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妖霊退治忍!くノ一妖斬帖  作者: 辻風一
第十四話 襲来!暗闇の緑魔
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囲炉裏の密議

 紅羽たちが室賀屋を去ったときより半刻以上まえ――




 江戸城本丸御殿にある御用部屋で政務をつかさどる老中たち――松平左近太夫輝高まつだいらさこんだゆうてるたか松平周防守康福まつだいらすおうのかみやすよし田沼主殿守意次たぬまとのものかみおきつぐは苦り切った顔で政務を執り行っていた。


 老中は大目付から奉行衆、全国の大名たちを支配し、国政をおこなう、江戸幕府における幕臣の最高職であるが、数ある老中たちの筆頭を老中首座ろうじゅうしゅざという。


 徳川将軍家治は西ノ丸にこもって政務を老中たちにまかせ、実質上は松平左近太夫がトップとなっていた。


「……老中に成りたい者は数多あまたおるのだが……」


 老中首座で勝手掛を兼ねる松平左近大夫輝高は、このとき五十七歳で、高崎藩四代藩主で八万二千石。


 わかりやすく現在の閣僚にたとえると、老中や奉行たちが大臣閣僚であり、老中首座が総理大臣で、勝手掛が財政大臣となる。 


 松平右近太夫は総理大臣と財政大臣を兼務していることになる。


「……こたびの難しい政策に使える者がござらん……」


 老中・松平周防守康福まつだいらすおうのかみやすよしは、このとき五十九歳で、石見浜田藩主で五万四百石。


「……困ったもので……」


 老中・田沼主殿守意次たぬまとのものかみおきつぐは、このとき六十三歳で、遠江相良藩初代藩主で五万七千石。


 田沼意次は先代の徳川家重の小姓から一万石の御側御用取次へと出世し、家重亡きあとはその子である徳川家治について昇進を続け、今は相良藩五万七千石の大名であり、老中を兼任している。


 彼が実質上の財政・経済担当大臣というところだ。


 今日の閣議は昨年亡くなった老中の板倉勝清と阿部正允の後任を選ぶことであるが、多くの候補者から三名まで絞り込んだところだ。


 老中というものは、四、五人で執務を行うのが通常なので、現在の老中三人体制は異例の形態であった。


 それというのも、老中になりたい幕閣の要人たちは多いのであるが、そのほとんどが神君・家康以来の米の年貢を基本とする古臭い幕藩体制を継承するばかりで、使い物にならないばかりか、かえって商業中心の新政策を妨害する足枷となるからだ。


