水虎対化物藻
黄蝶が紅羽の太腿に天摩流の秘薬を塗って、布で巻いていた時、玻璃灯籠にビシビシとひび割れが入った。
「ぴええええっ!? 灯籠が勝手に割れちゃうのですぅ!?」
「壊れないはずの灯籠が……ひょっとして!」
ギヤマン牢が割れ、中から雛人形ほどの大きさの秋芳尼とお小夜、瀬兵衛の座棺が飛び出し、みるみるうちに大きくなった。
「おおっ!! 元に戻ったぞ!!!」
「きっと、秋芳尼さまの法術で解除したのですよ!!」
黄蝶が涙ぐんで秋芳尼に抱きついた。
が、その身体が氷のように冷たく、ぎょっとして離れ、秋芳尼の顔を見上げた。
秋芳尼の尼削ぎの髪が腰まで伸びてゆき、胸元を押し広げ、優しい顔が淫乱で冷酷な表情へと変化する。
「ぴええええええっ!!」
「お前は悪霊のお咲だな!!」
「そうさ……秋芳尼の霊力だけじゃ妖術の牢獄から出られなかったので、あたしが力を貸してやったのさ! もっとも、力尽きた秋芳尼は眠ってしまったから、その間あたしがこの身体を乗っ取らせてもらうよ!!」
「ぴええっ!!! 秋芳尼様を返してなのですぅ!!」
「あとで竜胆に悪霊祓いをしてもらうでござるよ」
「おおっ!!」
「なんだってぇ!? させやしないよ!!」
一方、水虎は体内から浄化しようという竜胆の破魔氷姫剣に苦しみのたうちまわり、川で暴れ、水飛沫があがり、波が岸辺に押し寄せた。
その姿が液状化して溶け崩れた。
それを見届ける竜胆は、
「やったのか!? それともまた液状化の術で……」
巫女忍者の疑心は当たった。
川面が揺れ、波紋を描き、数条の水柱があがり、ねじくれ、集合して水虎の巨体を再生していく。
覆水盆に返らずというが、妖術・覆水戻しは、盆からこぼれた水を元に戻すがごとく、負傷した肉体の箇所も初期化して再構築できるのだ。
「おのれ……この術でもダメじゃ……奴は不死身か!?」
再生に時間がかかるようだが、打つ手がなく、じりじりと焦りながらも、紅羽・竜胆・黄蝶・松田が武器を構えて迎撃態勢をとる。
「再生する間に神気を練って、臍下丹田に神気を集めておくんだ!」
「おう!」
その姿を見たお咲は、
「へん、だらしないねえ……」
「なんだとぉ!!」
「ここはあたしにまかせな……この最高の肉体と顔を傷つけさせやしないよ!!」
秋芳尼に憑依したお咲が両手をあげると、川面が小刻みに揺れ、水中から水草や淡水藻が次々と飛沫をあげて水面に出て来た。
一里四方の水草水藻が集積し、水虎に匹敵する大きさの巨大な人型になった。
お咲の念動力が生みだした怨霊の怪物である。
「なんだあれは!?」
「藻のお化けですぅ!!」
「ひひひひひ……水虎をやってしまえ!!」
「ふう……妖術・覆水戻し……一日に三度もつかうはめになるとは……」
妖力を大量につかって水虎はやっと再生が完成した。
かと思えば、化物藻の巨人が両手をあげてつかみかかってきた。
「ガオオオオオオオオオン!!」
水虎は鉤爪を閃かせて巨人の胸を切り裂いた。
胸部を大きくえぐられたが、みるみるうちに藻や水草が伸びて修復し、水虎に襲いかかった。
両手が幾筋もの水草や藻の綱となり、水虎を縛り上げた。
「グギャッ!!」
幾条もの藻草が水虎の身体をぐいぐいと締め上げて行く。
水棲妖怪は化物藻の巨人の拘束に負けじと、怪力で水草を引きちぎる。
怪力が巨人を真横に引き裂き、千切れた水草や藻が川を漂った。
「妖怪め……緑の髪は女の命って言葉を知らないのかい!!」
藻や水草は生き物のように動き、ふたたび集まりだした。ふたたび化物藻の巨人が水虎を締め上げる。
「ガアアアアッ!!!」
「おおおっ……お咲が水虎を圧倒しているぞ!!」
水虎が口から透明な水を吐きだした。
化物藻の巨人の全身を覆い、丸く包み込むと、縮小させ、天水桶ほどもある大きさの玻璃灯籠に変えた。
水飛沫をあげて巨大玻璃灯籠が柳瀬川に沈む。
「しまった……」
一里四方周囲の水草や藻はすべて使ってしまった。
遠距離の藻や水草を集めるのに時間がかかってしまう。
「ちっ……あたしも戦いで念動力を使い果しちまったよ……」
(お咲さん……お咲さん)
「ちっ……目覚めまったかい、秋芳尼……だが、身体は返さないよ……あたしは欲深いんだ。孫兵衛たちは悪弥太を取り殺して満足し、成仏したが、あたしは違うよ……あんたの身体で金持ちを誑かし、おもしろおかしく暮らすんだ!」
「なっ……とんでもない毒婦だ……お咲殿の本性はこうだったのか……岸兄や町蔵親分の言う通りだった……」
松田半九郎の中で抱いていた、無理矢理に愛人にされた可愛そうなお咲の心象が、音を立てて崩れた。
