夢と言えども、プロローグ
宜しくお願い致します。
自分に感じる浮遊感がなくなって、不確かなものが確かなものへと変わったその時、僕は目を覚ました。
いや、正しくは『意識を取り戻した』と言うべきだろうか。
そして、俺はこれが「夢」なんだとすぐに理解できた。
だってそうだろう。
視界に映る映像は見覚えがあり、少なくともこれは一度経験したことがあるものだったからだ。
過去の出来事、それを今、俺は夢の中で体験している。
確かこういうのを『明晰夢』と、そう言ったのだろうか。
軽く周囲を見渡す。
同時に、身体は自由に動くことが解った。
腕をあげて手を握ったり開いたりを繰り返す。具体的に表現するならばグーとパーを反復させる。
自分の体を視界で把握出来る限り眺める。
そして俺は目を閉じて、うん、と頷く。
深く息を吸い、
――――マジか~~。
心の中で項垂れるように、深く吐いた。
気持ちを切り替える。
だが、これはあくまで夢だ。過去の出来事を夢で観ているだけなのだ。
これから起こる出来事は、ただ、録画した映像を再放送していることに過ぎないのだ。
傍観者ではなく、当事者として。
今、俺が体験しているこの映像は、このあと実際に起こるはずだった出来事を変えたところで、現実には微塵どころか皆無に、なんら問題ないことなのだ。
けれど、
この景色の前で、
今にも消え去りそうなほど、淡く、脆く、儚く、とても幻想的なこの景色の前では、
夢と言えども、
流石に裏切れそうになかった。
空は蒼。稀に飛ぶ雲が陰を創り、
陸は碧。風になびく草花は音を纏い、
視界は虹。無抵抗な、色彩に富んだ花弁は中空を舞う。
景色は――――――まるで異世界だ。
――――――――――――いや、
そういえば此処は…………異世界なんだったっけ。
ふぅ、と俺は一つ息を吐く。
そう。此処は、この世界は、紛れもなく正真正銘そのまんま異世界だ。
言葉通りに、異世界だ。
これは夢だから――――少し頭が惚けていたみたいだ。
というか始めての体験だな。明晰夢なんて。
こんな体験は二度とないかもしれない――――なんて考えていると、俺の背後から一人近づく足音が聴こえる。
勿論、俺は彼女を知っている。一度経験した出来事だから、知っている。
これから何を言ってくるのかをも、知っている。
俺に近付いてきたその人物は、優しく、冗談混じりに声をかけてくる。
それは、一度聞いた言葉。
呆れてしまうほど、くだらない台詞。
人を――――俺を、馬鹿にしたような台詞。
「また、こんなところで一人で読書中なの?」
項垂れるように顔を下に向けながら、ふう、と息を吐く。
――――全く、冗談がキツい。
そんな台詞に対して、
その言葉に返す台詞は、決まっている。
決まっているし、覚えている。
俺は彼女に振り返り、言う。
あの時と同じように。
何気なく言った。
「酷いなぁ。所構わず本を読むほど悲しい人じゃないよ、僕は」
「えぇー? それは嘘だよ。だってこの間は学校でも本を読んでたじゃない」
「いや、それは問題ないでしょ」
むしろどこに問題があると言うんだ。授業中じゃなければ、問題はないはずだぞ。
ちゃんと休み時間に読んでたし、俺。
俺は半目で彼女を睨んだ。
彼女は俺の視線を流すように、それもそうだね、と小さく笑った。
確かこのとき、俺は彼女に対して『僕を何だと思っているんだ』って顔で批難したんだっけか。
意外と覚えているものなんだな、こういうこと。
「はぁ……、確かに僕は本が好きだけど、世間体だって気にするし、社会的常識だって人並みにあるんだよ。あまり見くびらないでほしいな。僕は至って普通なんだからさ」
「ふふ、ごめんね。でも、普通なんだったらさ、こんなところで一人黄昏ないと思うんだけどね」
そう言いながら彼女は僕の隣に座る。
今俺が座っている切り株は、大人二人分座れる位の大きさがあるため、例えば俺が中学三年生の平均ちょっと上の身体の大きさであれば、少し寄るだけで充分なスペースが確保できるだろう。
