09 突然の来訪者
ズシン……ズシン……ズシン……
僕の涙も枯れた頃、無心で畑を耕していたとき、小料理屋ミヤマの奥の方から、とてつもない大きさのモンスターが徘徊している足音を聞いた。
ここを縄張りにしていた大型モンスターがいなくなって何日も過ぎていれば、新たな縄張りを求めて他のモンスターがやってきても不思議ではない。
恐れていた事態が、ついに現実のものとなった。
「足音から推測すると、四足の大型モンスターだな」
僕は店に戻って白衣に着替えると、出刃包丁を収めた刀ホルダーを腰に巻いた。
それから風呂敷を解いて、やすらぎ食堂のガゼイ料理長から餞別でもらった、食材になるモンスター事典『おいしいモンスター百選』を開いて足音の正体を探る。
もしもダンジョンの奥から、店に向かっているモンスターが食べられるのなら、事典には狩猟方法や弱点、それにレシピが書かれている。
異世界の言動で書かれている事典だが、わかりやすいイラスト解説なので、全く理解が出来ないわけではないし、同じくナブラ店長にもらった子供向け言語学習書を暇潰しに読んでいれば、専門用語以外の単語ならそこそこ読めるようにもなった。
「ヨシダとツトムは、店の奥に隠れていろ。
はい、ミヤマ先輩!
パパ、頑張ってね!」
紹介が遅れたが、エア女将のヨシダと一昨日結婚して、二人の間にはエア息子ツトムが誕生した。
結婚式は地下湖の畔、親友のミスターサンデーが牧師を務めてくれて、友人の鮭や鱒、それに大根とか大根とか大勢が祝福してくれた。
べつにヨシダのことは好きではないのだが、こんなダンジョン最深部で二人きりなんだから、子供の一人くらいいないのはリアリティに欠ける。
だからと言って彼女を籍にも入れずに、息子のツトムを登場させるのは、男として最低なクズ野郎になってしまう。
彼女との間に子供を出来ちゃったので、生まれてくるツトムために結婚した。
つまり僕とヨシダは、出来ちゃった結婚だ。
そしてお気付きだと思うが、僕のSAN値は崩壊寸前だった。
「ダンジョンにいる四足の大勢モンスターは……人食い熊、一角鰐淵。しかし人食い熊は冬眠時期にしかダンジョンに潜らず、一角鰐淵は腹を引き摺るように歩く。しっかりした足音は、鰐淵とは別のモンスターだろう。となると、やっぱりこいつか」
ダンジョンの奥深くに生息する四足の大型モンスターと言えば、種族が様々で特定できないが、キングオブダンジョンモンスター『ドラゴン』しか思いつかない。
ここでクラウスたちが討伐した大型モンスターも、ドラゴン属の冥王龍だった。
ダンジョン最深部を我が物顔で徘徊するモンスターは、『おいしいモンスター百選』で至宝の食材と紹介されているドラゴンに間違いない。
「や、殺ってやるさ……食うか食われるかの勝負なら、料理人の僕にも勝機がある。僕はドラゴンをモンスターではなく、至宝の食材だと思って捌いてやる。そして捌いた肉を美味しく食してやる……へへへ、久々のお肉だぜ」
ズシン……ズシン
暗やみからクラウスたちの倒した冥王龍と、同じ顔をしたモンスターが顔を覗かせたが、同族の骨で作った店を見つけると、立ち止まって様子を窺っている。
冥王龍は、同族を倒した強敵の存在を探っているようだ。
「こいよ、僕が怖いのか? ドラドラちゃんよぉ!」
僕は出刃包丁を構えて強がっているものの、冥王龍に突進されただけで瞬殺される。
とりあえずキャロラインが岩で塞いだ道まで撤退して、ドラゴンが店内の食料を荒らしているうちに、次の作戦を考えよう。
いや、店に妻と息子を残して逃げることなど出来ない……と言うか、今は緊急事態なので、エア妻と息子は忘れて逃げるとしよう。
ズシン……ズシン……ズシン……ズン、ズン、ズンッ!
グギャウオオオーッ!
僕が背中を見せて走ると、冥王龍は全力疾走で追いかけきた。
モンスターは逃げた敵を本能的に追いかける習性があり、倒せないほど強いモンスターと遭遇したときは、目を合わせたまま敗走するように、クラウスのパーティーで戦闘指南役をしていた剣士フィオーネに言われていた。
と、いま思い出した!
キャロラインが岩で塞いだ道は狭く、冥王龍の巨体では追ってくることが出来ない。
だから、そこまで逃げ切れば、しばらくは殺される心配はないのだが、そこから先は逃げ場がなく袋のネズミだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……ここまで来れば一先ず安全だけど、いつまで隠れていれば良いんだ?」
僕は岩を背にして呼吸を整えると、なぜか背後からもズンズンッと何かが岩にぶつかる音がした。
まさかとは思うが、岩の向こうにも大型モンスターがいて、岩を砕こうと突進しているのだろうか。
前門の虎、後門の狼。
前を向けば狭い道を進もうと、身を屈めている冥王龍がいる。
振り向けば岩を砕こうとする、得たいの知れないモンスターがいる。
ズガンッ!
岩の砕ける轟音とともに、巨大な戦闘斧が僕の目の前に降り下ろされた。
岩の向こうから現れたのはモンスターではなく、超重武器を使いこなす戦士だった。
待ちに待ったお客さんが、ついにダンジョン最深部に現れたのだ。
「おい、兄ちゃん。俺は食材採取クエスト中の戦士で、サザンという者だ」
「はじめまして、僕は料理人のミヤマです」
「なんで、こんなところに料理人が? まあ、そんなことはどうでも良いだけどよ。あそこにいるドラゴンは、ミヤマの獲物なのかい?」
「ドラゴンが僕の獲物と言うか、僕がドラゴンの獲物なんですよ」
「じゃあよ、俺がドラゴンを頂いちゃっても良いよな?」
「どうぞどうぞ」
僕はダチョウ倶楽部のように、さっと身を引いて戦士サザンに道を譲った。