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妖霊退治忍!くノ一妖斬帖  作者: 辻風一
第五話 斬風!血を吸う妖刀
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知恵伊豆の孫

 当時の水戸候といえば、水戸藩六代目の青年藩主・水戸治保みとはるもりである。

 だが、藩財政が逼迫ひっぱくし、百姓一揆にも悩まされ、三年前の安永七(1778)年には幕府より財政立て直しの取り計らいを命じられている。


 そして、寺田五郎左衛門の仕える高崎藩藩主というのが、当時の徳川十代将軍・家治いえはるにつぐ幕府の最高権力者……老中首座の松平右京大夫輝高まつだいらうきょうだゆうてるたかであった……


 松平右京大夫輝高、このとき数え歳で五十七歳。高崎藩四代藩主にして、幕府老中首座である。首座とは、四~五名からなる老中の筆頭である。


 そして彼は、かつて徳川家光・家綱の二代につかえ、〈知恵伊豆ちえいず〉と称された切れ者の老中・松平伊豆守信綱まつだいらいずのかみのぶつなの孫であった。名門の血筋である。


 松平信綱の子孫も家光の子孫に仕えてきた。

 しかし、七代将軍で家光の子孫は絶えた……そして、御三家の紀州家から八代将軍吉宗が誕生する。

 吉宗は紀州から連れてきた家臣を重用し、享保の改革を行った。

 そして、それまで幕閣をになった重臣たちは退けられてしまった。


 享保の改革で潤った幕府であったが、またも深刻な財政危機となる。

 そこで徳川家治は、赤字財政に歯止めをかけるべく、松平輝高を勝手掛老中に任命した。

 勝手掛老中は老中首座とも呼ばれ、財政を専任する役職であり、老中たちのトップである。


つまり、わかりやすく現代で例えると、将軍を内閣総理大臣にたとえるなら、老中は内閣官房長官であろうか。


 また、家治は財政に明るい田沼意次を側用人に任命し、重商主義政策を鋭意実施中であり、しだいに景気が上向きなりつつある。


 ようやく老中首座となった松平輝高は、紀州徳川家にべったりとなることで権勢をふるう事ができるのだ。

 しかも、将軍・家治は政治から遠のき、趣味の将棋などに関心をもつようになり、実質、幕府の最高責任者となった。


 松平輝高は紀州系徳川幕府の名代みょうだいとして、水戸家、尾張家、譜代大名、外様大名、旗本御家人、朝廷、公家にいたるまで、示威をふりかざして、無言の圧力で従えた。


 さすれば、水戸治保候が近習の者におのが藩士たちの乱暴を無手で取り押さえた者が、老中首座・松平輝高の家臣である寺田五郎左衛門であったことを知って、愕然とし、青ざめたであろう。


 江戸時代の日本とは、中央集権国家ではなく、幕藩体制による連合国家であり、藩ひとつひとつが独立国家であると考えてよい。

 現在でも、独立国が自国の犯罪者を取り締まり仕切れていないと三流国家の烙印を押され、経済破綻をすれば他国の介入を受ける。

 御神祖家康公の親族である御三家といえども、例外ではない。


 おそらく水戸治保は、老中首座・松平左京太夫の

「己が家臣のしつけもできぬか……水戸候、しっかりせよ」

 と、いう声が幻聴として聞こえたに違いない……


 そんな政治背景は、ともかく……久門米次郎の寺田宗有自慢の話を、ずんぐりとした土屋庸蔵が後をひきついだ。


「以前、平常無敵流を高崎藩の剣術指南役に、という運動があったようだが、殿は大の一刀流贔屓いっとうりゅうびきであり、高崎藩は一刀流以外を剣術指南にしないといっている……寺田殿は無念であったろうなあ……」


