猫を探して不忍池
「あっ、カルガモの親子がいるのです!」
「えつ、どこだどこ、黄蝶?」
「ほう……カワイイものじゃのう……」
昼四ツ(午前十時)ごろ、おだやかな日和のこと。黄蝶の人差し指のさきに、広大な蓮池を親鴨の後を一列になって進むカルガモ御一行が見えた。
ここは江戸でもっとも大きな蓮池のある不忍池である。中の島には弁財天があり、歌麿や広重の絵の題材ともなった場所だ。天台宗の僧侶で、家康・秀忠・家光につかえた黒衣の宰相・南光坊天海が創建した東叡山寛永寺があり、天海が寺を比叡山麓になぞらえ、琵琶湖にたとえて不忍池、竹生島にたとえて中の島をつくった。広大な人工池の蓮は見ものである。
「て、お主たち……カルガモではなく、猫を探すのじゃ……」
「はっ、そうだった!」
紅羽たちは駒込村へ借りていた大八車と衣装をかえし、そして谷中にもどらず、南西の本郷に足を運んでいた。駒込村の妖怪退治の依頼がある前から、日本橋の絹物問屋・井筒屋の御内儀から、愛猫探しを頼まれたのだ。井筒屋からは、ツンとした表情の三毛猫・玉の人相書きならぬ、猫相書きまでもらっている。赤い首輪に金鈴が特徴だ。
貧乏寺の鳳空院では、妖怪退治以外にも、寺領で畑仕事や薪拾い、釣りなどをして自給自足をするほか、こういった猫探し・犬探しの臨時内職もしているのだ。それらしい三毛猫が本郷の不忍池で見かけたという情報を得て足をはこんだ次第である。
「だけどさあ……猫なんて気まぐれだから、一週間くらい姿が見えなくても大丈夫じゃないのかなあ……」
茜色の羽織に、黒袴をはいた若侍姿をした男装剣士の紅羽が乗り気でない調子でいった。
「そうはいうが、三毛猫の玉を探し出したら一両の手間賃がでるのじゃぞ」
白い羽織に緋色袴をはき、薙刀を携えた巫女剣士の竜胆が口をはさむ。
「ひえええっ……『猫に小判』ならぬ、『猫が小判』になるなんて……井筒屋さんは羽振りがいいなあ……」
江戸時代中期の一両は現在の価値にして、10~12万円くらいになる。当時は大工の日当が銀五匁四文で、現在の価値では1万2千円くらい、だから大工の十日前後の給料分のお金が入るのだ。ちなみに、豆腐は一丁十二文で390円くらい、蕎麦屋のお蕎麦は一杯十六文で520円くらいだった。現金なもので紅羽が目の色かえて猫探しに躍起になる。
「おっ、黄蝶、見つけたのか! ……て、なんだぁぁ……ただの野良猫かあ……」
池のほとりの繁みに、黄八丈の着物に赤い帯をまき、赤い鼻緒の黒下駄をはいた町娘がいる。普段着の黄蝶は、しゃがみこんでニャアニャアといっている。相手は上品な三毛猫とはほど遠い、ぼってりと太ったブチ猫だ。黄蝶は愛猫家であり、暇があると猫とこうやって遊んでいる。
「なんだ黄蝶……もしかして猫語が話せるのか?」
「いいえ……猫語はわからないのです……でも、なんとなくわかる気がするのです……にゃにゃにゃにゃああああっ!」
黄蝶が猫の手になって叫ぶと、周囲から十匹ちかい野良猫が飛び出してきて、紅羽と竜胆はぎょっとした。黄蝶がにゃんにゃんにゃにゃああと猫と話す姿は異様であるが、可愛いらしくもある。
「あっちのほう……下谷でお玉らしき三毛猫をみかけたという情報をつかんだのです!」
「なんじゃと、黄蝶……それは真実かっ!?」
「えっ~~と……なんとなくわかるのですよ」
「ほんまかいな……」
懐疑的な眼差しの紅羽。
「じゃが、手がかりがないのじゃ……ともかく黄蝶のつかんだ情報にすがろう……」
「とほほほ……豊後で知られた天摩流忍者が江戸で猫探しとは情けないなあ……」
「それをいうでない、紅羽……」
暗い顔をする紅羽と竜胆だが、黄蝶は元気いっぱいに南西に走り出した。
「急ぐのですっ! 下谷には猫捕り人が出て、こちらに逃げてきたという猫がいるのですっ!」
「おいおい……そんな細かいことまで、にゃあにゃあ……で、本当にわかるのか、黄蝶?」
「はいです、なんとなくわかるのです」
「なんとなくねえ……」
「ここは黄蝶を信じて、猫捕り人より先に三毛猫の玉を捕獲するのじゃ!」
「う~~む……よっしゃ、黄蝶を信じよう!」
紅羽は気持ちを切り替え、黄蝶と竜胆を追いかけて、不忍池から南東の下谷へ向かった。
「猫も歩けば棒をのぼるのですっ!」
「それ本当は、犬も歩けば棒にあたる、だよね!?」




