女剣士対巫女剣士
天明元年四月二日、西暦でいえば1781年。徳川家の将軍も十代目家治のころ――
冬の寒さも遠のき、ぽかぽかと小春日和。
人が滅多に通らない小さな尼寺でのこと。
松林に囲まれた境内で二人の娘が剣術試合をしていた――
「りゃああああああああっ!」
「とうっ!」
二人の美少女が木刀と薙刀で打ち合っている。
薙刀とは長い柄の先に反りのある刀身を装備したものだが、今は練習試合なので真剣ではなく木刀の薙刀である。
木刀を構えている元気娘は凛としたかがやく瞳をしている。
艶のある長い髪をうしろで朱色の丸打ち紐でくくった、現代でいうポニーテールというべき総髪をした、
生き生きとした活力につつまれ、周りにいる者は落ち込んでいても元気がでてくる。
羽織に袴と、まるで若衆侍のような姿だが、線が細く女性らしい曲線がある。
彼女の名は紅羽といって、この鳳空院の離れに住む女剣士だ。
対する相手は薙刀を持つ巫女だ。白い上衣に緋色の袴がまぶしい。
雪のように白い肌に、神秘的で切れ長の眸をしている。
じっと見られると同性でも頰を赤らめてしまう美貌の娘だ。
神秘的で切れ長の瞳、額の前髪を切りそろえた目刺し髪、横髪をアゴのあたりで切りそろえた鬢削ぎ、長い黒髪を背中に垂らした巫女である。
名を竜胆という巫女剣士で、尼寺にある小さな神社の神官でもある。
戞、戞と丁々発止の撃剣がつづいたが、両者同時に飛び退き、互いに青眼の構えでにらみあう。
互いに隙がなく、攻めあぐねていた。
そのとき、寺院の松林の繁みから野鼠をおいかけて三毛猫が飛び出した。
そのわずかな瞬間をねらって紅羽がまず仕掛けた。
木刀より薙刀のほうはリーチがあるから、間合いをつめて攻撃しないと勝機はむずかしい。
しかし、竜胆はそれを読んで斜め後ろに飛びすさり、長柄を回転させて紅羽の足を払いにかかる。
が、紅羽は慌てずに空中に跳躍して薙刀を避けた。
ここは江戸市内の谷中にある丘の上――瑞雲山鳳空院というわびしい佇まいの尼寺があった。
尼寺の一角に桜の木が三本あり、石竹色の花びらが舞っている。
谷中とは今の東京都台東区であり、「寺町」と呼ばれるほど寺が多い。
これは江戸時代に上野に寛永寺ができて、その子院がつぎつぎに建ち、さらに明暦の大火(1657年)で焼き出された寺院もこちらに越してきて、寺の町が形成されていったからだ。
ここには五重塔もあり、庶民たちは行楽地として足を延ばした。今でいうテーマパークである。
谷中は丘陵地帯であり、東には筑波山、西には富士山が見渡せる風光明媚な土地だった。
四季を通して、早春には梅花にウグイスが飛び交い、春は桜、秋はすすきが映える名月が有名な名所である。
文人墨客もこぞって谷中に足をのばした。
「ふんっ!お主も少しは腕を上げたようじゃないか」
「なによ、その上から目線は! 七十二勝七十二敗五十六引き分け……今日こそ私が勝ち越しだっ!」
「いいや……私が勝ち越しじゃっ!」
「それじゃあ……神気術で決着をつけようか?」
「よかろう……」
紅羽が八双に構え、臍下丹田に気力を集める。
紅羽の周囲に赤い陽炎がメラメラたちのぼる。
「天摩流火術・火鼠!」
打ち下ろした木刀から赤い陽炎が火炎弾になって竜胆目がけて飛来する。
これは本当の火炎ではなく、〈神気〉で練られた生体エネルギー弾だ。
〈神気〉とは、万物の元になる気のことである。
これは人間をはじめあらゆる生命体が持つエネルギーで精神力、気力ともいう。
〈神気〉は生命活動の原動力で、おへその下あたりにある臍下丹田にこれをため、経絡を通って全身に元気を与えることができる。
逆にこれがないと元気がなくなる。
しかし、竜胆は薙刀を水車のように回転させて火炎弾を打ち消す。
「こんどはこっちじゃ、天摩流氷術・吹雪!」
紅羽が仕掛けると踏んだ竜胆も臍下丹田に〈神気〉を集めていたのだ。
春なのに一面に雪の結晶がチラホラとふりはじめ、薙刀を大上段にかまえてから打ち下ろすと雪の結晶が吹雪となって紅羽の視界をふさぐ。
大気中の水分を神気で凍らせたのである。
「おっ、やるな……火鼠連撃!」
紅羽が木刀を回転させると、その軌跡にそって火の玉が三つ浮かびあがり、木刀の一閃にしたがい火炎弾が連射された。
視界をおおった吹雪の幕にポッカリと穴が開く。
次の攻撃が来るかと思いきや、紅羽はじっと木刀を構えたまま、精神集中をはじめた。
