怪力乱神を語らず
「おおっ……やっているな……」
松田半九郎が垣根からのぞくと、道場内では大勢の門人たちが稽古をしていた。
一刀流で有名な中西道場は、玄関には立派な破風造りの玄関に、間口六間、奥行き十二間(間は約1・82m)の大道場である。ここは小野派一刀流剣術を学んだ中西子定が開いたものである。
彼はもと小野家四代目忠一の直弟子であった。正式な流名は「一刀流」を称していて、対外的に「小野派一刀流」を名乗っていた。「中西一刀流」は「小野派一刀流」などと区別するための後世での名前であるが、この小説ではわかりやすくするため、「一刀流中西派」で通す。
「むっ、何奴!」
「この不敵な面相……道場破りに違いない」
庭で休んでいた稽古着の若者たちが、門から道場をのぞく三白眼の侍を見とがめ、木刀や竹刀をもって押しかけてきた。中西道場は近隣の御徒士組・御先手組のものから、旗本・御家人や大名の家臣などの元気が有り余っている子息が多い。若侍はため息をつく。
「まいったなあ……」
紅羽達が人馬の術で侵入した裏手は道場主の家族が住む奥であり、高い塀があったが、表の道場は低い垣根で囲っている。
江戸中期になると、道場の窓を低くして、通行人が誰でも中をのぞける造りとなっている。それに、文字通り道場の垣根をひくくしたことで、見学した野次馬がにわかに興味をもって門を叩くこともあった。停滞していた剣術道場に門戸を開く役目もある。
江戸初期までは剣術流派奥義の秘匿に神経質になったものだ。だが、江戸中期にもなると、どこの流派道場でも剣法は研究考察されつくされ、新機軸の剣技は出ない状況であった。新しい剣術流派が興っても、ふたを開ければ、他流派の技の名前を変えただけのもの、手を加えたものである始末だ。
つまりは諸流派道場がかたくなに秘密にしていた奥義がすでに、あちこちの流派が生み出していたことが判明した。なので、他流試合を禁じていた風潮も変わり、多流派が混在しての撃剣試合がおこなわれるようになった。
これによって、新しい血が混じりあい、停滞していた剣術界がふたたび活性化してきたのだ。
とはいっても、生まれつき目つきの悪い半九郎、血気盛んな門弟たちに喧嘩を売っていると誤解されてしまったようだ……
「待て待て……その男は当道場の門下生……お前たちの兄弟子だ」
渋い声に一同が振り返ると、半九郎と同じく黒羽二重の着流しの、面長痩身の三十代の男がいた。南町奉行所同心であり、半九郎の兄弟子である。色白で狷介な学者然とした風貌だが、後輩の面倒見がよく、慕われている。丹後田辺から江戸の中西道場へ修行にきたときも、いろいろと教えてくれた。
「おおっ、岸兄……いや、岸田修理亮殿、お久しぶりです……」
「一年半ほどぶりか……久しいな、半九郎……見ないうちに日に焼けたな……」
「陸奥は晴れ続きだったものでして……」
入門したばかりの門下生たちにどよめきが走る。“強い”と兄弟子たちが噂した人物だ。彼は今年で十九歳になる。半九郎が桶で足を洗っていると、岸田修理亮が無役から奉行役同心になったことを祝った。
松田半九郎は五年前の十四歳の時に国表から江戸へ出て、中西道場へ通うようになった。岸田修理亮は二十七歳で江戸に不慣れな半九郎を何かと世話して、相談にのってくれた。
たとえば、当時から中西道場では、旧来からある木刀稽古派と、新規に作られた竹刀稽古派という二大派閥にわかれて、半九郎はどちらについて学ぶか迷ったものだ。だが、岸田修理亮は笑って、悩みを一蹴した。
「よせよせ、派閥に入るなんてくだらない……高い授業料を払っているんだ……のらりくらりとかわして、どちらからも要領よく学んだらいい」
と、融通の利かない半九郎に円転滑脱のすべを伝授した。
もっとも、大名たちは、町奉行所役人を『不浄役人』などと陰口を叩いているくせに、年末に町奉行所への付け届けは忘れず気をつかっている。これはいざ、江戸に不慣れな家臣が事件に巻き込まれたり、問題を起こしたりした場合、問題が大きくならないようにご機嫌うかがいをしていたのだ。南町奉行所同心・岸田修理亮の顔が効いたのかもしれない。
やがて雑談となり、半九郎は先月から悩んでいることを口にした。
「岸兄……妖怪を見たことはありませんか?」
「なにい……妖怪だあ? 」
岸田修理亮はあっけにとられたが、苦笑した。
「武士は『怪力乱神を語らず』だ。そんな怪しげで不確かなものが、この世にいるはずなかろう……」
「怪」は怪異や尋常でないこと、「力」は力の強いこと、「乱」は道理にそむき世をみだすこと、「神」は神妙不可思議なこと。孔子は理性や道理で説明がつかないこの四つの言葉を口にしなかったと弟子が語っている。
「いや、しかしですね……」
「ははは……寺社役同心となったお前だ。立場上、『神仏を語らず』はまずいわな……なにも孔子は怪力乱神を否定していたわけではない……不可解なものは道理で考えてもわからない。わからないから、振り回される、時間を浪費する。まずは己の考えがおよぶ範疇から、考えていこうと言うことさ……」
岸田修理亮はなにごとも理詰めで考える人間である。この一刀流中西道場を選んで入門した理由も、
「剣術に諸流派あるが、一刀流がもっとも理にかなった流派で、俺の性に合う。そもそも一刀流開祖の伊藤一刀斎殿からして、神仏に頼ったり、吉兆を信じたりしないお方であったからな……」
と、こういう次第だ。江戸時代以前に立ち上げた剣術流祖といわれる人物は、とかく神秘的なエピソードが多い。
たとえば、鹿島神富流は、上古の時代に國摩真人が鹿島神宮の祭神・タケミカヅチから一太刀の術をたまわり、霊剣・布都御霊の法則を修得し、子孫の吉川氏が鹿島神宮に伝えた。
また、天真正伝香取神道流の創始者・飯篠家直は、天真正を師とこの流派を興した。この天真正は海に住む河童であり、香取大明神の化身であると伝えられている。
また、陰流開祖・愛洲移香斎が断食断水の修行をしていたとき、摩利支天の使者である蜘蛛が現れて、その動きから陰流を開眼した。蜘蛛は老翁に化身して、陰流を名乗れといったという伝書がある。
「はあ……いやしかし、先月、江戸で目を奪う妖怪が出現した騒動があったじゃないですか……」
「ああ……あれは妖怪ではなく、原因不明の奇病であろう……昔から日本人は珍しい病気の原因を妖怪や鬼のせいにするからなあ……」
「………………」
松田半九郎も以前は岸田修理亮と同じ考え方であった。妖怪や幽霊は、実際に見たもの、経験したものでしか信じることはできまい。ひとしきり話すと、岸田修理亮は道場から出かけるといった。
「なに、俺は用事があって、町廻りの途中でよっただけさ……これから番屋などに顔を見せてくる」
「御役目、お気をつけて……」
「お前も寺社役同心になったんだろ? 不浄役人などに気をつかわなくてもいいさ……」
「そんなぁ……岸兄……」
ニヤリと笑って二人は別れ、半九郎は小姓に案内され、奥座敷の道場主に面会にいく。




