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妖霊退治忍!くノ一妖斬帖  作者: 辻風一
第五話 斬風!血を吸う妖刀
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秘剣・流れ星

 さて、老中首座の嫡男ちゃくなん・松平輝和の小姓がなぜ、三囲神社でほかの浪人と辻斬りにやられたかというと……

 それは昨日の夕刻に時間をさかのぼらねばなるまい……


 向島にある三囲みめぐり神社の境内。

 この神社は対岸から見ると、鳥居がつつみから頭だけ突出しているのが風変りで、よく浮世絵の題材にされる。

 月光に照らされた鳥居も格別の絵であった。


 無人の境内は日中の温かさも夜気で冷え、山桜桃ゆすらの白い花が咲き乱れていた。

 宿屋の提灯をもった、豪奢な着物をきた若侍は、鳥居をくぐって境内にはいった。夜目にも鮮やかな美剣士である。

 奥にはこれも提灯をもった痩せた浪人がいた。


「おっ……来たな……」


「お待たせいたしました……」


 伊吹悠之丞いぶきゆうのじょうは、高崎藩の次期当主と目される松平輝和付きの小姓であり、気配りのきく、有能な秘書官であった。

 また、見目麗しく、気品があり、藩でも有名な十八歳の美青年であった。また、華奢な体つきにも関わらず、一刀流の遣い手でもあった。


 松平輝和が時期藩主となれば、とうぜん側近として出生していくはずのエリートコースを歩んでいた。

 恵まれた家系に生まれ、恵まれた頭脳と容姿、体躯であったが、ただ一つ、欠点があった。


 それは女癖が悪いことである。

 しかも、ある程度、深い仲になると、突然、飽きていてしまい、女を捨てるという、性質たちの悪さであった。

 もっとも、有能な能吏であるので、手切れ金をはずみ、双方納得の別れ方をしていた。


 春となり、用があって神社に参詣のおり、水茶屋で出会った茶汲女ちゃくみおんなのお梶は彼の嗜好にピタリと合致した。

 四つ年上のお梶はくくれたアゴにふくよかな肉置ししおきで、江戸の娘らしく気取らない愛嬌のある女であった。


 彼の好みは武家のお堅い娘ではなく、気取らない江戸町家の豊満に熟れた娘である。

 悠之丞は水茶屋に通いつめ、悠之丞の美貌に頬を赤らめ、とまどうお梶をかき口説き、ついに肌身をゆるす仲となった。悠之丞はお梶の媚態に夢中になる。


 悠之丞はお梶に本名を語らず、偽名の『田坂孫大夫』で通し、逢引き先の宿帳にもそう書いた。

 これは、一時の恋愛を楽しむためであり、いざという時に藩に迷惑がかからないための用心深さであった。


 しかし、破局はきた……お梶の亭主というのが現れ、お梶に近づくなと警告してきたのである。

 亭主という男は、川手求馬亮かわでくまのすけという浪人者で、お梶は川手を以前付き合った腐れ縁の風来坊といい、川手はお梶をこのさき妻にする大事な娘とのたまった。


 あるいは、男女示し合わせての美人局つつもたせであったかもしれない。

 だが、伊吹悠之丞にとっては、どちらでも良かった……それは、もうお梶に飽きてきたからである……


 伊吹は非番の日に向島・三囲神社のちかくの宿屋に泊り、お梶に手切れ金を渡して、別れ話を納得させ。

 次に今度は亭主と称する川手求馬亮に会いに、三囲神社の境内にむかった。

 身なりの豪奢な悠之丞に対し、浪人者はみすぼらしい姿であった。


 悠之丞は浪人者に手切れ金を渡し、説得をした。

 しかし、過分の金額でも納得しかねると、また金を強請ねだるようなことを口にした。


 ――野良犬め、餌がまだ足りぬか……いっそのこと、斬るか……


 伊吹悠之丞は面倒になってそう思った。

 だが、今、斬っては足がつく。

 偽名をつかっているとはいえ、町方に手配されては詳しく調べ上げられてしまう。

 三ヶ月後……または、半年後に事故死と見せかけ始末することを決めた。


「ほれ、受け取れ……」


 石畳に袱紗包の金子きんすをばら撒いた。

 浪人者はがっつくように小判を拾う。


 ――ろくのない武士とは、かようにみじめか……


「……なにを笑う……」


 伊吹悠之丞が、浪人者の声でハッと気がついた。

 殺気を伴った視線が悠之丞を射る。

 そつの無い彼にしてはうっかりと、冷笑を浮かべてしまったのである。

 それを見てしまい、痩せ浪人の川手求馬亮は逆上した。


「いや、誤解でござる、川手氏……私は決して……」


