上意討ち
日が暮れて広大な庭には庭番の者が石灯籠に火をつけて、手入れの行き届いた大層な花壇や植木が浮かび上がっていた。
ここは上野国高崎藩の藩邸にして、松平左京太夫の上屋敷。
近習の真崎靭負が襖を開け、縁側廊下に松平輝和がでた。
不機嫌な表情である。庭の白砂には四名の藩士が神妙に控えていた。
「よい、面をあげい……」
「ははっ!」
この四名の藩士は高崎藩剣術指南役の高弟の内藤三樹四朗、小納戸役の森伝兵衛、新番組の安藤主膳、先手組の丹羽弥平であり、いずれも藩でも指折りの剣客であり、一刀流剣士であった。
近習の真崎靭負が四名の剣客に声をかける。
「我が藩の小姓であった伊吹悠之丞が向島で斬死した……相手は巷をにぎわす不届き者であるという……」
「はっ……『赤目の辻斬り』だとか抜かす、戯け者で……」
四名を代表して内藤三樹四朗が答えた。青白く鋭い顔立ちに、怜悧と酷薄の印象をあたえる三十代後半の総髪の剣客だ。
「そやつを町方が捕えるまえにお前たちで斬り殺せ!」
松平輝和が激情をあらわに叫んだ。
「ははっ!!!」
「伊吹悠之丞は我が一刀流の同門……必ずや討ち果たしまする」
「あいや、またれい……」
廊下の向こうから小柄な老人が声をかけて、歩み寄ってきた。
白髪頭の好々爺にしか見えない。
「これは御家老さま……」
庭先にかしこまる四藩士が頭を垂れた。
江戸家老の土井采女である。
「何用じゃ、爺……」
「……殿の御下知でありまする。その『赤目の辻斬り』とやらは、敵対勢力の刺客かもしれぬぞ、とのこと……」
この場にいたものがどよめいた。
「なんと……すれば、悠之丞が殺されたは、政の暗闘のすえ……」
松平輝和の顔から血の気がひいた。初めから標的は伊吹悠之丞であり、他の浪人が斬られたは、それを隠すための偽装工作であったかもしれぬのだ。
「殿がいわれるには、可能性のひとつということじゃ……」
「しかし……だとすれば、裏で糸を引く者がいるはず、辻斬りを捕えて白状させねば……」
近習の真崎靭負が江戸家老に申し立てた。
「いや、無用のことじゃ……あれほどの腕の者、拷問にも口を割らず、遺体を調べても糸を引く者の証拠は出まい……若の当初の御下知通り、上意討ちにいたせ」
「いいのですか?」
「ああ……殿の判断じゃ……さすがに若の選んだ精鋭たち、この者らであれば、『赤目の辻斬り』とやらも討ちもらすまいて……」
内藤三樹四朗ら剣客たちが、江戸家老にほめられ、内心雀躍たる思いだ。
「したが、念には念を入れろとの殿の申し出じゃ……五郎右衛門……」
「はっ、ここに……」
突如、後方に湧き上がった強烈な剣気に、内藤・森・安藤・丹羽がふり向く。いつの間にか背後に影法師がいた。
碁盤と材木を継ぎ足したような筋肉をもつ、不動明王の化身のごとき偉丈夫がそこにいた。
寺田五郎右衛門宗有、藩随一の遣い手と称される剣豪だ。
このとき数え年で三十七歳。
への字に曲げた口元だけでも、頑迷固陋、剣術の鬼であることがわかろうものだ。
「五郎右衛門……貴様、いつの間に……」
「………………」
寺田五郎右衛門、元は高崎藩一刀流道場で内藤三樹四朗とも旧知の仲だ。
しかし、彼は一刀流を捨て、今は平常無敵流門下の重鎮である。
内藤は御前試合で三度試合をしたが、勝てなかった……主君・松平左京太夫輝高は一刀流贔屓であるが、藩随一の遣い手である寺田五郎右衛門を買っていた。
ーーそれで増長したのか、平常無敵流を高崎藩のもう一つの御留流にと言い出しおった……
すなわち、もう一人の剣術指南役の座を狙ってのことだ。
内藤たち一刀流一門はいきり立った。
しかし、松平輝高は高崎藩では一刀流以外を御留流としないと明言した。
「さすがは英邁なる藩主様」
と、内藤ら一刀流一門は溜飲が下がった。
(おのれ……またしても五郎右衛門がしゃしゃり出てきおった……)
内藤が江戸家老の土井采女にふり向いた。
「おそれながら、御家老様! 悠之丞は一刀流の同門。ここは一刀流の我らにお任せを……」
「だまらっしゃい!!」
小柄な老人の一体どこから、と思えるほど獅子吼した。
内藤ら剣客団はもとより、松平輝和と真崎靭負でさえ肝が震える。
寺田五郎右衛門のみが身じろぎもしない不動の構えだ。
「貴様、殿の御下知に逆らうつもりか!!」
「いえっ……たまさか、そのような心算は……平に……平にご容赦を……」
地面に額をこすりつけ、只々ひれ伏す内藤三樹四朗だが、ギリリと歯噛みした。
「……わかれば良い……鷹阿弥、情報は探り得たか!」
庭の灌木から、捕り手姿の若者が出てきた。
彼は幕府諜報組織『御庭番』ではなく、高崎藩松平家の子飼いの忍びの者である。
車善七の配下にまぎれ、諜報活動をしていたのだ。
「はっ……ここに……『赤目の辻斬り』は浅草御蔵前の空き家に現れ、町方が捕り方を率いて探している模様……しかし、天鬼が隅田川川岸で見つけました……」
「ようやった、さすが我が藩の隠密衆じゃ!!
……さて、寺田、内藤、森、安藤、丹羽……我が藩の武威を示し、黒幕の心胆を寒からしめよ!
徳川将軍家に大河内松平家ある限り、盤石であることを諸藩に知らしめよ!!」
「ははあぁぁぁぁぁぁ!!!」
江戸家老の啖呵で、剣士団の気炎があがり、庭の一画が熱気であふれかえった。




