妖法・縮地の術
白煙が消えつつある空き地に雷音寺はいない。彼は天空高くに跳躍し、天摩忍法の神気弾をすべて回避したのだ。
「ぐはははは……やるな、妖怪退治人ども……むっ!」
そのとき、雷音寺が殺気を感じて首をすくませる。
円月輪が雷音寺の頭部のあった位置を斬り裂く。
円月輪とは、直径一尺(約30cm)の金属の円形の刃の暗器だ。
天竺のシーク教徒が使った〈チャクラム〉を元に作られた忍具である。
外れた円月輪の握り手部分に鎖をついてあり、黄蝶が円月輪を引き、手元に戻る。
円月輪は鎖を装着することで鎖分銅のように攻撃範囲を伸ばすこともできる。
黄蝶は若年ながら、天摩忍群一の円月輪の遣い手なのだ。
着地した雷音寺に、竜胆の薙刀の刃が銀蛇の軌跡をえがいて襲う。
が、気儘頭巾の大太刀が猛然と下方から撥ね上げた。妖気と霊気がぶつかり、赤と白の閃光がきらめく。
豪剣の威力に竜胆は手に衝撃が走り、悲鳴をあげた。
「あうぅぅぅぅ……手が痺れた……」
そして、雷音寺獅子丸と妖刀血汐丸もまた、苦鳴をもらす。
「ぐあああっ!! なんだ、この薙刀の刃は……体が痺れたぞ、血汐丸……」
(うぐぅぅぅ……あれはまずい……かなりの霊力がこもった武具だ……舐めていたが、この妖怪退治人ども只者ではない……雷音寺、刃を避けて戦えっ!)
「ぐぐっ……わかった!!」
雷音寺は血汐丸を鞘に納めて背中に背負う。
その隙に、上空に跳んだ紅羽が天の構えから、太刀を赤目の辻斬りに向けて振り下ろした。
が、空振りとなって、地に着地。
今まで雷音寺がいた位置に彼は忽然と姿を消した。
紅羽の忍者眼をもってしても移動した映像は捕捉できなかった……
「なにっ! どこへいった……」
「ぐふふふふ……魔軍流・縮地の術よ……」
どこからか、魔人の声が聞こえた。
「ぎゃうぅ!!!」
「うわわっ!」
「ぴえぇぇっ!!」
紅羽・竜胆・黄蝶の苦鳴をあげ、体をくの字に折り、膝をついて、空き地に崩れ落ちた……高速移動した雷音寺が、肘打ちと膝蹴りで首筋や鳩尾などを突いたのである。
紅羽と竜胆は息が止まり、動けない。
黄蝶は気絶してしまった。
「ぐはははははっ……これぞ魔軍流『縮地の術』なり!」
「縮地の術……だとっ……」
縮地の術――それは葛洪の著作『神仙伝』の故事に由来する仙術である。
土地自体を縮めることで、移動距離を縮めることができた。
諸葛亮孔明もつかったというが、実はそれは、奇術的トリックをもちいたものだ。
日本では『神仙伝』の故事をとって、高速移動をする武術の技名に『縮地』と名づける流派があった。
「ぐふふふふふ……そうよ、東軍流開祖・川崎鑰之助にも完全に到達できなかった、縮地の術をわしは会得したのだ!」
『東軍流印可卷』によれば、東軍流開祖・川崎鑰之助は、廻国修行の途中、剣の奥義を極めようと上州白雲山へ参籠をすることにした。
いつものように白雲山神を拝むために社殿にはいったとき、社壇に腰かけていた老僧がいた。老僧の笈には、一尺くらいの木刀がさしこまれ、奇異に思った川崎鑰之助が、僧侶の身でありながら、なにゆえ武器を持つかと尋ねた。
「戦国なれば、出家といえども折りにより悲命に命を落とすも心の外」
と、答え、僧らしからぬ雄大な態度に非凡を感じた鑰之助は、名乗りをあげて立ち合いを願い出ると、老僧は応じた。さらに、
「(あなたの)器(武器)は勝手たるべし。我はこの木刀にて仕るべし」
まったくもって僧侶らしからぬ挑戦的なことをいった。鍵之助の刀は三尺で、老僧の木刀は一尺での試合。
鍵之助の勝利と決まったようなものだ。だが、不思議なことがおこる。
鑰之助のくりだした豪剣はすべて空を裂き、老僧の体に触れるどころか、木刀にも触れることができなかった。
その見事な高速移動の体術に感銘をうけた鑰之助は、弟子入りを求めた。が、老僧はかたく固辞して立ち去る。
したが、鑰之助は諦めきれず、子が親を慕うようにどこまでも老僧を追いかけた。
老僧も彼の熱意におれて、ついに弟子にした。
老僧と鑰之助師弟は諸国を旅すること三年におよぶ。
そして、老僧は鑰之助に秘伝を授け、「我は東軍坊なり」と正体を明かして、姿を消した。
この東軍坊とは、一説によると比叡山の権僧正であるという。
雷音寺は、この流派遠祖・東軍坊がつかった剣の見切りと高速体術こそが『縮地の術』だと言っているのであった。
「なにが会得よ……そんなの……魔物になったから使えるんでしょ!」
大地に倒れた紅羽が憎まれ口を叩く。鳩尾を蹴られて呼吸がつらい。
「抜かせっ! 貴様らとて、高位の霊力が宿った霊刀を使っておるではないか……血汐丸は使えぬが、普通の脇差しで充分よ……」
雷音寺が腰の帯から脇差し(小刀)を抜いて、白刃を紅羽に向けた。
「ぐふふふふ……我が愛刀の生け贄となれ……」
「くっ……やめろ……」
小刀が紅羽の胸に斬りつけられたその瞬間、紅羽の視界に紫紺の影が見えた。
「あうぅぅぅぅぅ!!」
紫紺の忍者装束ごと肉が斬られ、血飛沫があがった。それは紅羽ではなく、竜胆の背中であった。
紅羽と竜胆が抱き合って前方に飛び退いた。
「なっ……竜胆!」
紅羽をかばった影は竜胆であった。
いち早く回復した彼女は自らの身を挺して盾となったのだ。
「なんで……こんな……」
「痛ぅぅぅぅ……紅羽に先立たれては……喧嘩相手がおらぬでな……」
「莫迦……あたしを莫迦っているけど、竜胆のほうが、よっぽど莫迦だよ……」
紅羽が涙ぐんで罵った。竜胆が苦鳴をもらす。
「あううううううっ……」
見れば、竜胆の背中の刀創から、吹き出る血流が浮かび上がり、一筋の血流の赤蛇となって、雷音寺の持つ〈妖刀血汐丸〉の刀身目がけて吸い込まれていった。
妖刀血汐丸の錆びが剥がれ落ち、刀身が赤黒く不気味に滑光っていく。
「ぐふふふふ……少しの切り傷であっても、妖刀血汐丸は貴様の血を吸いあげるのだ……」
もともと白い肌の竜胆であるが、血の気が失せ、蒼白になり、死色を呈していく。
「り……竜胆が死んじゃう…………やめろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「友の死に目にあって、悲しいか? ならば、共に冥府へ送ってやろう……」
雷音寺が妖刀を振り上げ、夕陽が赤く反射した。
紅羽は竜胆を抱きしめたまま動けない……このままでは二人とも残酷にも両断されてしまう……




