一刀流中西道場
その頃、天井裏では三毛猫とくノ一三人娘の追いかけっこが終着していた。
「つかまえたのですっ!」
「にゃあ~~~~っ(放せぇ~~~~っ)!!」
「よくやったぞ、黄蝶」
竜胆が黄蝶のあたまを撫でた。
「よし、もうこんな埃とネズミの糞だらけのところからは退散しようではないか……」
ふと紅羽が見えないと見回すと、離れた一画の天井裏にしゃがみこんでいた。何かを探っているようだ。竜胆と黄蝶が梁をつたって、忍び足で近づく。
「なんじゃ紅羽、覗き見・覗き訊きはよくないぞ……」
「いや、それがさ……三白眼の旦那があたし達のことについて、道場主としゃべっているようなんだよ……」
「なんじゃとぉぉ!! 」
「声が大きいのです、竜胆ちゃん」
驚いて大声をあげそうなになる竜胆を、黄蝶が口をふさいだ。少し、時間を巻き戻して、天井下の道場主・中西忠蔵子武の私室での松田半九郎との会話を再現すると……
「お久しぶりです、中西先生」
「うむ、息災のようだな、半九郎……」
半九郎が恰幅のよい四十代の道場主に頭をさげる。現在の中西道場は二代目の中西忠蔵子武が道場主となっていた。彼の剣術界での功績を端的にのべるならば、現代の“剣道”の稽古方式の創始者である。
彼より前に直新陰流の長沼四朗左衛門が面と籠手を完成させたが、中西子武はそれをさらに改良し、竹具足という現代の胴になる防具と、孟宗竹を八つ割りにし、その四片を合わせ、柄革・先革・鍔をつけた竹刀を発明した。これは現代の竹刀とほとんど変わらない。
彼は宝暦年間に防具を改良し、竹刀稽古を取り入れた。本来、小野派一刀流は木刀での形稽古であったが、これは怪我が絶えない稽古であり、負傷が多い危険なものだった。なので、どうしても手加減しなければならない。しかし、それでは剣術の本質に辿りつけない……
そんなジレンマを、中西忠蔵は剣術の衰退の道と問題視する。そこを補完するために竹刀稽古を考案したのだ。太平の世が続いた江戸中期では、剣術道場も、竹刀打ち込み稽古へ転換しつつあった。
竹刀稽古は好評で、入門する者が増えた。防具・竹刀の新鮮さ、遠慮せず打ちこむ楽しさ、稽古で汗をながすスポーツの爽やかさ、門下生たちはそれに熱中した。停滞してういた剣術界がふたたび活性化し、一刀流中西道場は江戸で一番の大道場となった。
中西忠蔵は時代を読み、新しい物を生み出す創作者であり、先駆者であった。
だが、予想外の入門者の増加に当惑したのは中西子武である。弟子の中には竹刀稽古こそが本当の剣術と主張する派と、従来通りに木刀の形稽古を重視する派に分裂した。中西忠蔵の真意はなかなか世に伝わらなかったようだ……
「まずは、津軽藩の山鹿先生からの書状です」
「おおっ、彼は息災か?」
「はい、とてもお元気で……中西先生の紹介状のお蔭で一月ほど逗留させていただきました」
中西子武は顔が広く、津軽藩の山鹿流兵法家と付き合いがあった。松田半九郎はかいつまんで陸奥での武者修行で経験したことを話した。
そして、遠慮がちに先月に浅草で体験した妖怪騒動の顛末を語った。やはり、道場主は岸田修理亮以上に当惑した表情となった。
「ほう、すると……先月の目玉泥棒騒動は奇病ではなく、妖怪の仕業だというのか?」
「はい、信じられぬことですが、浅草で三階建て屋敷ほどの大きさもある巨大な妖怪・百目鬼というのを、この目で見、捕り方を率いて戦いました……」
中西忠蔵は脇息においた右肘をあげ、あごをしきりになでた。
「にわかには信じられぬのう……だが、半九郎は嘘や冗談をいわん堅物だしなあ……」
「結局、情けない話ですが、我ら捕り手では敵わずじまい……寺社奉行で管轄している鳳空院の妖怪退治屋に始末してもらいました……」
「………………」
松田半九郎は悄然と頭を垂れた。
「妖怪や幽霊は普通の刀や槍では倒せません……」
「ふむっ……そりゃそうだろう……幽霊や妖怪退治は坊さんや修験者の仕事だろう」
(あらら……あたしたちの凄腕の話をしているよ……)
(うふふふ……あの時は大活躍だったのです!)
(待て待て……雲行きが怪しいかもしれぬ……)
天井裏で三人の女忍者は耳をすませ、小鳥の羽ばたき音程度の小声で会話をしていた。