まぁ、夢の中俺は中学二年生の平均ちょっと上くらいの大きさしかないんだけどさ。
だから別に寄らなくても座れるスペースはあるのだ。
ゆったりと、綺麗な動作で彼女は俺の隣に座る。
その際、肩より少し長い髪が風になびいて俺の腕に当たる。
少し痒い。
――――あぁ、そうだった。
このとき、俺は彼女より身長が大きいことを改めて自覚したんだ。
今でこそ…………確か、五センチくらいの差になったんだっけ。この頃は既に十センチも差があったんだ。
なんか、懐かしいな。
……いや、そんなセンチメンタルな感情を抱くほど痛い詩人じゃないんだけどね、俺は。
俺は彼女の横顔を見る。
彼女は揺れる髪を片手で耳の上部分にすくうと、俺の方を向いた。
何故か笑顔だったのを覚えている。
「それで、どうしてこんなところに居るの?」
「……休みで暇だったから、『なんとなく』かな。深い理由なんてないよ」
「そうなの? 私はてっきりまだ読み終わってなかった………………あの、え~と、『メーデーなんとか』って小説を家で読んでると思ってたのに」
小説……? 今読んでるのは一昔ほど古い恋愛系の小説なんだが…………。
そして俺は、ハッ、と気付く。
…………あぁ、『メーデーサイクロン』のことか。
そういえばこの時そんなのも読んでたな。
……この夢から覚めたら久し振りに読み返してみようかな。
最近はミステリー系が薄れてきておもしろくないからなぁ。
よくあるものばっかだし。
――――……さて、
俺は過去の出来事を紡ぐ。
「……『メーデーサイクロン』のことかな?」
「そう! それのこと! 私が見たときって、確かまだ半分も読み終わってなかったでしょ? だから今日も家で読んでると思って、私の買い物に付き合って貰おうって思って家に行ったんだけど、居なくって。だから探して…………」
あぁ、そんなこともあったっけ。
「いやいやちょっと待って、何日前のこと覚えているんですか。それって確か三日くらい前のことじゃないの? 確か僕が家でご飯戴いた時の……」
そう。この出来事が起こる三日前、俺がその日に出された宿題を学校で終え、意気揚々と、とても軽い気分で家に帰っている途中、背後からいきなり、
――――た、助けて下さい!
――――え、かしこまってどうしたの急に?
彼女はとても怯えるように、がっしりと俺の腕にしがみついてきたのだ。
突然のことで驚いた俺はとても………………じゃないが、あたふたしながらなだめるように彼女を落ち着かせ、何故そこまで怯えているのか事情を聞いた。
簡単に纏めると、朝から名称G、すなわち害虫が出現してしまって一人じゃ不安だから助けて(駆除という名の抹殺をして)欲しい、とのことだった。
ただ、早朝のことだったので、今は何処にいってるか分からないし、何より慌てていたのでよく覚えていないから力になれないとのことで。
特に恐れることもないし、虫殺しスプレーと少し大きめの手袋を装着して、特に時間も懸からずあっさりと駆除した俺は、彼女の家でそのまま夕食を戴いたのだ。
食い終わる速度は俺の方が早かったから、彼女が食べ終えるまで一人読書をしていた。
――――ちなみに皿を洗おうとしたら凄い威圧で止められた。彼女が言うには『恩人、または客人を家でもてなす時は、自分が全ての仕事を引き受けること』という信条を持っているらしい。
とても誇らしい笑顔で言っていた。
「そんな小さい意地は捨ててしまえ」と言ってやった。
半目で睨まれた。
そして――――、その時に読んでいたのが『メーデーサイクロン』。内容はクローズド系のミステリー小説だ。最初の事件から最後の事件に通しての伏線回収やまとめ方がとても逸脱している。ある意味ミステリー小説の最高傑作ともいえる作品だ。
と、話が逸れた。
「もうそれは読み終わってるよ…………って、普通に電話してくれれば良かったのに。パシられるって分かったから手伝わないけどさ」