「そんな事があったのですか……失意であったでしょうな……」


 それにしても、半九郎は、幕府のトップ・老中首座の有名剣客に面会を求めるとは、分別のついた年頃の武士であれば遠慮したであろう。

 だが、半九郎は十九歳で怖いもの知らずの情熱あふれる若者であった。

 世間知らずの剣術莫迦と言い換えてもよい。


「おそらくはな……寺田殿は頑固でなかなの難物だが、松田君の頼みだ……中西先生の書状と面会の件を頼んでみるよ……

 まずは、中西先生と寺田殿の旧交を交えてから、ゆるりと紹介していただこう……」


「おおっ!! 是非、よろしくお願いします!」


 半九郎は寺社奉行の仕事をしつつ、期待に胸を膨らませ、久門と土屋の返事を待った。


 ――寺田五郎左衛門……二十年前に中西先生と竹刀のことでもめて、道場を離れたお方……しかし、もう二十年も前の話だ。


 竹刀はこれほどに江戸剣界に普及したし、中西先生を懐かしんで、笑って会ってくれるかもしれない……そして、あわよくば、練丹法を御教授してもらえるかも……


 返事は昨日、道場主宛てに届いた。

 松田半九郎が呼ばれ、中西忠蔵が書状の返事を渡した。文面はただひと言、


『竹刀は邪道』


 と、だけあった。

 道場主は無礼だと怒るよりも先に、呆れ果てた。


「……もう、二十年も前の話だぞ……しつこいやっちゃなあ…………」


 半九郎は肩を落とす……浮かぬ顔で恐縮する久門と土屋に一応尋ねたが、寺田はそれ以上何も云わなかったという。

 練丹法修得の道は閉ざされてしまった……


 ともかく、数時間もかけて捕り方を率いて警戒したが、赤目の辻斬りの行く手は杳としてわからなかった。

 休憩することとなり、番屋に戻ると、寺社役同心で伯父の坂口宗右衛門が茶を飲んでいた。

 寺社巡りをすっぽかした事の小言をくらう。岸田同心もやってきて、旧知の坂口と挨拶をかわす。


「それはともかく、半九郎……昨日の三囲神社の浪人殺傷事件について、上の方から内々の話があった……」


「内々の話、ですと?」


「ああ……斬られた浪人者二名……

 川手求馬亮かわでくまのすけ田坂孫太夫たざかまごだゆうであるが、田坂孫大夫の身元の詮議せんぎはしないこと、だ……」


「ん? どういう事ですか、伯父上?」


「……田坂孫大夫とは、大名か旗本の所縁ゆかりの者……ではないですか……ひょっとすると、変名……」


 ポカンとする松田に対し、岸田ははやくも察したようだ。


「相変わらず、鋭い奴だのう……どうせ、町奉行所でも同じ沙汰がくだるであろう……これは内緒の話だぞ……」


 坂口宗右衛門が半九郎と修理亮を手招きし、耳に小声で話す。


「田坂孫大夫とは、宿屋張につけた偽名……本名は伊吹悠之丞いぶきゆうのじょうといって、さる大名家の小姓だ……」


「さる大名とはもったいぶってますな……奉行所に話を通すなんて、幕閣か、どこぞの大藩でしょう?」


「……ああ……上野国高崎藩……松平左京太夫輝高さまの嫡子ちゃくしで、次期当主とされている松平輝和まつだいらてるやすさまのお気に入りの小姓よ……」


「げっ!!!」


「なんと、御老中様の跡継ぎといわれている輝和さまの……

 赤目の辻斬りめ、よりによって……

 それは箝口令もでますわな……」


「松平家では、伊吹悠之丞を病による急死として、伊吹家を弟に存続させ、当人の遺体は田坂孫大夫という浪人者として預かり知らずと通した。

 だが、遺骸を引き取った商家は、松平家出入りの商家を何重にも経て命を受けた者だろう……」


 藩士が辻斬りに斬殺された事を隠すのは、松平家にとって士道不覚悟の不名誉を隠すためだ。

 そして、名門は白を黒と言い通す力があった。

 しかし、蟻の一穴という言葉もある。

 政敵の多い松平左京太夫としては小さな綻びもみせたくないのだろう。


 事件の目撃者である夜回りの老爺は、急に親戚の家に引っ越すと言い残して、門前町から去り、行方知れずだという……なんともきな臭い。


「……半九郎、岸田殿、おくびにも口に出すなよ……首が飛ぶかもしれぬぞ……」



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