緋鯉のお吉
浅草――金龍山浅草寺は江戸で最古の歴史をほこり、徳川家康が幕府の祈願所と決めていらい、堂塔が増えていき大きな寺領となった。江戸でもっとも人気があり、にぎやかな場所である。
浅草寺の本尊は慈悲ぶかい聖観音菩薩。雷門から仁王門までには仲見世が立ち並び、昼間は人でにぎわう。本堂の北西に広場があり、水茶屋・見世物小屋・矢場・寄席・楊枝店が立ち並び、色鮮やかな絵看板や幟が人目をひく。さらに物売りが行き交い、大道芸人が技を見せていた。
“百目の通り魔”が多く出現する地帯は浅草界隈から向島、本所が多い。まずは谷中に近い浅草から調査を開始することにした。妖怪は普段は白い水車柄の赤い着物をきた美女の姿に化身しているというので、それらしい女を探すことにした。
とは言っても、浅草詣でなどの観光でにぎわう寺町は芋をあらったように人、人、人でごった返していた。三人娘は屋根の上から怪しげな女がいないか見回している。屋根瓦の上に三人に妖怪退治屋が佇み、四方を睥睨していた。
「さすがに“百目の通り魔”の噂がたって、赤い着物を着る女性も見かけないなあ……」
紅羽が手を額にかざして大勢の通行人を見回すが、赤い着物の女を見つけることはできなかった。
「“百目の通り魔”は夕暮れから夜中にかけて出現するという……夕方まで待つか……」
「そうですね……今回は手がかりが無さすぎるのです……」
「ふふふ……いい手があるよ……あたしにまかせな……」
竜胆と黄蝶が紅羽をみて頷く。三人の姿は屋根瓦で朧にかすみ、消えてしまった。
にぎわった浅草も日が暮れだした。通り魔をおそれて人が減っていく。噂の妖怪“百目の通り魔”を恐れてのことであろう。
そんななか、深編笠をかぶった武士が夕日に長くのびる影をひきずって歩いていた。その正体は女剣士姿の紅羽である。自らが囮となって眼球泥棒をさがしているのである。
「ちょいと、そこの若いお武家さま……いい店がありますぜ……」
丁髷に手ぬぐいを結びつけて日除けにした、派手な色柄の着物をきた男が紅羽に声をかける。天水桶の裏に隠れていた黄蝶が色めきたつ。
「怪しい男が出てきたです! 加勢するのです!」
「いや、待て。ただの客引きだ……」
男は竜胆の言う通り怪しげな店に誘い込もうとうする客引きだった。紅羽は適当にあしらって追い返す。
同じ頃、浅草の寺社領を出て南側、田原町の広小路を歩く恰幅のよい商人とお伴の手代が歩いていた。東の大川橋を渡って、西の天竜寺へ商用に伺う途中の油商人である。蛇骨長屋の角から婀娜っぽい女が早歩きでやってきて、油商人とすれ違った。緋鯉と黒鯉の描かれた赤い着物を着ている。その時、肩が軽くぶつかり、女は色っぽく笑みを浮かべて謝った。油商人は「いや、なに……」と、鼻の下をのばしてすれ違って歩いて行く。
女は右の口角をあげてほくそ笑む。袂からズシリと重い財布を取り出した、彼女は女掏摸だ。その手をグイッと握る者がいた。女掏摸が見上げると、編笠をかぶった背の高い侍だった。伸び放題の月代に、塵で汚れた羽織袴姿である。黒目が小さい三白眼で、凄味のある顔つきの若侍であった。
「なにすんだい、御浪人さん!」
「……その袂の財布をさっきの商人に返してあげなさい……」
女はギクリとして侍を見上げた。彼女は緋鯉のお吉といって、早業で知られる懐中師だ。掏られた相手もそうとは気づかせないお吉の熟練の早指技を見破るとはこの深編笠の武士は只者ではなかった。
「いたたたたたたた……誰か助けておくれよ!」
緋鯉のお吉は大声をあげて、浅草の南門から出てくる若い武士に声をかけた。紅羽である。彼女は鞘をにぎってそちらに走っていった。
「大丈夫かい、お姉さん!」
若侍姿の紅羽が侍の前に両手を広げて立ちはだかり、お吉の盾となった。天水桶の物陰で竜胆が額をおさえる。
「あの粗忽者め……目立ったことをするなと言われているのに……」
「今度こそ、“百目の通り魔”なのでしょうか?」
「まだ、わからぬが……あるいは……」
三白眼の侍は紅羽の登場に動揺した。
「いや……俺は……」
「ふぅ~~む、見るからに悪そうな顔つきの浪人だ……綺麗なお姉さんに因縁をつけて、どこかへ連れ込もうって気なら、容赦しないよ!」
「いや、違う……その女は……」
「お助け下さい、お武家さま……あら、女のようないい男……あの御浪人が強引に私を水茶屋に引っぱり込もうとするのです……」
「なんだと~~女の敵めぇ……覚悟しなっ!」
紅羽が鯉口をきって太刀を抜き取り、峰を返して三白眼の武士に打ちかかる。
「ええいっ、違うというのに……」
武士は腰の刀を鞘ごと引き抜いて、紅羽の太刀を受け止めた。
「むむ……助平のくせにやるねえ、浪人さん……」
この紅羽の誤解が、のちに命を狙われる騒動になるとは、このときは誰も思わぬであろう――