「電話したけど出てくれなかったよ? 家に携帯置き忘れてるってすぐに察したけど。あと、パシリじゃないもん、夕飯の支度だもん」
「荷物持ちとも言う名のパシリじゃないの? それ」
「…………そうだけどさっ」
「なんで怒っているのさ」
なんて。
彼女は顔を逸らし、腕を組み、わざとらしく頬を膨らませる。
疑音形で『プンプンっ』って頭の上にでも浮かびそうな顔で。
少し拗ねてる風にもみれたが、多分演技だろう。
……いや、絶対演技なんだろうなぁ。彼女のことだし。
自分勝手過ぎるんじゃないのか? と、俺がこのとき考えたことを思い出した。
「はぁ…………それくらい友達と行けばいいんじゃないの? ついでに服とか見てショッピングを友達と楽しんでくればいいじゃないか」
「…………確かに、そうだけどさ」
「………………?」
あぁ、そういえば。
何故か分からないけど俺がそう言った後、彼女は少し表情を暗くしたんだ。
だから俺は少し動揺してこう言ったんだ。
「…………何か、あったのか?」
自分のせいで彼女の心が傷付いたんだって思って。
真剣な顔で俺は聞いた。
けれど彼女は、
「ううん、何もないけど」
あっさりといつも通りの調子で返してくる。
「……本当に?」
だけど、俺はあまり信じることが出来なかったからもう一度聞いたんだ。
けれど、
「うん。むしろ……私もびっくりするくらい何もない」
「それはどうなの」
「びっくりだよ」
「…………」
「びっくり」
やっぱり同じように、いつもの調子で返してきた。
だから俺は、そうか、と聞くのを諦めたんだ。
何も問題ないならいい、とそんな感じで。
ただ、彼女の方はもう少し気にして欲しそうに呟いていた。
「やっぱり淡白だね。…………なんか、まるで機械みたいだよ?」
「僕の反応がつまらないっていうなら謝ろうか? 空気中の酸素より形も気持ちも篭ってないけれど」
「それは謝罪にならないよ」
「表面上の謝罪にはなるよ」
「内面が無いと意味無いんじゃないの?」
「人間は皆そんなものじゃないかな」
そう言った時だった。
彼女はまた、表情を変える。
「…………でも、人間には心があるんだから、誰でも表面だけって訳じゃないよ」
「心、ね…………僕が『表面上だけの人間』だとは思わないのかい?」
最初から表面上の人間だとしたらどうするのか、と、俺は言った。
けれど彼女は、そんなことはない、と、そう言ってくれた。
どうしてそう思うのか、俺は聞いたんだ。
そしたら、俺が驚くような事を言ってきたんだっけか。
野球で言うならキャッチャーミットど真ん中にボールをぶち込むように、
「ねぇ、私のこと、好き?」
唐突に、彼女は俺に対して自分のことが好きか聞いてきたんだ。
俺もあまりに突然のことで一瞬頭の中が真っ白になったんだったっけか。
本当にびっくりしたなぁ。驚愕したよ。
今は『こんなことがあった』って覚えているから余裕があるけれど。
――――二呼吸ほど置くぐらいかな、確か。
「………………え?」
前の時のように、言葉を返す。
彼女は繰り返し、言う。
「私のこと、好き?」
「あれ? そんな話してたっけ?」
「ううん、していなかっ――――うん、してたよ」
「……せめて誤魔化す努力しようよ。していなかったじゃないか。むしろ全く関係ない世間話程度のこと話していたのに……最近の恋愛系の主人公でももうちょっと誤魔化すよ?」
「真面目に答えてよ?」
いや、お前が言うな。
「え、でも…………」
「ほら、しっかり」
いやだからそれをお前が言うな。
「いや、でもちょっと待って。それってライクの意味で? それともラブの意味?」
「どっちもだよ。ほら、答えてよ」
「いやそんな急に言われても………………えぇ?」
話の流れというものを完全に無視した、脈絡のなさに俺は戸惑う。
その時、俺は二~三分ほど迷っていた。
今の俺だと答えは既に決まっているし、起こすべき行動は分かっているが、夢とはいえ過去を追体験として辿っている俺は、多少の動揺もあったのだ。
――――そりゃあ、まぁ、……ねぇ?
