第一試合 紅羽対重蔵
「待ってください、大先生! 我が道場の看板を賭けた試合に他流の者をだすのですか!?」
中西道場門下生たちが色めき立つ。
「……他流試合を見るのも勉強である。みな、とっくと見学するように……」
威厳ある道場主の声に、門下生たちは静まり返る。
大局的な見地の道場主に、興奮状態だった剣士たちはいくぶん、冷静さを取り戻したようだ。
ところで、道場破りに対して他流の助っ人を呼ぶのは珍しいことではない。
幕末の天然理心流の道場『試衛館』を開いていた近藤勇は、道場破りの他流試合を申しこまれることが多かった。
だが、近藤勇は真剣を持たせると無類の強さをほこったが、竹刀技は苦手であった。
そこで、道場破りの技倆を上・中・下と三段階に見極めてから、神道無念流の『練兵館』塾頭の渡辺昇に、門弟の助っ人を頼む書面を送っていた。
道場破りを撃退したあとは、女性を加えて、ささやかな馳走をふるまっている。
神道流剣士たちはそれを楽しみにしていたという。
「ちょっと待ってください……あの紅羽さんとやらと、東軍流の代表とじゃ、体格が違いすぎませんか!?」
河馬山と紅羽の体格差はまるで弁慶と牛若丸、巨人ゴリアテと少年ダビデほど違う。あきらかに不利だ。
「ふふん、心配してくれてありがとうね、梢殿。でも、問題ないわね……」
「大丈夫です、梢殿……紅羽はなかなかの腕前です……」
「そうですか……松田殿がいうのでしたら……」
松田半九郎は、師匠の中西忠蔵がとつぜん、紅羽を指名したのは、さきほど話した練丹法をつかう妖怪退治人に興味をもち、技を見たいとおもったのだろうと推察した。実際、彼も興味があった。
紅羽は忠蔵が発明した竹具足の胴と着込み、面と籠手をつけ、壁の刀架から三尺二寸の木刀と、小太刀用一尺の木刀を手に執った。
そして、河馬山重蔵と対峙した。河馬山は面をかぶって臨戦態勢をととのえた。持参の木刀は通常より長い。
「ふんっ、紅羽とやら……貴様、男の扮装をしているようだが、女だな……しかし、容赦はせんぞっ!」
「そんな心配はいらないよ、バカ山さん」
「ちがうっ! 東軍流・河馬山重蔵だっ!」
「あたしは天摩流・紅羽よっ!」
ともかく、他流試合の幕は切っておろされた。
「では、第一試合……はじめっ!」
紅羽は動かず、左手の木小太刀を『枕』に構え、左手の木刀を『斜』に構えた。不思議な防御の構えだ。
「おい、待て……あやつ、一刀流道場で二刀をふるう気か!?」
雷音寺が呆れて道場主に問い質す。
「いや、よく誤解されるのだが、一刀流は伊藤一刀斎殿が開祖だから一刀流と言うのでは無い。
“一刀”、つまり、一拍子・一挙動・一調子に納めるから一刀流というんだ。実戦で二刀を使うこともやぶさかではない」
「むう……そうであるか……」
雷音寺も納得したようだ。中西道場の若い門弟たちは心中で「そうだったのか……」と、感心した。
河馬山は四尺もある大木刀を握りしめ、大上段から紅羽めがけてドスドスと進み出る。この規格外の木刀で一刀流六段・山崎は倒されたのだ。
動物園のカバは温和でのんびり、親しみやすい印象だが、野生のカバは違う。
縄張りに侵入した同族、人、ワニ、ライオンを時速40kmで走り、攻撃する。ワニに噛みついて真っ二つにした目撃例もある。
河馬山は野生のカバの化身のごとき獰猛さで紅羽に襲いかかった。
「でやあああああああああああっ!!」
紅羽の頭部を、力を込めた一撃が襲う。が、左手の小木剣で受け流す。河馬山は返す剣尖を斜め下から突き上げる。が、これも右手の木刀が受け流した。
まるで華麗な舞を見ているかのようだ。朱雀が舞うがごとく紅羽が東軍流剣士の膂力にたよった剛剣を受け流した。
さすがに息があがった河馬山。
そこへ、紅羽の凛々しくも美しい容貌が朱の旋風となって近づき、右手の木剣を頭上にあげ、『枕』とする。
河馬山は右八双から打ち下ろすとみて、大木刀を防御にまわす、だが、遅い。
左手の小木刀が河馬山の両手を叩き、思わず大木刀を落した。
拾い上げようとする河馬山だが、揚羽蝶のごとく舞い飛んだ紅羽が彼の背中に廻った。
木刀と小木刀が鋏のように交差して、河馬山の後ろの首を挟みこんでいた。
真剣ならば首が落ちていた……
「それまでっ!!」
紅羽がウサギのように跳び、元の位置に戻る。
河馬山はドウッと膝をついた。遅れて全身から冷や汗を流した。
舐めていた相手だったが、己の数倍の腕の持ち主だと思い知ったからだ……
「勝者、紅羽!」
(ふふふふ……紅羽とやら……練丹法をつかわず、剣の技倆のみで戦ったか……)
中西忠蔵はアゴに手をあて、左口角をあげた。
「ええいっ、不甲斐ないぞ、河馬山!!」
師匠の雷音寺が河馬山重蔵を叱り飛ばす。大兵肥満の東軍流剣士はただうなだれるのみだ……
「師匠……雷音寺一門の汚名はこの俺がそそぎます……」
「おおっ、頼んだぞ、五里嵐十郎っ!」
額がせり上がり大鼻、色黒で、両手が丸太ン棒のように太く、腕が拳ふたつほど長い、金剛力士のごとき筋肉質の男が、はだけた胸を両の拳でボンボンと打ちつけた。まるでゴリラのドラミングだ。
「では次に、一刀流からは……松田半九郎、出ませいっ!」
「ははっ!!!」
「陸奥での修行の成果、見せてもらうぞ」
「それはもちろん……」
松田半九郎が壁の刀架から木刀を執った。




