妖刀血汐丸
――血汐丸……だと……
(そうよ……人間以上のな……拝殿の奥を見てみよ……)
雷音寺獅子丸は縁にあがり、ガランとした中に入る。
床が腐ってぬけおち、天井には雨漏りで腐った穴があちこちにある。その片隅に奉納品らしき桐の箱が見える。
箱には御札がベタベタと貼ってあるが、風化して墨がかすれている。
(箱の御札をとって、中を覗いてみよ……)
廻国武芸者はいわれるままに、御札をとって、中を見た。
朽ちかけた鞘に収まった奉納刀が一本あった。
普通の太刀や打刀ではない、長さ五尺(約150cm)もある大太刀のようだが、そうとう古い代物だ。
南北朝時代から戦乱が激しくなり、野戦では大型の刀を使うと有利なことから、大太刀が流行したのだ。
刃肉がぶあつく、頑丈な作りである。
ちなみに、三尺以上の大型の日本刀をすべて『大太刀』と呼び、戦場で使うべく作った大太刀を『野太刀』と呼ぶようだ。
(刀を手に執れ……)
雷音寺がすりきれた柄をにぎる。
すると、金属にすぎないはずの太刀なのに、掌に脈動するものを感じた。ボロボロの鞘を抜くと、刀身は錆びだらけであった。
だが、青白い陰火のように薄闇に光り輝きだした。
――これは……手から……なにか……強い力が入ってくるようだ……これが大いなる力なのか……
(余は妖刀・血汐丸……お前を天下一の武芸者にしてやろう……)
「おおっ……わしを天下一の武芸者にしてくれるのか……」
(そうよ……ただし、そのためにはそれ相応の贄が必要じゃ……強き者の血がな……)
「強き者の……血…………おう、なんだってやるぞ……だから、わしを天下一にしてくれ……」
(よし、承ったぞ……魔道界の眷属となれ!)
大太刀の柄から根のような針金が伸び、雷音寺の掌から腕に根をはっていく……
痛みが快感へと変わっていく……
そして、禍々しい妖力が彼の体内を駆け巡っていった。
廃神社の本堂の中に入った師匠をうかがっていた、河馬山と五里は師匠が背中をむけ、物の怪に取り憑かれたように錆び刀を手にして、ブツブツと言っている様を見て、怖気だった。
「おい、河馬山……師匠は何を独り言いっているのだ?」
「さあ……わからん……しかし、魔に取り憑かれたかのようだ……」
「まさか……やめろよ……」
そのとき、雷音寺がふり向いた。薄闇に影法師のように立つ姿。
その両眼が鬼灯のように朱く輝いていた……そして、鳥肌がたつほどの妖気があふれている。
「ぎええええっ!!」
「師匠ぉぉぉ~~~~!」
巨漢ふたりが総毛立ち、抱き合って震える。
師匠はいつの間にか、化生の者に憑かれてしまったのだ。
「ぐははははは……不肖の弟子たちよ……わが大望のための供儀となれ……」
錆び刀をもった雷音寺獅子丸が鬼神の疾さで二人に駆け寄る。殺気にみちて別人のようだ。
思わず、二人の弟子は雨の降る表に逃げ出した。
それでも武芸者の端くれ、二人は武器をもって応戦する。
世界が白く染まった。
廃神社屋根に稲妻が落ち、閃光が闇を駆逐したのだ。遅れて轟音が大地を揺るがした。
「ぎぃやああああああああああっ!!」
雷音寺が妖刀で弟子の打刀を撥ね上げ、拝み打ちに左肩口から右腰まで斬り裂いた。
血飛沫をあげ、唸り声をだして五里嵐十郎が風化した石燈籠に抱きつき、地へ崩れ落ちる。
「乱心してござるか師匠……」
河馬山重蔵が首の無い狛犬の石像の影から飛び出し、師匠に愛用の四尺もある大木刀で打ちかかる。
宮本武蔵の巌流島の決闘でも、船の櫂から作った大木刀が真剣に勝利した。重蔵が振れば真剣とて折れ飛ぶ。
だが、雷音寺の大太刀であっさりと両断されてしまった。
河馬山はそれを捨て、脇差で、なんとか血塗られた錆び刀を受け止めた。
錆び刀の表面を見ると、血と脂が刀身表面にまるで吸い取られるように消滅した。
そして、その部分が新品の刀のような光沢を得た。
「や……やややややや…………」
錆び刀が河馬山の白刃を紙のように斬り裂き、肥満した武芸者の皮下脂肪ごと縦に切り割った。
うつ伏せに飛沫をあげて水たまりに倒れた河馬山。傷口から大量の血がふきこぼれる。
雷音寺が錆び刀――血汐丸を水平に傾ける。
「最初の強き者の贄だ……受け取れ、血汐丸!」
(応よ…………)
二人の廻国修行者の傷口から流れ出る血が浮き上がり、二筋の血流の川となって、〈妖刀血汐丸〉の刀身目がけて吸い込まれていく……
そのたびに、刀の錆びが落ち、刀身が青白く滑光っていく。
「ぐはっ……ぐはははははははははははははははっ!!」
廃神社の境内で弟子殺しの狂剣士の哄笑が響きわたった。
地獄の葬送曲のごとく稲妻が轟く。
さきの落雷で廃神社が燃えだし、雷音寺を悪鬼のごとき形相にみせた。
彼は六道に属さない魔物の棲む世界『魔道』界に堕ち、生きながら魔道の者となったのである……