松田半九郎が初心というより、岸田修理亮と町蔵親分の経験測による眼力が上だったのであろう。
「莫迦野郎! 秋芳尼様の身体でそんな事させるか!!」
「しかし……紅羽たち以上の霊力と神気術をつかう秋芳尼殿に、隙をついたとはいえ、憑依するとは……お咲はかなりの霊力を持った幽霊なのでござるなあ……」
お咲が取り憑いて凄艶な表情になった秋芳尼の顔が、瞬転して穏やかな聖女の顔に戻った。
「きっと死後になって、霊力が開眼したのでしょうね……って、勝手にしゃべるな!!」
「秋芳尼殿!? これは一体……」
お咲が乗っ取った秋芳尼の意識を押しのけて秋芳尼が一瞬、表面に出たのだ。
(ですが、お咲さん……ここのままでは、みんな水虎に血を吸われ、魂を奪われてしまうかもしれませんよ……水虎は人間の魂を吸い取って強大になってゆくのです)
「くっ……あの化け物に魂を喰らわれるなんて……そんなのはまっぴら御免さね!」
(わたくしに身体を返してください……水虎を封印する術があります)
「本当か!! ちっ……仕方がない……頼むよ!!」
松田同心はまるで秋芳尼が声色を使って一人漫才でもしているように見えるが、真剣な憑依霊との戦いの姿でもあるのだ。
お咲の霊体が引っ込み、秋芳尼の意識が肉体に戻った。
髪の毛が元の長さに戻り、表情が優しい顔つきに戻る。
ハッと目が覚めた表情で、襟もとがはだけて艶めかしい白い肌をさらしている姿に気がつき、恥ずかしげにこぼれんばかりの胸元を押さえ、襟もとをしめた。
「ふうぅ……あらまあ……お恥ずかしい……」
「見ちゃだめなのです、松田のお兄ちゃん!!」
「いや……見てない……見てないですぞぉ……」
「水虎は液化の術を使い、倒すこことは困難です……封印術を使いましょう」
「するとあの……」
「そう、天摩流封印術・四瑞封魔陣です!!」
「やりましょう、秋芳尼様!!」
水虎は橋の残骸を押しのけ、岸辺にあがった。
少し向こうの田畑の畦道を、瀬兵衛の棺桶を担いで逃げる松田半九郎とお小夜の姿が見えた。
「待てい!! その死骸を渡せぇぇ!!!」
大地を響かせ、水虎が地上を移動する。
が、枯葉を敷き詰められた空き地に行くと、急に足が重くなり、止まった。
「なにぃぃ!?」
水虎の周囲四方の木々や茂みに隠れていた秋芳尼・紅羽・竜胆四人の妖霊退治人が現れた。
木々の枝に摩利支天護法陣の霊符が貼られていた。
彼女たちが左右の手を前で合わせ、中指を立ててあわせた。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」
彼女たちは裂帛の気合をこめて呪文を唱えた。
文字ごとに指が複雑に交差し、組み直される。
四人は大地に片膝をつき、両の掌を当てた。
掌が光り輝き、四方に光の筋が分離。
霊符がひとりでに飛んで水虎の全身に貼り付いていく。
「しまった……罠かっ!!」
水虎が口をあけ、水を出して秋芳尼を再びギヤマン牢に閉じ込めようとした。
が、その口に松田半九郎が玉を投げた。
「同じ手は食わぬ!」
忍者七つ道具の蛍火の玉で、中身の粉塵が口内に舞って妖術水を出すことができなかった。
そのわずかな間が妖怪にとっての命取りになった。
水虎の足元が光り出した。
枯葉を敷き詰めて隠された梵字の術式が発動。
光は直線を描き、大小の円形を描き、梵字を浮かびあがらせた。
水虎の周囲に巨大な正方形の法術陣が浮かび上がる。
松田とお小夜が棺桶を持って逃げたのは、ここへ誘い招くための誘導作戦であった。
四人の立つ足元から光り輝く霊獣の幻影が浮かび上がる。
秋芳尼の足元から麒麟の幻影が浮かび、紅羽の足元から炎に包まれた鳳凰の幻影が浮かび、竜胆の足元からは鷲のような翼をもつ応竜の幻影が浮かび、黄蝶の足元から巨大な甲羅を背負った霊亀の幻影が浮かびあがった。
これぞ天の四方を司る霊獣である四大瑞獣の分身である。
四瑞封魔陣とは、季節神である四大瑞獣の法力を借り、この世を怨み続ける悪霊や邪悪な妖怪の動きを止め、その本体を封印するのだ。
聖なる瑞獣の分身の霊光に囲まれ、水虎は法術陣から逃れられない。
梵字の書かれた小円から光り輝く帯が伸び、水棲妖怪を拘束。
「ギャオオオオオオオン!」
「天の四方を守護する季節の神獣よ……邪悪なる魔障者に戒めを……天摩流封印術・四瑞封魔陣!!」
妖怪がすべての力を込めて霊帯の戒めを断ち切ろうとするが、光る霊帯は切れず、逆に強く縛り付けていく。
法術陣の中心に水虎は四つん這いとなり、地面に叩きつけられた。
そして、霊帯が雁字搦めにまきつき、地底に吸い込まれていった。
「封印が成功しました!!」