数秒ほど思考をクリアにして、過去通りの行動をする。
腕を組み、足先の向きと同じ真正面を向く。顔を上げて目を瞑り、眉間にシワを寄せる。
大きく溜め息をこぼし、俺は呟いた。
「ん――…………………………はぁ、分かった。好きかどうかでしょ?」
「うん。好きか、それとも……嫌いか」
「選択肢増えたんだけど」
……さて、
夢の中といえども、自分でも流石に抵抗あるぞこの台詞。
なんでこの頃の俺はこんなこと言ったんだ。
本当に馬鹿野郎。あのときの自分と会ったら殴ってやりたい。
あぁあもう。
ひとしきり心の中で狼狽えて、俺は言った。
「……好きだけど、愛もあるけど、恋は無い。かな」
「…………えっと、どういうこと? 五七五? 川柳? 俳句?」
お前がふざけるなよバーカ、そう心の中で言ってやった。
まぁ、聴こえるはずないけど。
ただでさえ今の自分でも変なこと言ったっていう自覚があるんだ。あまり掘り返さないでほしい。
恥ずかしいんだからよ。
まぁ、彼女のことだからそんなこと思ってもいないんだろうけど。
俺は過去の出来事通りに言う。
少し、先程のストレスの発散も含むように。
――――そういや、少なくともこのときの俺はこんな風には言わなかったっけ。確か普通に言ってたな。深い意味もなく。
「おーい、そういえば真面目な話してたんじゃなかったっけー?」
「あっ」
彼女は気付いたように声をあげる。
俺は呆れた風に言う。
「いや、今「あっ」って…………」
「ご、ごめん。でも、どういう意味なのか本当に分からないよから。動揺した、っていうか…………」
「……?」
「驚いた、っていうか……」
彼女は頭上に疑問符を浮かべるように少し困惑していた。
まぁ、ややこしいような言い方していたしな…………。
俺は過去通りに話す。
「いや、謝ることはないんだけど……うん、もうちょっと具体的に言うとさ」
そして俺は、
俺は、思い出していた。
今見ている映像よりも、昔の頃の記憶を。
初めてこの世界に来たときの出来事を。
――――初めて、この世界で、『親』を得た時の記憶を。
――――――――初めて、失ったって、自覚したことを。
――――――――――――初めて、孤独を感じた時の記憶を。
――――少し、虚しさを思い出しながら話した。
「…………例えばの話、僕に家族がいるとして、僕は母さん……父さんでもいいけど、その人に対して『大好き』って言うとするでしょ? でも、その言葉に含まれる意味は『家族愛』であり、また『親しい者への感謝の気持ち』なんだ。『好意』はあっても、『恋愛』のような『愛』は微塵も無い。『愛情』があったとしても、決して『恋』にはならないんだ。好きであり嫌いでもある――――そういうことになるのかな。自分的にはなんだけどさ」
俺の表情は、自然と徐々に暗くなっていく。
顔を俯かせる。
話していくたびに胸が苦しくなる。この感じはこれで二回目だ。
過去と、今。
だが俺は、決して表情には決して出さなかった。
絶対出してたまるか。
前の俺だって表に出さなかったんだ、今の俺に出来なくてどうする。
「……えっと、じゃあつまり、『友達としては《好き》だけど、恋人としての《好き》という訳じゃあない』ってこと?」
「まぁ、そうかな。多分だけど、僕が抱いている感情は恋じゃない。それだけははっきりしているんだ。……おそらくこの感情は――――――この想いは、ただの『感謝』じゃないかな」
