魔軍流
土蔵のなかから、黒褐色の単衣に野袴、陣羽織の六尺豊かな巨漢が進み出てきた。
面を黒い気儘頭巾で覆い隠し、双眸だけが見える。
気儘頭巾とは、気特頭巾ともいい、寛保の頃はやった黒縮緬紅裏の男物の頭巾で、目だけ覗けるものだ。
「ぐふぅぅぅ……お前たちは……どこかで見たな……そうだ、中西道場の助っ人だ……」
「あたし達を知っているということは……やはり、東軍流剣士の雷音寺獅子丸ね……」
「ぐははははは……そうだ。もっとも、東軍流から『魔軍流』と名を改めたがな……」
黒頭巾からのぞく双眸が鬼灯のように朱く輝き出す。
魔物と化した雷音寺は、他の魔物と同じく闇夜の住人となり、陽の光を嫌い、日没まで亡霊屋敷の蔵の中に潜んでいたのだ。
町奉行所同心達も亡霊屋敷を調べたが、蔵には壊れた南京錠がかかったままで、調べられなかった。
それを自在に開け閉めできるとは、魔属の妖術に違いない。
「魔軍流……そして、その妖気……人間から魔物に変わったとでもいうの?」
「その通りよ……わしは人間以上の力を手に入れんと、『魔道界』の住人に生まれ変わった……」
魔道に堕ちた雷音寺は背負った刀の柄をつかみ、鞘から抜き出した。普通の太刀より大きい……南北朝時代に作られたとおぼしき大太刀のようだ。
錆びだらけだが、真ん中の辺りは新品のように光沢があり、不気味に滑光る。
禍々(まがまが)しい妖気があふれ出ている。
この妖気を浴びて、秋田屋万兵衛は押さえていた内儀への殺人衝動が解放されてしまったのだ……
「その刀……大太刀は?」
「わしの愛刀にして相棒の、妖刀『血汐丸』よ……」
「それで自分の弟子や、浪人……秋田屋のおかみさんを斬ったのね?」
「秋田屋? なんのことか知らぬが、不肖の弟子と浪人は斬ったわ……この血汐丸が生き血を所望でな……しかも、強き者の血だ……」
「血汐丸だか何だか知らないけど、自分の弟子を斬るなんて……あなたは横柄だけど、剣に生きる武人だと思っていた……だけど、外道に堕ちたわね……」
「ふふん……なんとでもいえ……むっ?」
赤目の辻斬りの脳髄に、妖刀血汐丸の思念が直接呼びかけてきた。
(雷音寺よ……あの娘どもはそこらの武士や剣士より強い……血を……余に、あ奴らの血を捧げよ……)
「ぐふぅぅぅ……わかった……血汐丸がお前たちの生き血を欲しがっておるぞ……たしかにお主たち、若いがそうとうの腕のようだな……その辺の算盤侍よりも上出来、上出来……」
雷音寺が愉快気に大太刀『血汐丸』を下段に構えて、天摩くノ一三人衆を値踏みする。
紅羽・竜胆・黄蝶は着物についている隠し紐を引っ張った。
着物が空中分解し、下から紫紺の忍者装束を身にまとったくノ一姿が現れる。
太刀を青眼に構えた紅羽、薙刀を下段に構えた竜胆、円月輪を両手に構えた黄蝶。
もはや、鳳空院でみせた日常の平穏な娘たちの姿は消え、戦う女忍者の姿がそこにあった。
「ややっ……貴様らは……」
「あたし達は妖怪退治人……天摩流の紅羽よっ!」
「竜胆じゃっ!」
「黄蝶なのですぅ!」
「妖怪退治人だとぉぉ……面白い、三人まとめてかかってこい!!!」
三女忍は紅羽を魔道剣士の前面に残し、竜胆が右手に、黄蝶が左手に走った。
そして、大太刀の間合の外から天摩流包囲の布陣をとる。
雷音寺は思わぬ出足に、攻めあぐねた。
「紅羽、黄蝶……この妖気……こやつ、以前の道場破りのときより、格段と手強くなっておるようじゃ……油断するでないぞ」
「それぐらい、わかっちょん!」
「怖いけど、がんばるのですぅ!」
「その意気だ!」
三女忍はそろりそろりと、雷音寺を睨みながら、右手に歩みだし、徐々に円陣内を走りはじめた。
雷音寺が前に移動すると、まるで逃げ水のように円陣も同じ歩幅を移動する。
「おっ、その戦い方は武家のものではないな……忍びの者か!?」
「そう……天摩流『三方円形陣』を馳走してあげるわ!!」
そして、紅羽と竜胆が十字手裏剣を雷音寺に打った。
雷音寺は大太刀を舞わせて跳ね除ける。
が、背中に幾つか刺さった。思わず、顔をしかめる雷音寺。
くノ一たちはその隙を逃さない。
「火術、火鼠連撃!」
火鼠とは、中国火州の山にすむ火中に棲む幻獣のことだ。
紅羽の太刀から、火焔弾が次ぎ次ぎと生まれて、流星群のように雷音寺の頭部に迫る。
「氷術、風花連撃!」
風花とは、山などに降った雪が風でとばされてきて、小雪がちらつく風流な現象のことだ。
竜胆の薙刀の剣先から、幅一尺ほどの花のような六角形の氷の結晶が生じ、六花手裡剣となり獅子丸の胸部へ放たれる。
「風術・鎌鼬連撃!」
鎌鼬とは、日本各地に伝えられる風妖怪のことだ。
円月輪から旋風を発生させて、真空の風刃を作りだし、斬撃破が赤目の辻斬りの脚部を襲う。
三女忍が円陣を立ち止まり、三方向から同士討ちにならない方角に攻撃を放ち、六尺の偉丈夫の姿が、猛烈な白煙に包まれた。
人間以上の魔人相手といえども、これでは一溜りもないはず。
だが、
「しまったっ!」
紅羽の悔恨の声があがった。




