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妖霊退治忍!くノ一妖斬帖  作者: 辻風一
第五話 斬風!血を吸う妖刀
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阿修羅の世界

「これは、見た目は酷いが、刀創きず自体は浅いようだ……なに、五針くらいですみましょう……ただし、血が多く失っておるようだ……手術後は、滋養のあるものを食べさせるように……」


「はいっ! よろしくお願いします、玄白げんぱく先生……竜胆を……竜胆を頼みます!」


「先生、竜胆ちゃんをお願いするのですぅ……」


「まかせてください……」


 紅羽は剃髪し、おだやかな顔の蘭学医に深く頭を下げた。

 ここは御蔵前にある森田町の米問屋・大隅おおすみ屋の離れ。松田半九郎が走り回って医者を探しだした。

 ちょうど、蘭方医の杉田玄白すぎたげんぱくが懇意の大隅屋に訪れていて、診て貰うことになった。

 大隅屋の好意で離れが仮の手術室となった。

 

 杉田玄白はこのとき、数え歳で四十九歳。

 若狭国小浜藩医の家に生まれる。

 八年前に『解体新書』(ターヘル・アナトミア)を和訳し、刊行したことで有名となった。六年前、藩の中屋敷を出て、旗本・竹本籐兵衛の浜町の拝領屋敷うちに地借りし外宅とする。

 そこで開業するとともに、「天真楼」という医学塾を開いて、後進の育成につとめていた。


「よかったな、紅羽……玄白先生は現在、日ノ本でもっとも外科に優れた医者の一人だそうだ……」


 ちなみに日本に西洋流外科技術が伝わったのは、江戸初期の慶安の頃、オランダ商館のドイツ人医師カスパル・シャムベルケルが教えたものだ。

 これをカスパル流外科手術といい、日本蘭方医学の祖となる。


 玄白が離れの障子を閉め、弟子と女中とで外科手術をはじめた。

 竜胆は離れの布団の上でうつ伏となり、刀創に焼酎をふきつけてアルコール消毒をして、針と糸で縫合手術をうける。

 竜胆は竹箸たけばしを咥え、痛みを耐えた……


 華岡青洲はなおかせいしゅうが世界初の全身麻酔による手術を行うのは、この話より三年後の文化元(1804)年の出来事であり、青洲はいまだ麻酔を研究中であった。


「はい……松田の旦那……でも、手術をのぞいて、竜胆の裸を見ないでよ……」


「ば、莫迦……俺がそんな破廉恥はれんちなことをするか!」


「ふふ、冗談ですよ……それにしても、日本一の外科医に手術してもらえるなんて、竜胆は幸運だなあ……」


「きっと、紅羽ちゃんが蝙蝠さんを斬らなかったので、幸福を授けてくれたのですぅ!」


「蝙蝠は『幸盛り』、または『幸守り』か……」


 さかしげに言う黄蝶を、紅羽はぎゅっと抱きしめた。


「わわっ……なんです、紅羽ちゃん……」


「ありがとう、黄蝶……あやうく、あたしは修羅道に堕ちるところだったよ……」


「えへへへ……なのです」


 半九郎が修羅道とはなにか、と訊いた。


「修羅道……それは仏教において妄執によって苦しむ戦いの世界……修羅とは、阿修羅あしゅらという善神のこと。彼は帝釈天たいしゃくてんとの、正義の戦いを続けるうちに、相手をゆるすことを忘れてしまった……」


「そして、正義に固くこだわっているうちに、善の心をうしなって執念の固まりとなり、善のはずが、気がついたら悪となっているのですぅ……」


「ほほう……お前たちはずいぶんと難しいことを知っているなあ……」


「秋芳尼さまのありがたい法話のお陰なのです!」


「ああ……なるほど……」


「そうだっ! このことを秋芳尼さまに報告するのです!」


 黄蝶がダッとかけて、離れの雨戸から外へ出た。


「こんな夜中に危ないぞ……」


 と、松田が追いかけるが、黄蝶は屋根より高く跳躍した。

 商家の屋根、木々の枝を跳躍して、最短距離を進む。


「なっ……黄蝶は天狗の子なのか!?」


「……黄蝶なら大丈夫だよ、旦那……」


 口をあんぐりと開ける寺社役同心に、紅羽がしんみりとした声をかける。


「そうか……それにしても、何故、雷音寺は急に引いたのだ……俺を目の仇にしていたのに……」


「松田の旦那……ともかく今は奴を探し出さないと、被害が広まるばかり……」


「むうぅぅ……紅羽のいう通りだな……俺は岸田殿と車善七くるまぜんしち殿にかけあって捕り方を出してもらう……」


「あたしは竜胆を見ている……」


「……そうだな……頼むぞ、紅羽……」

 



 松田半九郎は番屋にいた岸田修理亮に『赤目の辻斬り』を取り逃がした事を報告し、捕り方を手配することにした。


「そうか……『赤目の辻斬り』の正体は、新九郎と試合した道場破り・雷音寺獅子丸という廻国武芸者だったか……」


「ええ……俺を恨んで斬りかかりましたが、突然、逃走しました……」


 半九郎は妖怪変化を信じていない岸田同心に、雷音寺が魔物と化して飛び去ったことは告げなかった――


「まさか、秋田屋の裏の亡霊屋敷に潜んでいたとはな……瓢箪ひょうたんから駒だぜ……」


「まったく、世の中はわかりません……雷音寺の奴めぇ……かならず捕まえてやる……」


 岸田同心は雷音寺が向島の四ツ木村、三囲神社、浅草の御蔵前と、まっすぐ南西に進んで姿を現していることから、南西の方角、浅草橋、柳橋方面に追手を差し向ける事にした。


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