 三人の老中は未刻やつ(午後二時)になると退出し、西之丸下(今の皇居外苑)の上屋敷にさがっていく。


 老中首座の松平輝高が一ツ橋にある上屋敷に下がろうとしたとき、田沼意次が呼びとめた。


「左近太夫様……大奥と越後屋のことで御相談が……」


「うむ……あれか……わかった……例の場所で……」


 三本扇の家紋のあるかみしもをつけた白髪の松平輝高は、若い頃より剣術・槍術・馬術で鍛えあげたがっしりした体格で、なめし皮のように日に焼けている。 


「はっ……囲炉裏の間ですな」


 一方、七歳年上の田沼意次は、若い頃から大奥の女たちに騒がれた美男子で、品の良い老政治家の風格をしていた。


 二人の老中は御用部屋にある囲炉裏に移動し、対面して座った。


 夏なので、当然ながら囲炉裏に薪や炭などで火をくべないが、灰がきれいにふいてある。


 これは密議の盗聴をさけるため、大事なことを囲炉裏の灰に火箸ひばしで文字を書いて筆談するために設置されているのだ。


 日本の政治を海外とくらべた例え話がある。


 欧米では若い大統領や大臣が活躍して、政治を引っ張る姿が見られるが、日本ではその方式ではうまくいかない。


 それよりも昔から政治家の閣議の決定を、永田町の老人たちが囲炉裏端の相談で決めた方がうまくいく……などと表現されるのは、江戸城のこの慣習が由来である。


 松平輝高は七歳年上である田沼意次の才覚を頼りにし、敬っていたし、田沼意次も老中首座である松平輝高を理解ある上司として、辣腕の政治家として尊敬していた。


 両者は財政と政治、分野は違えども、その方面においてひとかどの傑物であった。


 そこへ、表坊主おもてぼうず宇和野歓心うわのかんしんが茶を運んできた。


 彼は同朋衆の一つであり、将軍や重臣の茶の湯の手配から、給仕、来客の接待など、城中の雑事をこなしていた。


 刀をささず、剃髪した僧形であるが、立派な武士で幕臣である。


「むっ……これは!」


 松平左近太夫が踏み込みのならした灰に何か文字が書かれているのを見つけた。


「これは……おそらく若年寄の誰かが消し忘れたのでしょうな……」


 表坊主が慌てて灰均はいならしというヘラで文字を消し始めた。


「消し忘れた若年寄は当然けしからんが、御用部屋を取り仕切る茶坊主ちゃぼうずならば、それとなく気づいて掃除しておくことが役目であるぞ!! どいつもこいつもたるんでおる!!!」


「ははぁぁ……申し訳ありませぬ!!」


 宇和野歓心が平身低頭してあやまった。


 しかし、怒りをこらえきれず、土下座する表坊主の肩を蹴ろうと身構えた。


 それを察した田沼意次が左近太夫の肩を押さえてなだめた。


「まあまあ……左近太夫さま……茶坊主ごときにかような振る舞いをせずとも……あとでそれがしからも若年寄たちに注意をしておきます……ここはそれがしに免じまして、なにとぞ抑えてくだされ……」


「む……むぅ……主殿守のいう通りだな……大人気なかった……」


 田沼主殿守が眼で宇和野に合図し、表坊主が御用部屋からそそくさと去った。


 すると、血の気がもどって冷静さを取り戻した松平輝高が気恥ずかしげに、


「……みっともない所を見せてすまぬ……絹市停止の件などもあり、どうにも苛立いらだちが溜まっておった……」


「老中首座ともなれば、過分の心労のほど、お察しいたします……」


「いやいや……過分の心労ならば、主殿守殿ほうであろう」


「いえいえ……左様なことは……それよりも、左近太夫様にお譲りいただいた蝉丸蔵人せみまるくらんど殿のことを話さねば……」


「なに……蔵人めがなにか失態をしでかしたのか?」


「いえ、その逆でございます……先日、中屋敷で商人を接待したおり、植木職に変装して盗み聴きをしていた刺客を見つけ、斬り捨てたのでございます……いやはや、凄まじい腕の冴えで……最初、蝉丸蔵人殿をお譲りされたとき、無愛想で他の家臣となじまず、難儀しておりましたが……あの一刀流の武芸の冴えは素晴らしく、この主殿守、ほとほと感心いたしました……家臣の者たちも、それ以来、蝉丸殿のことを畏敬の念をもって、接しておりまする……」


「おう、蔵人が……そうか、そうか……あやつは腕は良いが、人と馴染まぬ性格ゆえ、当藩でもいさかいを起こして、浪人をする羽目となったもの……主殿守殿にひろっていただき、何より……」


 松平輝高が元藩士の蝉丸蔵人の活躍を訊いて、我が子のことのように顔がほころんだ。


「それに、左近太夫様の自慢の剣客・寺田五郎右衛門殿もご活躍をしたそうで……」


「うむ……耳に入っておったか……たしかに増上寺参詣のおり、旅商人や乞食に身をやつした刺客が四名、駕籠を襲ってきた……随行の家臣が刀を抜くよりも速く、五郎右衛門が察して三名を斬り捨て、一名を捕縛した」


「いやはや、聞きしに勝る剣の腕ですな……して、生き残りは素姓を吐きましたかな?」


「ああ……吐いた。三年前に改易かいえきとなった田替藩たがえはんの浪人どもであった……」


「田替藩というと、藩主が乱心したという、あの……」


 田替藩主は若い頃から素行が悪く、意見する重臣三名をささいな罪で切腹させ、彼らの子供まで処刑するという乱行ぶりで、重臣の遺族が幕府に申し出て改易となった。


 彼の甥が旗本となって家名は存続したが、大半の家臣が浪人した。


「逆恨みで命を狙われてはたまらんわい……生き残りの浪人に急進派の残党の居場所を吐かせ、すべて捕えたわい」


「……その生き残りの浪人はよく仲間の場所を吐きましたなあ……」


「確かに刺客を務めるだけあって、いかなる拷問にも屈しなかった……処刑するには惜しい男であった……だが、仲間の居場所を吐けば、切腹を許すといったら、すべて白状した」