俺は自分の胸を握りしめるように手のひらに力を入れる。
そうだ。
今でも覚えている。
俺は彼女の両親に救われたことを。
家族に、救われたことを。
忘れることなんて出来ない。
忘れるはずがないじゃないか。
人は一人で生きていくことは出来ないことを、俺は知っている。
初めて此処に来た時の俺がそうだったからだ。
今でも鮮明に覚えている、あの時の記憶。
親に捨てられた、赤ん坊だった俺を、
孤独な俺を、
あのまま死んでいくはずだった俺を、
彼らは救ってくれた。
ここまで育ててくれた。
人生をくれた。
未来をくれた。
だから、俺はあの人達に、
愛がある。
好意もある。
何より恩がある。
感謝してもしきれないくらいの想いがある。
だから、俺には。
――――だけど、俺には。
「私達のことは、好き?」
「うん、好きだよ」
彼女は少し赤くなった顔を俺に向けながら聞いてくる。
俺は、正面を向いたまま、淡々と答える。
確かに俺は彼女のことが好きだ。
彼女達のことが好きだ。
確かに好きではあるが、
――――だが、
「私の母さんのこと、好き?」
「うん、好きだよ」
「私の父さんのこと、好き?」
「うん、好きだよ」
「私のこと、好き?」
「うん、好きだよ」
「私の母さんのこと、大好き?」
「うん、大好きだよ」
「私の父さんのこと、大好き?」
「うん、大好きだよ」
「私のこと、大好き?」
「――――……うん、大好きだよ」
「愛してる?」
「愛情はあるよ」
「愛してる?」
「愛はあるよ」
「――――愛してる?」
「――――愛してない」
俺はそう言った。
同じように、そう言った。
愛してないんだ。俺は、彼女を。
好意も愛もある。
確かに俺は彼女が好きだ。
友人として。家族として。
矛盾は無い。好意と嫌悪が混雑しているのと同じだ。
なのに、
そう想っているのに、
そう想っている筈なのに、
それ以上が何も無い。
恩人以外の何者でもないのだ。
そして、彼女は、
――――そっか、と、少し哀しそうに、残念そうに、正面を向いた。
「私はね、征成、」
そして、その日。
彼女は、初めて俺の名前を呼んだ。
「君のこと、好きだよ」
この時、この瞬間、
今の、今現在の人生で初めてのことだった。
彼女に、名前で呼ばれたのは。
……まぁ、またこの経験するなんて、思わなかったけどな。
「征成のこと、一人の異性として、男性として好きだよ」
だから、
「ずっと、一緒にいたいよ」
それは、とても嬉しい言葉だ。
とても、喜ばしい言葉だ。
――――でも、
なんで、今だったんだ。
なんで、今言ったんだ。
駄目なんだよ。それじゃ。
そして、また、俺は、繰り返す。
この出来事を、繰り返す。
「これでも、駄目、かな」
「駄目だ」
即答する。
それはそうだろう。
これじゃ、相手の言葉に乗っかることになる。
それじゃ、あまりにもズルすぎる。
自分が(恋愛的に)好きじゃないと言っておいて相手が自分のことを好きだと言ってきたら、実は自分も相手が好きだと言うのは、あまりにも卑怯だ。
卑怯というか、酷すぎる。
都合が良すぎる。
だから断る……というのは、ほんの建前なんだけれど。
――――だって、
今の俺には、
彼女の好意に何も想わないんだ。
今の俺には、
