秘剣・切落
一刀流の『切落』とは、斬り込んできた相手の剣を落とし、己の一撃だけを決める技である。現代の剣道でいう「面打ち落とし面」である。柔術、相撲、唐手でもある技だ。ボクシングではカウンターという。形勢を逆転させる必殺技である。
「しかし、上段から刀を撃ってきた相手に対し、わずかとはいえ遅れてかかるのは不利ではないか?」
「そこを、電光の速さで頃合いを量り、韋駄天なみの瞬発力で相手の刀を落すのさ。他流派では『後の先』ともいうね。あの宮本武蔵も得意だった。
……でも、理屈と実際は別。かなりの覚悟と実力が無いと習得できないね……」
「ふぅむぅぅぅ……」
相手が上段から攻撃してくるのに呼応して、こちらも上段から刀を下ろし、相手の軌道をずらし、太刀が当たった瞬間に相手の正中線を撃つ技だ。極意は右手の掌底で太刀をおさえ、左手と左半身で前方にある見えない車輪を回すように、相手の方から手前に回すという。
気を失い、激痛で地面にうめく破落戸どもを尻目に、三人娘の前に半九郎がやってきた。
「紅羽といったか……さっきの手裏剣はたすかった……」
「へへん……どういたしまして!」
「……まあ、それが無くても倒していたがな……」
「なんですって!」
大立ち回りがすんだあと、普請場に表から寺社同心が捕り方を引きつれてやってきた。見れば、事件を依頼した坂口宗右衛門であった。
「おおっ、坂口様……浅草に寺社廻りですか?」
「紅羽たちか……掏摸の親分が若者たちを普請場に連れていったという報告があり、来てみればこの有り様とは……やるのお……」
捕り方たちが黒駒の仙八一家を縄でしばって自身番に連行していく。喧嘩騒動を起こした上に、御禁制の火縄銃を所持していた罪もある。だが、女掏摸・緋鯉のお吉はすでにどこかへ消えていた。
「いえいえ、あたし達だけじゃございません。このお方がほとんど倒しました」
紅羽が三白眼の武士を紹介する。
「あああぁぁっ……お前は半九郎ではないかっ!」
「これは……お久しぶりです。伯父上……」
「ええっ!! 坂口様の甥っ子だったの?」
「全然、似てないのですぅぅ!」
「これ、黄蝶。口を慎むのじゃ……」
竜胆が慌てて黄蝶の口をふさぐ。確かに細身で細目の洒脱な感じの寺社同心・坂口宗右衛門と、背が高く、筋骨たくましく、三白眼で凄味のある顔つきに、剣一筋といった感じの松田半九郎はあまり似ていなかった。だが、坂口は気にした風もなく、
「半九郎はわしの弟、隆泉の子でのう……弟は丹後牧野で、一刀流の佐久間道場で師範代をしておる……」
武士の次男坊、三男坊は家督をつげず、家で冷や飯食いといわれる存在となる。なので、坂口宗右衛門の弟・隆泉は必死に武芸を鍛えて、松田家の養子となった。その後、腕が立つので佐久間道場の師範代となる。
坂口宗右衛門と松田半九郎が仕える牧野惟成は丹後田辺藩五代藩主で三万五千石。そして、江戸で寺社奉行も務めている。
「しかし、血の気の多い奴じゃのう……役目に突く前の藩士が喧嘩沙汰をおこしてはいかんというに……」
「いやあ……少々、腹に据えかねることがございまして……」
小言をいう坂口に、半九郎は頭をかいた。
「ところで紅羽よ……探索の具合はどうじゃな?」
「それが……探索の途中で思わぬ奇禍に会い、おくれましたが、百目の通り魔の件はかならず……」
「伯父上、百目の通り魔とはいったい……」
「そうか、お主は陸奥へ武者修行をしていて知らなんだか……実は最近、眼球泥棒の妖怪が世間を騒がせておるでの……」
「ほう……妖怪とは面白い。あの新免宮本武蔵殿も妖怪退治したとか……私めがその妖怪を退治をしてくれましょうぞ……」
「それはならん!」
「えっ……なぜですか?」
「すでに多くの同心や捕り方が目を盗まれておる。武術の達人であっても敵は常識はずれの妖術使いである。神通力をもつ妖怪退治屋にまかせろとの、上からのお達しじゃぞ!」
このまま失態が続いては、幕府の沽券にかかわるということである。
「しかし……そんな弱腰では……ところで、妖怪退治屋とはどこの坊主や神官たちなのですか?」
「その方と戦っておった娘たちじゃ。紅羽、竜胆、黄蝶という……」
「えっ、まさか……あのような小娘たちが!」
坂口宗右衛門が振り向いて紹介しようとしたが、三人娘はすでにどこにもいなかった――ただ、黄昏の空に紋白蝶と紋黄蝶が数匹飛び交い、幻のように消えていった……そこへ捕り方が坂口に慌てて駆けてきた。
「坂口さま、椚の森で倒れていたヤクザ者が……」
「どうした!?」
黒駒一家の元猟師のヤクザ者源蔵が気絶して倒れていたが、その両の眼があるべき場所は肉肌が覆い、のっぺらぼうとなっていた。
「百目の通り魔か……さては森の奥に妖怪がいるな……さてはすでに紅羽たちは探索に向かったか……やるのう……」
「では、私が助けてやらねば……」
坂口宗右衛門の制止をふりきり、松田半九郎が椚の森の茂みに飛び込む。が、足首が繁みに消えた瞬間、半九郎が頭から飛び出してきた。物理的にありえない怪現象である。
「なんじゃあああっ?」
「……あれっ? 伯父上……なぜ森の中に……」
「わしが森の中にいるのではない、半九郎が出てきたんじゃ!」
「なんとっ! 俺は森の茂みに飛び込んだはずですが……」
「ううむ……これは百目の通り魔の妖術のたぐいであろうのう……」
信じられない面持ちの松田半九郎と、狐に顔をつねられた面相の坂口宗右衛門。椚の森は閉鎖結界が張られていたのだ――
その頃、紅羽・竜胆・黄蝶は森の奥でおそるべき怪異と激闘をくりひろげていた――




