春雷
空は鉛色の渦巻き雲に覆われ、ジメジメと湿り気をおびた風が吹き、とおくで春雷が芝居のドロドロ太鼓のように聞こえてくる。
「……どうやら、本降りになりそうな気配ですな……」
「このまま長雨になるやもしれぬ……宿へもどったほうが良いのでは……」
二人の弟子が荒れた神社の階段に座って、酒瓶をあおる師匠をうかがう。
六尺豊かな三十代の偉丈夫で、蓬髪と鬢、顎髭がグルリと一周し、唐獅子のごとき鬣のような風貌。
だが、口をへの字に曲げたまま、満面を朱にそめて不機嫌な表情。二人の言葉も聞こえていない様子で、溜め息をもらす。
この不機嫌な師匠は雷音寺獅子丸という。
弟子は河馬山重蔵と五里嵐十郎であった。
この三人は当時、江戸随一といわれた一刀流中西道場へ道場破りに向った……それはよいが、返り討ちとなってしまった。
隅田川沿いの船宿に宿泊していたが、他の泊り客たちが酒宴で騒いで癇にさわるので、日中、剣術稽古をしていた廃神社の境内で酒瓶を持ち込んで、しめった飲み会をしている。
村外れの森の中にある廃神社はそうとう荒れていて、鳥居は崩れ落ち、注連縄はとうになく、拝殿兼本殿の屋根瓦がかけ、ペンペン草が生え、正面の扉が半分はずれて、斜めにかしいでいる。神木らしき樹も、はるか昔に稲妻で倒れたままになっている。
近くに八幡神社ができて、そちらが栄え、こちらは氏子も神主もいなくなり、衰退したようだ。
ここは隅田川向島にある四ツ木村。
現在ならば東向島駅があり、南をむけばスカイツリーが見える市街地であるが、この頃は見渡すかぎり田畑しか見えない農村地帯である。
もっとも、日本橋の豪商たちは、ひなびた田園風景が良い、と寮を建てた別荘地でもあった。
そのため、秋葉権現のちかくには、豪商や文人墨客を相手にした平石・大七・武蔵屋といった有名な料理屋もあった。
本来ならそこの料理屋ではでに祝勝会を開く予定であった。
それというのも、彼等雷音寺一門は回国修行で東海道沿いの田舎道場を次々に道場破りをし、江戸の中小の剣術道場も撃破して看板をいただいた。
連戦連勝がつづき、彼等は大いなる自信をもって、江戸一番の隆盛をほこる一刀流中西派道場に嚆矢をつけた。
彼等は道場主を倒し、看板を奪い、日ノ本一の兵法者としてその名を高める夢をもっていた。
名声が高まれば、大名旗本などから剣術指南として招きの声がかかり、兵法数寄の豪商が道場の資金を融通してくれるかもしれない……そんな野望を抱いていた。
だが、それもすべて崩壊した。
中西道場の門弟を二人倒したが、若い剣客と助っ人に敗れ去ったのだ。
雷音寺獅子丸は東軍流剣術修行をはじめて十六年、師匠を打ち破り、弟子と廻国修行をして多流派の凄腕を打ち破り続けた。
――それが、あんな若造に……十九、二十ほとの若造に敗れるとは……おのれ……松田半九郎ぉぉぉ……
怒りがこみ上げ、酒瓶を地面にたたきつけた。その音に、弟子たちがビクッと身じろぎする。雨が降りだし、大地を濡らしていく。
「ささっ、師匠……風邪をひきまする……ひとまず宿へ……」
「そうでござる……まずは宿へ帰ってから、酒を呑みましょうぞ……」
「もう、酒はいらぬっ!!!」
二人の巨漢がかしこまった。雷音寺の味覚は狂い、泥水のような味しかしなくなっていた。
(ふふふふふ……荒れておるようじゃのう……)
錆びついた声が聞こえた。癇にさわった雷音寺がギロリと声のした方角を向く。廃神社本殿の中からだ。ガラクタや木箱が散乱し、埃と蜘蛛の巣しか見えず、誰もいる様子はない。
――空耳か……
(空耳ではないぞ、雷音寺獅子丸とやら……)
「貴様、なにやつっ!!」
河馬山と五里が突然立ち上がって叫ぶ師匠を見上げた。
「どうしました、師匠!?」
「誰かわしら以外の者の声がした!!」
「えっ? 聞こえませなんだが……なあ、五里……」
「おう、聞こえなかった。雨音の聞き違いではないですか?」
「むうぅぅ……」
(ふはははははは……そのもの等には余の声は聞こえぬ……なにせ、お前の心の裡に直接話しておるのだからなあ……)
――なにっ!? 心に直接……
(そうよ……以心伝心というやつよ……)
――貴様はいったい何者だ……狐狸妖怪の類いがわしをなぶるならば、一刀のもとに斬り伏せる!
(余は血汐丸……お主に大いなる力を授けようというのだ……)
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