 老中首座の命を狙った者は当然、打首獄門。


 だが、切腹は武士の名誉の死であった……己に名誉の死を許されたことに感動して、生き残りの浪人は仲間を売ったのだ。


 この武士の心情は、現代人には分かりにくい。


 中世の武士は面目をなにより重んじた。


 そんな機微のすきをついた松平輝高は、京都所司代時代に辣腕らつわんをふるっただけはある。


「なるほど……しかし、切腹を許すとは寛大すぎる処置ではありませんか?」


 田沼意次が眉根をよせて訝しんだ。


「まさか……わしの命を狙ったことは幕府に弓を引くも同じ……当然、刑執行日には罪人として打首にした」


「おお……それでこそ、左近太夫さま……」


「うむ……」


 老中首座の機嫌がなおったのを見計らったように田沼意次が、


「左近大夫さま……大奥の御台所(五十宮倫子)さま、お知保の方さま、松島の局さまたちから、こたびの生糸改会所での課税率が、ちと高すぎるのではないか……絹市が止まってしまっては、今年の着物が入らぬ……会所は取りやめた方がいいのではないか……などと苦言を申してきました……」


「なにが取りやめにしろ、だ……そもそも、大奥での予算がどれだけかかると思っているのだ! それだけあれば、どれだけ有意義に政務に使えることか……」


 徳川吉宗の頃は幕府の総収入が約80万両で、大奥の費用が約20万両と、およそ四分の一であった。


 そもそも大奥とは無駄使いを看過する問題があった。


 例をあげると、御広敷御台所おひろしきおだいどころの賄い方は、魚を二十尾調理するとき、余分に百匹くらいを買って、品質のよくないものは捨てる。


 その廃棄した魚を賄い方が役得として持ち帰った。


 こんなことが大奥の各部署でひんぱんに行われていた。


 思わず松平輝高の声が荒々しくなる。それを田沼意次がおろおろと心配し、


「右近太夫さま……大声は……」


「うむ……そうであった……すまぬ……だが、少しだけ溜飲がさがった……」


「たしかに大奥での出費は悩ましいところでありますが、公方(徳川家治)さまは質素倹約につとめ、大奥の経費を八代様の頃よりも三割削減しました……そのうっぷんの腹いせもあるのでしょう……なにせ、奥の者たちは気ままに外出も出きぬ身……せめて綺麗な着物をまとえば気分も晴れようというものです……」


 大いなる矛盾をかかえた問題であるが、世の中の財政問題とはそんな矛盾ばかりである。


 幕府の最高権力者であっても、大奥に逆らい続けば罷免されてしまうのである。


「……わかっておる……どうせ、裏にいる三井越後屋、白木屋、大丸屋など、御用商人どもが背後にいて、ここぞとばかりに言わせておるのだろう」


「はい…御用商人からの贈り物の帳面を調べたところ、高価な着物や装飾品などが送られておりました……」


「やはり、な……改会所は呉服商に多大な不利益を与える政策……御用商人どもめ……大奥を取り込んで、我ら幕閣に圧力をかけてくるとは無礼千万!」


「それが商人達のやり方ですからなぁ……」


「いっそ、宝永ほうえいの昔に淀屋辰五郎よどやたつごろう闕所けっしょ(財産没収)にしたように、町人の分限を超え贅沢な生活をおくる、おごり高ぶった豪商どもをすべて闕所にできれば、どれほど痛快なことか……」


 淀屋は大坂で米市を設立した大豪商で、総資産額は二十億円(今に換算すると200兆円)にもなった。


 その財力が武家社会にも影響したため闕所になったといわれている。


「右近太夫さま……今、それをしては武士たちが金を借りられず、商業は回らず、経済が発展いたしませぬ……商人たちとはうまく付き合い、絞り取っていかなくては……」


「……さすがにそれぐらいは、わかっておる……ただ、言うてみたかっただけじゃ……世の中は変わり過ぎた……」


 老中首座はおおきく嘆息した。

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