彼女達家族に、感謝しかなかったんだから。
だから、その好意には、嬉しいとか、嫌だとか、そういった感情は無いんだ。
彼女がそばにいて、それが当然のように思い、常識のように張り付いてしまっているからじゃない。
本当に、彼女の《愛》に対しての《感情》が無いんだ。
「……ごめんな」
なんの変哲もない、形だけの謝罪だった。
俺には、これが精一杯だったんだ。
…………あぁ、なんだか、
……辛くなってきた。
――――この時の俺も、多分、そう思ったんだろうな――――――。
――――……はぁ。
「……愛はあるくせに、俺は、愛せないんだろうな、多分」
この言葉は、その時にはなかった言葉。
だから、聴こえないよう、小さく呟いた。
横を見る。
彼女は黙って聞いていた。
先程、俺が小さく呟いた言葉ではなく、
形の無い、たった一言の謝罪を。
俺の言葉を、噛み締めるように静かに聞いていたようだった。
「うん、大丈夫」
正面の景色を見ながら、彼女はそう言った。
俺はもう一度彼女に「ごめん」と言った。
前と同じように。
答えは返ってこなかったけど。
そして、しばらく無言が続く。
聴こえるのは風の音だけ。
たまに空中で揺れる花弁を見ながら、気持ちを整理する。
…………よし。落ち着いた。
それから少し時間が空いて、彼女は口を開いた。
「じゃあさ、一つ……聞いていいかな」
――――多分、これが最後の質問だったと思う。
今までとは違う、どこか深みのある言葉で彼女は言った。
当然俺はこう答えた。
「…………いいけど、何かな?」
彼女は安堵したように、うん、と頷く。
俺はただ何を聞いてくるのか待っていた。
――――そうだ、確か――――――――
――――俺はこの問いに――――――――
――――――――。
――――――――あれ?
――――なんて、答えたんだ?
――――俺は、なんて言ったんだ?
ここに来てまさか忘れているって言うのか? これよりも更に小さなことは覚えているのに? 嘘だろ?
まるで記憶からそこだけ抜け落ちたかのように、俺は彼女の最後の質問の答えを忘れてしまった。
ここまできたのだから全部過去通りに行動したい俺としては、適当な答えで当てずっぽうということはしたくない。
完全な形にしたい。
しなければならないような気がした。
だが、いくら思い出そうとしても全くもって頭には手掛かりすら掴めない。
どうすればいいのか思考に没頭していると、
「――――どうしたの?」
彼女が俺の顔を近距離で覗いていた。
思わず仰け反る。
座っている切り株の上に足まで乗せて、距離をとった。
――――しまった……! こんなこと、前は起こらなかった……!
動揺し、思わず体を硬直させてしまう。
あっと言う間に、彼女は俺に近付いてきた。
不思議そうな顔で、俺に聞く。
「どうしたの? そんなに驚いて。私の顔、何か変な物でもある?」
「い、いや、無いけど…………うん、何もないよ。大丈夫。大丈夫さ」
「そうは見えないんだけど……。ん――――、……やっぱりおかしいよ。どうしたの?」
また彼女が俺に近付いてくる。前傾姿勢で迫ってくるせいか、俺は逃げるように後ろへ這いずる。
……やばい。やばくないけどなんかヤバイ。ここまで来てこんな……!
「ねぇ、征成? どうしたの? 急に」
――いや、急にどうしたのって、お前の方だよ!
