対決猫捕り人
「ところで、黄蝶。猫捕り人てのは、なんなんだ?」
先頭を駆ける黄蝶に、紅羽が質問した。黄蝶は走りやすいように、黄八丈の着物を脱ぎ捨て、紫紺の忍者装束になっている。
「猫捕り人は、猫を皮にして三味線屋に売りとばす、愛猫家の敵なのですっ!」
天摩流三人娘は不忍池の南東のはじっこにある三つの橋――通称・三橋の右橋を渡る(真ん中の橋は将軍専用)。そして、忍川沿いの道を急ぎ足で下谷へむかった。忍者走りだともっと早く進めるのだが、世を忍ぶくノ一達は日中からそんな目立つ真似はできない。人の行き交う下谷広小路を東の脇道へ走り、さらに忍川沿いに進んだ。
「えっ、三味線って、猫皮なの? たしか豊後で見た琉球三線はニシキヘビの皮をつかってなかったか?」
「それがな……琉球三線が江戸などにつたわったが、ニシキヘビの皮は高価だった。なので、他の動物の皮をいろいろ試したところ、犬と猫の皮が主に使われる三味線になったということじゃ……特に猫の腹の皮が一番良い音が出ると聞いたのう……」
「ぎゃあああああああああっ……そんな豆知識は聞きたくないのですっ!!」
「……すまぬ、黄蝶……」
光が水面に反射する忍川に、砂利をのせて運ぶ貨物船が見えた。この辺りは御徒町という。将軍の外出のさい、徒歩で護衛する徒士の組屋敷があったことからその名がある。
道の突きあたりには大きな武家屋敷の壁が見えた。立花左近将監の屋敷で、右の塀沿いにクランク状に曲がった道を抜けると、途中で右隣に秋田藩佐竹家の藩邸の塀が見える。両屋敷の塀を駆け抜け、右に曲がった掘に、井筒屋のお玉らしき飼い猫がいたという。
「あっちのお堀にお玉がいるのですっ!」
堀には船着場があり、赤銅色に日焼けした船頭や水夫、人足たちが荷揚げして、貨物を威勢よく大八車に運んでいた。
「……ん? 待てよ……たしかこの堀の名前は……三味線掘じゃなかったか!?」
先頭を駆けていた黄蝶が立ち止まり、青い顔になる。紅羽と竜胆はその背中にぶつかりそうになった。
「んなあああああっ!! 三味線堀? 悪の巣窟・三味線屋が集まる場所なのですか!?」
「おいおい……悪の巣窟って……」
「……いや、単に堀の形が三味線に似ていたからであって、三味線屋はないはずじゃ」
それを訊いて、黄蝶はホッと胸をなで下ろした。
不忍池の水が忍川を通って、三味線堀にそそぎ、さらに鳥越川から隅田川へと通じる。三味線堀には船着場があり、さきほど見た砂利の他に、野菜・木材・下肥などを運搬する貨物船が隅田川からしきりに往来している。江戸から明治にかけて物資の流通所だったのだ。
ちなみに、この話より二年後の天明三(1783)年には秋田藩邸の上屋敷に三階建ての高殿が普請された。これを題材に、大田南畝(蜀山人)が「三階に 三味線堀を 三下り 二上り見れど あきたらぬ景」という狂歌を詠んでいる。
煙草をすって休憩している廻船問屋の手代に、三毛猫を見なかったかと訊いた。
「ああ……三毛猫じゃないが、野良猫を集めている猫捕り人たちなら見たな……」
「なんですとっ!」
血相をかえた黄蝶は手代の教えた武家屋敷の空き地へ急いだ。そこには白猫・黒猫・虎猫・雉猫・鯖猫・錆び猫・はちわれなどの野良猫を入れた大小の檻をつんだ大八車が見えた。
単衣を尻端折りに木股をはき、腹に晒し布を巻いた、目つきの悪いのっぽと太っちょの猫捕り人が鰹節を餌に投網で捕まえている。
「……この猫の腹は傷がないな……高く売れそうだぜ」
「やっぱり、野良猫は傷物が多くて売れないんじゃね?」
「おっと、この猫は首輪がある……飼い猫じゃ、後が面倒そうだな……」
「なあに、首輪を切って隠しちまえよ。家猫のほうが傷がねえしよ」
「うひひひひ……そりゃそうだ……」
のっぽの猫捕り人・番九郎が匕首で首輪を切り落とした。合計八十一匹の猫がにゃあにゃあと悲しげに鳴いている。
「きひひひひ……猫いらずで処分して、なめし革にして三味線屋に売れば大儲けだな……料亭でうまい酒と飯でもありつくか?」
太っちょの猫捕り人・阿平も首輪を切って、舌なめずりをした。
「どうせなら、新吉原にでもくり出して、ドンチャン騒ぎをしようぜ!」
「いいねえ……きひひひひ……」
「悪党どもっ! そうはさせないのですっ!!」
突如、少女の声が割ってはいり、猫捕り二人組はそちらに首をむけた。黄蝶が怒りの闘気をまとって立ちはだかった。




