黒蘭と女の勘
「へっ? みんなにも聞こえたのですか?」
竜胆と紅羽が首をたてにふる。
「にゃはははは……そりゃそうさ……猫又だからね……人語もお手のもんでありんす……あちきは黒蘭てんだ、よろしくね……」
「私は黄蝶というのです」
よく見れば、黒猫の尻尾の先が二股にわかれていた。長生きした猫は尾が二股になり、神通力をもつ妖怪になるといわれているのだ。 猫又の黒蘭がにゃあぁぁ~~んと鳴いて、普通の猫のように垣根へ消えた。
「さっそく、黒蘭の見たという道場を探すのです!」
「よっしゃ!」
一行は三味線掘と反対の北側へ進む。宋対馬守の屋敷と御徒士組屋敷の間を通り、御徒士町を通り抜けていく。
「なんだ……お前たちは妖怪退治人ではないか? そこで何をしている……」
突然、通りの脇道から男の声がした。紅羽たちがふり向くと、そこに顔見知りの寺社役同心・松田半九郎がいた。十九歳にして中西一刀流の遣い手である。黒羽二重の着流しをきて、風呂敷包をもっている。
「あっ……三白眼の旦那ぁ!?」
「三白眼はよけいだっ!」
「あいたっ(しまった)……つい……ごめんちゃ……ゆるしちくり~~」
「紅羽が失礼いたしました……松田殿は下谷の寺社廻りの途中ですか?」
「うむ……いや、違う……私用で知り合いに会いにいくところだ……」
真面目・堅物・朴念仁で、物事をはっきりいう気質の松田半九郎にしては、浮かない顔で、ごにょごにょと珍しく口が重い。
「前のボサボサ頭とちがって、月代を剃ってツルツルなのです」
「もう、諸国修行は終わり、正式に寺社役同心になったからな……」
彼は丹後田辺藩藩主にして、寺社奉行の牧野惟成の家臣である。寺社奉行は一万石以上の譜代大名職とされ、寺社行政をおこなうのは大名の家臣である。
このたび、中西一刀流の腕をみこまれて国表から召し出され、寺社役同心になったのだ。彼の仕事は寺社領内でおきる不正を調べ、犯罪者の捕縛なども行う。そして、修験者や陰陽師、紅羽たち妖怪退治屋の管理もしていた。
「それは祝着至極に存じます」
「うむ、ありがとう……では、俺は先を急ぐので、これで失礼する……」
急ぎ足で立ち去る若い寺社役同心を、三人娘はあっけにとられて見送った。
「うぅ~~ん……松田の旦那にしては、何だか怪しい挙動だったなあ……」
「確かにのう……」
「さてはこれか?」
紅羽が小指をたてて、頬によせる。
「まさかそんな……」
「むっ、あたしの女の勘を信じないの? きっと、思いを寄せる女に会いにいったのよ……」
「なにが女の勘だ……そういうのは酸いも甘いもかみしめた、経験豊富な大人の女の台詞じゃ……お主はまだ、おっちょこちょいの小娘でないか……」
「誰がおっちょこちょいだっ! あたしの女の勘を信じないのかっ!?」
紅羽と竜胆がまたも喧嘩腰でにらみあった。
「そんな事よりも、三毛猫の玉を探すのですよっ!!」
「そうだったのう、黄蝶……下谷の道場とやらを探そう……」
「いや、あたしは松田の旦那のあとを尾行するよ……忍びの腕がなるっちゃ……」
「猫のように気まぐれな女じゃのう……黄蝶、紅羽をおいて行こう……」
「はいなのです!」
かくて紅羽は松田半九郎を尾行し、黄蝶と竜胆は三毛猫のいた道場探しに、二手にわかれた。紅羽は天水桶や常夜燈の物影に隠れながらつけていく。
半九郎が通りをでて角を曲がった。すると、急に屋敷の塀が立派で特徴的になったことに気がついた。
「これは練塀ね……」
紅羽が瓦をなでる。練塀とは瓦と土を交互にのせた土塀だ。この辺りは武家地であり、南北にわたって立派な練塀があったことから、下谷練塀町という。
現在は千代田区神田であるが、江戸時代は下谷とされていた。ここには茶坊主の河内山宋春の住んだ家がある。
松田半九郎は迷いもせず、大きな屋敷の門をくぐった。男達の威勢のよい掛け声と竹刀木刀を打つ音が聞こえた。
「えっ、剣術道場? と、いうことは……」
「紅羽ちゃん!」
男装剣士がふり向くと、さっき別れたばかりの黄蝶と竜胆がいた。気まずさと可笑しさがこみあげてくる。
「なんじゃ……目的地は同じようじゃのう……」
「むふう……そうのようね……」
三人が道場の看板を見上げると、墨痕淋漓とした書体で、『中西道場』と書かれていた。
「ほへぇぇ……これが今、江戸で有名な中西道場かぁ……」