心なしか彼女が嗤っている気がしたのは気のせいだろうか。
気のせいにしたい。
なおも彼女は俺に迫る。
「ねぇ、征成」
既に眼前にまで近づいている彼女は、ゆっくりと、またゆっくりと、こちらに顔を近づかせてくる。
俺は切り株の隅で仰け反っている状態にまで追い込まれていた。もがくように顔を彼女から離そうと動かすが、不意に、
「うおっ!?」
不安定な上半身を支えていた腕の片方が、ずりっ、と滑り落ちる。
どうやら切り株の端に追いやられ過ぎていたせいか、少し後退させた腕が勢いよく地面へと突き刺さるように落下する。
つられて上半身も体勢を崩し、後ろへと倒れる。
咄嗟に腕を引き、背中から落ちるようにする。
倒れ、彼女が視界から消える間際、ちらりと前に視線を向ける。
「――――!?」
そこには、
誰も、居なかった。
困惑を抱いたまま、俺は、仰向けに倒れる――――――――――――………………
●
「――――痛ってぇ!」
頭から勢いよく床にぶつかる。
重いものを分厚いコンクリートの壁に叩きつけたような鈍い音と一緒に、頭に激痛がはしる。
不意の激痛……というか、寝起きの一撃に呻き声を上げながら、頭を抑えながら悶える。
じたばたとみっともなく暴れるが、ここには俺しか居ないので気にしない。
少しして、痛みが軽く引いたのを実感し、ゆっくりと起き上がる。
――――まぁ、寝起きにはぴったりの目覚ましだな。毎回起きる度に痛みを伴うのが弱点だけど。
――――なんてね。
さて、と、一息つく。
思考が正常に回り始めたのか、段々と思い出してきた。
ただ、よりにもよって最初に頭の中に浮かんだのは、俺が今日――――……というか、昨日なんだが、見た夢のことだった。
ベッドに腰を下ろし、頭を抱える。
――――あ~~~~なんか恥ずいな……。思い出してみたら結構くるぞコレ。気障ったらしいというか、格好つけてるっていうか…………いや、今更思い返しても遅いって分かってるけど……。
悶々とする。
――――自分がどういう人間なのか、っていうのは他人よりも理解しているつもりだけど、俺自身でも完璧には分かんないんだよなぁ。
――――心理学っていうか、人間学っていうか。
それにしても、
――――どうしてもこんな夢を今更見たんだ? 今日は特に特別な日って訳でもないと思うんだけどなぁ……。
それに、彼女があの時とった行動って、どう考えてもおかしいんだよな…………。
まるで、彼女も同じ夢を見て、俺をからかっていたかのようだった。
そんなことはないとは思う。けれど、現実味がありすぎてどうしてもそう考えてしまう。
万に一つも可能性がないとしても。
――――夢がシンクロして、繋がるなんて有り得ないよな…………、此処が神秘溢れる異世界だとしても……。
ただ、絶対に有り得ない訳ではない。
実のところ、過去に夢が繋がるという事件が起きたことがある。現在は解決されているので気にすることは無いはずだが、また起きたとなると一身上安心出来ない。
――――後で調査書出しておくかな。っと、そろそろ動かないと。
枕元にある目覚ましの時間を確認する。
現代にはあまり似合わない古風なデジタル時計だ。暗闇に表示されている数字は緑に発光している。
時刻は午前六時四十二分。
早く起きすぎてしまった、と自覚する。
しかし、二度寝してしまうのは流石に気が引ける。昼過ぎまで寝てしまう気がしてならないからだ。
というか、今日から自分が通う学校の入学式だ。
入学式に遅刻するなんてあり得ないだろう。
例え漫画だろうがあり得ない。
そうと決まれば。
重い足取りで洗面所へ向かい、軽く顔を洗う。寝癖などの身嗜みを整えて自分の部屋に戻る。その際、点け忘れていた照明を点ける。
クローゼットから、今日着ていく学生服を取り出し、寝間着から着替える。
着替え終わって、ふと時計を見る。まだ七時にはなっていない。ちょっと準備が速すぎただろうか。
……いや、これ位がちょうどいいかもな。
昨日から机の上に置いておいた鞄を持つ。最近デパートで買った大きめのリュックだ。青を基本に黒と白色の三色でバランスよく配色された 事前に今日必要な分の荷物は入れてある。あとは持っていくだけだ。
「よっと」
荷物はあまりないので、重さは感じられない。
少なすぎて逆に不安になるレベルで。
……鍵は、持ってるな。電気は消したっと。あとは…………もういいか。
玄関に向かい、愛用の靴を履く。
「さて…………じゃあ、行ってきます」
振り返り、誰も居ない部屋に向かって言葉をかける。
ばたん、と、ドアを閉めた。
鍵を掛け、開かないこと確認すると、
「お邪魔しまーす」
正面向かって左隣の扉を遠慮無く開けた。
――――あ、チャイムとノックするの忘れた。
主人公は転生者の読書好き。




