いの荒い息づかいだけが響く原っぱに、どれほどの時間が過ぎたのか。
疲れを知らぬように見えた両者も、さすがに体制の乱れが見え始めている。
鞍馬には頬と腕に2カ所のキズ。
ハシュナはすぐに修復するのでそれは見当たらない。けれどかなりの数のキズを修復したように見うけられる。
「くそう!」
このままでは埒が明かないと思ったハシュナは、何を思ったのか、万象に向けて隠し持っていた小刀を投げた。
ギイン!
すんでの所で鞍馬が間に滑り込み、それをはじき返す。
「なにをするのです」
「いやあ、やはり、そいつを先に始末しようかなーってね。お前、なかなか手強いからさ」
しゃべりながら息を整えていくハシュナ。
鞍馬はいつになくきついまなざしで彼を見つめている。
そして、万象を護るように彼の前に立ちはだかり、間合いを取った鞍馬は、大きく息をついて体制を整えると、シャツの胸ポケットから懐紙を取り出して、汗に濡れた柄と自分の手を拭った。
「汚い手を使ってまで、万象くんを本気で手にかけようとされているのなら、私も本気にならずにはおられません」
「ほほう、ずいぶん余裕だな」
ほんの少し鞍馬より息が荒いハシュナはそれでもニヤリと笑みを浮かべると、言葉を返した。
「ああそうだ、本気も本気。万象どころか、お前もまとめて滅多斬りしてポイしてやるよ。その後は、東西南北荘にいる四神たちもな。なあ、自分でわかるか?」
「何をでしょう」
万象や四神を滅多斬りにすると言われて眉をひそめ、堅い口調で鞍馬は聞き返した。
「お前のその剣、《すさのお》の剣だろう? よくは知らんが、そいつはお前にゃ、ちと荷が重すぎるよ」
「なぜですか」
「なぜって、お前は優しすぎる。今までだって、俺にとどめを刺そうと思えば出来た場面がいくつかあった。けどお前はそれをしなかた。お前は俺を手にかけることにためらいを感じている。そんな慈愛に満ちあふれすぎてるお前みたいな奴が、本当にそいつを使いこなせるのかな?」
笑みを深めて言うハシュナに、鞍馬はふいとうつむいた。
どうやら痛いところを突かれたんだな、と、したり顔のハシュナは、顔を上げた鞍馬の表情に驚く。
彼は微笑んでいたのだ。
負け惜しみとか悔しいとか言うのではなく、それは見事なまでの綺麗さで。
「なぜ笑う!」
あまりにも自然なその微笑みに、ハシュナが思わず勢い込んで言う。
「貴方は何か勘違いをしておられますね。ええ、おっしゃるとおり私には貴方にとどめを刺せる場面がありました。けれどそれをしなかったのは、貴方が私を八つ裂きにして、そのあと万象くんまで手にかけようとしているのが本気だとは、どうしても思えなかったからです。けれど先程の貴方の態度でそれが間違いだと気がつきました。しかも貴方はご自分で決めた事すら守れない」
「なにがだよ!」
「万象くんを手にかけるのは、私を殺してからだと言いました」
「はん! そんなもん決め事じゃないっての」
「……わかりました。それなら私も容赦はしなくてすむ。ハシュナさん、貴方は私が虫も殺せないほど慈悲深く、誰よりも清廉潔白だと、なぜ思うのです? 私は神でも仏でもない」
「な、んだと?」
「ご自分こそ、以前は清廉潔白の鏡のようなお方だったのに……。そんな方にさえあるのなら」
目を見張って、鞍馬の言葉を聞いているハシュナ。
「私に闇がないとでも?」
そのセリフとともに、鞍馬はハシュナの鼻先にいた。
と同時に、刀を振りかざして斬りつけてきた。
「私たち千年人には、嫉妬や貪欲や怒りや執着という、百年人が持つ醜い感情はほぼ皆無です」
キイン!
「!くそっ!」
「けれど、身体を持ってこの世界に産み落とされたのであれば、当然のことながら、善、正、陽だけではその存在は消えてしまいます。ここは陰陽が引き合って成りたつ世界なのですから」
ガン!
「くう!」
静かに語りながら、息をもつかせぬ攻撃を繰り出す鞍馬。
ガンガンガンガン! と、工事現場のような音を立てて斬りかかる鞍馬の勢いに、ハシュナはかろうじてそれをかわすだけで精一杯だった。
一瞬、鞍馬が視界から消えた。
そして再び鞍馬の端正な顔がハシュナの目と鼻の先に現れる。
「貴方が私の大切にしているものを手にかけると言うのであれば、私は……」
そこまで言うと、鞍馬がすい、と離れていく。
「貴方に闇を見せましょう」
「あ、……あ」
なんだろう、胸のあたりに違和感がある……。
ふと下を見ると、《すさのお》の剣が、ひとつのずれもなく自分の心臓を貫いている。鞍馬はそれを引き抜こうともせずに、少し離れたところから、なんの感情も宿さない瞳で彼を見つめている。
そうやって、ハシュナが命つきるまで待つつもりだろうか。
「お、お前、人を殺せるのか……」
ゲホッと口から血反吐が飛び出る。
「貴方は人ではない」
鞍馬はまたしても、なんの感情もない抑揚のない声で答えた。
「そ、そう、だ、な……」
けれどそのあと、薄れゆく意識の中で。
「な、んだ? こ、れ、は」
ハシュナは、剣がささった所から、まばゆいばかりの光が漏れ出し、それがどんどん自分を侵食していくのを感じている。
これが、鞍馬の、闇? 闇だって?
光に包み込まれる寸前、どこからか唄うような声が聞こえる。
「目を覚まして。もうそろそろよろしいでしょう? 早くこちらへ帰ってきて下さい」
ハシュナが最後に見たものは、今一度輝きはじめた月を背に、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる鞍馬の姿だった。