「この俺を笑うか……貴様……犬が這いつくばる様は可笑しいか……え!?」


 慌てて言い訳する悠之丞の言葉を、思いつめた浪人は聞いていなかった。

 川手求馬亮は真上から覆うように両肘をはりつめ、左手で腰の鞘をつかみ、右手の平を胸前で宙に浮かべた。


 ――抜き打ちの構えか……居合をやるな……しかも、只者ではない……


 こと、ここに至っては伊吹悠之丞冷は緊張し、自衛のため刀をソロリと抜きだし、青眼に構える。

 川手はジリジリと悠之丞に歩みる。

 居合斬り相手であれば、初太刀をかわすことが出来れば勝てる。

 だが、居合斬りはその初太刀にすべてを賭けた必殺剣。

 九分以上の確率で勝利をおさめる。


 伊吹悠之丞はヒヤリと冷たい汗を流した。


「ぐふふふふ……こんな所に剣の強者がいたか……上出来、上出来……」


 二人の間に突如、声がかかった。気儘頭巾の侍・雷音寺獅子丸である。


「ぬっ……伊吹、貴様の助っ人か……」


 もちろん、悠之丞は知らぬ相手だ。


「痩せ浪人、さっさと抜け……」


「貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 川手求馬亮が電光石火の抜き打ちを雷音寺に袈裟がけに斬りおろす。

 気儘頭巾の左肩から右脇にかけて斬線が走った。

 会心の笑みを浮かべる川手求馬亮の頭から鼻柱にかけて斬り割られ、鳩尾まで走り、血しぶきを上げて、うつ伏せに倒れた。

 雷音寺の大太刀が上段から斬り落としたのだ。

 すべては一瞬の出来事であった。


 伊吹悠之丞は息が止まるほど驚いたが、頭の隅で、突然の闖入者のお陰で漁夫の利を得た。


 ――助かった。面倒な浪人が殺され、しかも、闖入者も死ぬとはなんたる僥倖ぎょうこう


「……次は貴様だ……」


「!!!」


 死者が不動の声を発した。

 見れば、気儘頭巾の男の、裂けてぜ割れた刀創きずが、フィルムの逆廻しのごとく塞がっていく。

 蜥蜴とかげ海星ひとで以上の再生能力だ。

 頭巾から覗く眼が燐火のように朱く光った。


 伊吹悠之丞が悲鳴をあげそうな自分を押し殺した。

 深呼吸をして冷静さを取り戻す。

 小姓はいざというとき、身を挺してあるじを守らねばならない。

 そのための一刀流の剣術修行を怠らなかった。


「おのれ……妖者ばけものか……」


「ぐふふふふ……そうよ、人間ひとから魔道の眷属となった」


「……体を斬っても不死身なようだが、首を斬られてもそうか?」


「いや……さすがに首を断たれてはお終いよ……ここを狙え……」


 赤目の辻斬りは挑発するように左の手刀で首をポンと叩く。

 対して悠之丞は刀を右手だけで持ち、ダラリと地面に下げ、体の力を抜いた。

 得意の秘殺剣の構えである。辻斬りの笑みが消え、右八双に構える。


「……秘剣・流れ星をお見せしよう……」


「むっ…………」


 雷音寺は隙だらけの悠之丞の構えに当惑する……これは誘いだ。

 が、あえて誘いの乗ることにした。

 無反むそりの構えから、右八双で突進する。

 間合いに入った瞬間、悠之丞の右手が地摺じずりから、ね上り、雷音寺の喉元めがけて電光が走る。


「でりゃあああああっ!!」


「ぐあああああああっ!!」


 悠之丞のきっさきは辻斬りの頸動脈けいどうみゃくを狙わず、内腿を斬り裂く。

 これは剣道試合ではない、生死を賭けたやり取りには、技倆わざと駆け引き、卑怯と見える手段もいとわない。

 足を斬って転ばせてからトドメを刺す狙いだ。


「そんな…………ぐふっ……」


 悠之丞の横鬢よこびんから左肩口にかけて斬り裂かれ、血の花を咲かせて石畳に倒れた。

 確かに小姓剣客は辻斬りの内腿を斬ったが、雷音寺は背中から翼手を生やして宙に浮かんでいた。


「ひいいいいいいいいいいいいいいっ!!!」


 いつの間にか、夜回りの老爺が駆けつけ、斬り合いを目の当たりにしていた。

 この世ならぬ悪鬼の姿に、悲鳴をあげて腰を抜かした。

 赤目の辻斬りが視線をおくると、可愛そうに石灯籠に背中をぶつけて気絶していた。


「…………弱き者か……」


 興味をなくした雷音寺は妖刀血汐丸に生けにえを引き渡した。斬殺死体の傷口から、二筋の血の川が錆びだらけの刀身に吸い込まれていった……


 黒雲で月が隠れ、境内が闇に包まれた。ふたたび、月光が降り注ぐと、斬殺者の姿は消えていた。


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