剣豪・寺田五朗右衛門宗有
夜の浅草に、御用提灯や松明をもった捕り手たちの姿があふれ、まるで九州八代湾に現れる不知火の灯のようだ。あちこちで呼子笛の音が鳴る。
町方同心たちに率いられた捕り方たちは、自身番や辻番所に保管されている刺股、突棒、袖搦、半棒、六尺棒といった捕物道具を持ち、暗くなっていく夜の闇にそなえて松明・御用提灯をかかげて警戒にあたった。
さて、捕り方とは、よく時代劇の岡っ引きや同心物などによくでてくる、御用提灯と六尺棒などをもち、「御用だ、御用だ!」と盗賊などを追い詰める者たちのことだ。
彼等をなんとなく、町奉行所の役人だと思っている方も多いと思うが、実は違う。
捕り方は、浅草の車善七や品川の松右衛門、深川の善三郎、代々木の久兵衛といった非人頭などが預かっている無宿者や浮浪の民で、奉行所から依頼されて派遣している者たちなのだ。
現代風にいえば、警察に雇われた民間警備員であろう。
しかし、『赤目の辻斬り』は杳として見つからなかった……
――俺に紅羽たちと同じような練丹法が使えれば、あるいは魔物と化した雷音寺を倒せたかもしれないのに……
松田半九郎は岸田と御用提灯をもって浅草周辺を探索中、数日前の出来事をなんとなしに回想した。
中西道場の主・中西忠蔵子武に頼みこみ、二十年ほど前に道場にいた寺田喜代太という人物に紹介状を書いてもらい、中西道場に通う高崎藩士・久門米次郎と土屋庸蔵を紹介してもらった。
この二人は同じ軽輩の身で、年齢が近くて親しかったのだが、中西道場に通ううち、それぞれ竹刀派と木刀派に別れたばかりにいがみ合うようになっていた。
それが、先日の道場破りの件で半九郎と紅羽を、派閥をこえて応援するうちに、なんだか今までのいがみ合いが莫迦らしくなって、旧交を深めたのである。
「いやあ、松田君のお陰で憑き物が落ちたようだよ……」
「俺たちで役に立つことなら、相談にのるよ……」
と、友好的であった。そこで、寺田喜代太なる藩士に会いたいとお願いすると、二人とも一様に黙り込んだ。
「あの御仁かあ……今は父の名を継いで、寺田五郎右衛門宗有という……我が藩の有名人だ」
「久門殿、寺田殿は一刀流を捨て、今は平常無敵流の重鎮だと聞きましたが……」
「ああ……あの方は我が藩で最強の剣客といっていいだろう。おそらくは現在・日ノ本で一番……いや、これは手前味噌だがな……以前、騒動も起こした」
日ノ本一の剣客……その言葉を聞いて、半九郎の好奇心がもちあがる。
久門米次郎の冬瓜に似た長い顔を見つめて先をうながす。
「それはいったい……」
「なに、以前、水戸候が登城時、先駆けの徒士が乱暴であってなあ……それを見かねた寺田氏が飛び出し、五人あまりを片っ端から投げ飛ばし、やっつけた……」
「えっ!! あの御三家の……水戸家の者をですか!!! しかも、たった一人で……」
「ああ……なにせ、寺田氏は……剣は平常無敵流の池田八左衛門、居合は伊賀平右衛門、槍術を長尾撫髪、柔術を金子伝右衛門、砲術を佐々木伝四郎に習い覚え、すべて免許皆伝の腕前だ」
『日本剣道史』の著者・山田次郎吉は修行の鬼と呼ばれた剣道人で、点数をつけるのも辛かった。
だが、その次郎吉が、寺田宗有に関しては、「二百年に一人の名人」と手放しで褒め称えている。
「ほう……それは凄い……」
この登城での騒ぎを聞きつけ、黒鍬組同心たちが、十手をもって何人もでて、寺田を捕えようとした。
だが、寺田にみんな十手を取り上げられてしまう。異変を感じた水戸候が駕籠の中から近習の者に「何事であるか」と、駕籠内から問うた。
「殿、狼藉者でございます!」
「なにっ……曲者は多勢おるのか?」
「いえ、それは……我が家中の者が多勢にてござります」
「さすれば、からめとったのか」
「それが……徒士組五人が倒されてございます……」
「たわけっ! それでどうなった」
「スタスタと歩いて立ち去りました……」
「…………追うのじゃ」
「ははっ、必ずや斬り捨てます!」
これを聞いて、水戸候は大声で近習を叱り飛ばした。
「たわけ者、御尊名をお聞きし、丁寧に謝ってくるのじゃ!!」
水戸候は寺田五郎右衛門を「見上げた男よ」と、誉めたという。
松田新九郎はこの豪傑譚を訊いて、寺田の強さに感嘆した。そして、水戸候の寛大さ、懐の深さにも……
と、ここまで聞けば、講談にありがちな豪傑譚である。
しかし、同時にヒヤリとする話でもあった。天下の水戸家に対して、大名家の一介の藩士が行った行為にしては出過ぎた行為である。
そも、江戸登城の整理をするのは黒鍬組であり、大名を統轄するのは老中であり、大名を監視するのは大目付の小野一吉の役目だ。
だが、実は……この話の背景を俯瞰してみれば、ガラリと様相が違って見えるのだ――