(むっ、紅羽のやつ……なにか仕掛ける気だな……)
負けじと竜胆も臍下丹田に神気を集中し、体内から静かな青い闘気が輝きはじめた――
(あの高慢ちき女めっ! 新必殺技の練習台になってもらうよ……シシシシ……)
娘剣士と巫女剣士の試合を近くの石段にもう一人の少女が座って見物していた。
「紅羽ちゃんも、竜胆ちゃんもすごぉぉぉぉい!」
紅羽と竜胆が十五歳なのに対して、ふたつしたの十三歳の少女だ。
黄八丈の着物に朱色の帯、黒い下駄に紅い鼻緒をはいた町娘風。
大きな翡翠の瞳を輝かせて見ていた。
長い髪を二つ結びにし、通常は下に垂らすお下げだが、結ぶ位置が耳の上であった。
現代のツインテールのような髪型をしていて、当時としては傾奇いた髪型である。
名前を黄蝶といって、ふだんは山門からでた石段下にある茶屋で茶汲み娘をしている。
黄蝶は、さきほど茂みから飛び出した三毛猫を両手に抱えていた。
「ネコちゃん、試合の邪魔しちゃダメでちゅよ~~~…」
「みゃあああああ……(放せ……)」
白熱した試合に興奮したのか、猫をギュッと抱きしめ、両足をバタバタさせている。
三毛猫が苦鳴をもらすが気がつかない。
「は~~~い、皆さん休憩にしましょう~~今日は奮発してうぐいす餅を買ってきました」
寺院から法衣に白い尼頭巾をかぶった尼僧がお盆にモチ菓子をのせてやってきた。
「わ~~い、お菓子! 黄蝶、お菓子だ~~い好きなのですぅ! お茶をいれてきますね……」
「そうね、和菓子にはお茶よね♪」
急に寺院の入り口から尼僧のほがらかな声が聞こえて、子供のようにはしゃぐ黄蝶の様子に、二人はガクッと闘気が失せた。
尼僧の名は秋芳尼という。この尼寺――鳳空院の住持、つまりこの寺を管理する僧侶だ。
年齢は十八歳くらい。
まぶたを閉じたように見えるほどニコニコした表情で、観音菩薩のように慈愛あふれる女性だ。
左の目尻にホクロがあり、スラリと背が高く細身だが、胸部は豊満なふくらみがある。
通りかかる人々が、はっと仰ぎ見る、たぐい稀なる縹緻の持ち主であった。
「うわぁぁぁ……黄蝶、力が抜ける声をだすなよ」
「むうぅぅぅ……休憩するか……」
「そうね……」
ひらひら舞う桜の花を見ながら寺院の石段に腰かけて、四人が仲良く並んでうぐいす餅を食べる。
甘いアンコが求肥に包まれて、きな粉が香ばしい。
思わず四人はまったり、ほっこりする。
「やっぱり春はうぐいす餅ねえ……花見団子の代わりにこれでお花見しましょう」
「秋芳尼さま、春の和菓子は桜餅、つばき餅、よもぎ餅も美味しいですよ」
黄蝶と秋芳尼がとろけそうな顔をして和んでいる。
「暑くなってきたわね……」
と、秋芳尼が尼頭巾をとる。その下の頭は丸坊主ではなく、艶やかな髪を肩のあたりで切りそろえていた。
これは武家や公家の正室か側室が、主人が亡くなったときに髪を短くする「薙髪」あるいは「尼削ぎ」と呼ばれる髪型だ。現代のセミロングである。
「しかし、秋芳尼さま。何故今日はこんなぜいたく品を買ったのですか?」
この時代の甘い菓子は高級品であり、鳳空寺はけっして裕福ではない。
「うふふふふ……それはねえ、紅羽ちゃん。今日は遠く京の都で光格天皇が即位されたからなのよ。めでたい、めでたい」
「ねえねえ、秋芳尼さま。それじゃ、もう年号の安永も変わってしまうのですか?」
「そうですよ、黄蝶。今日から年号は天明に変わりましたぁ」
「う~~ん……天明、かあ……なんだかまだ実感がないなあ……」
「天明とは、夜明けを意味する。いい年号ではないか」
――ポッポッポッーーー
桜の枝に鳩が飛んで来て鳴いている。
「あらまあ、梅にウグイス、橘にホトトギスっていうけど、桜に鳩ね……」
「あれは、石段下の茶屋からの使い鳩だな……さあ、おいで……」
紅羽が口笛を吹くと、なれているのか鳩は紅羽の肩にとまる。
鳩の足に紙縒りが結んであり、ほどいて文面を読む。
竜胆と黄蝶ものぞきこむ。
鳩は女剣士の肩から飛び立ち、境内の地面に降りると、全身が土色に変わり、本物の土砂になって崩れさった。
「秋芳尼さま……怪異が出たようです」
「まあ、それは大変……」
ニコニコしていた尼僧の表情が引き締められた。
閉じていた美しい睫毛があがり、黒水晶の瞳がきらりと光る。
くノ一三人娘は、ヨモギモチさんに描いて頂きました。