絹宿・室賀屋
「誰かと思えば……武蔵屋の喬太郎さんでござるな」
「ああ……お真由ちゃんのお兄さんですね!」
「はい……しかし、引又で逢うとは珍しいですねえ……」
喬太郎は神田須田町にある呉服問屋・武蔵屋嘉右衛門の長男で若旦那である。
以前、喬太郎の妹のお真由が妖怪に狙われると言う事件があって面識があった。
(第9話「閃火!紅羽二刀流」参照)
「この間はお真由を妖怪から救っていただきありがとうございます……」
「いかがなさいました、若旦那!?」
裏口から二十五、六才と見える実直そうな手代風の男がでてきた。
「こっちは手代頭の又蔵です」
「おおっ!! 皆様にはお嬢様を妖怪から救うだけでなく、盗賊・夜嵐党から救っていただき、鳳空院の皆さまには足を向けて眠れません」
手代頭が深々と頭をさげた。
「いえいえ……それがあたしたちの務めですから」
「手前どもは引又宿に絹の取り引きで来ているのですが、みなさま方はなぜまた引又へ?」
「実は河童退治を依頼されて来たんだよ」
「もう、幾人も被害にあって殺されているのですよ」
「ははあ、なるほど……武州は川の国と申します……なので河童が多いと訊いたことがございます」
「喬太郎さま……ここで立ち話もなんです……みなさまに私たちが逗留している『室賀屋』さんに頼んで冷たい白玉でもふるまってはいかがでしょう?」
「おお……それはいい……ぜひ、寄ってください」
「えっ……でも、悪いよ……」
「そういわずにぜひぜひ……」
紅羽たちは喬太郎と又蔵にせがまれ、旅籠・室賀屋の離れに案内された。
三上屋に匹敵する高価な調度品があり、場違いではないかと緊張いてしまう。
そこへ高価な絹の着物を着た三十半ばとみられる主人が挨拶にきた。
「これはこれは……手前は室賀屋の主人・沖右衛門ともうします……お見知りおきを……」
「いえいえ……こちらこそ……」
他愛無い世間話をして、又蔵と沖右衛門が下がり、女中が白玉を運んできた。
「わ~~い……黄蝶、白玉大好きですぅ!」
「熱い汁粉もいいけど、冷たい白玉もおつなものだねえ……」
「この暑い日になに言っているの……」
「松田様には冷やで一本用意させましょう……」
「あ、いや……俺も白玉でよい」
「えっ!? ……そうですか」
「あはははは……喬太郎さん、松田の旦那はこの強面で、実は下戸なんだよ」
「左様ですか……」
「強面は余計だ、紅羽……」
「ごめんちゃい」
「河童退治の依頼は名主の三上屋さんですか?」
「そうでござる……実はさきほど尋ねたさいに秋芳尼殿と紅羽・黄蝶・竜胆の偽者が居座って騙り売りの悪事を働いておりましてなあ……」
「ははぁ……偽者が!! それは見たかったですねえ……きっと、紅羽様の偽者は凛々しい娘剣士で、黄蝶様の偽者は可愛らしい少女であったのでしょうなあ……」
紅羽と黄蝶の瞳から光が消え、どんよりと暗い影が覆った。
「……そうだよねえ……普通の偽者なら、そう思うよねえ……だけど、ひっどい偽者だったよ……」
「えっ?」
「ホントにひっどい偽者だったのですぅ……」
「あのぉ……」
「あたしの偽者は髭面のおじさんだったんだ……どうせ、あたしは世間から男女のごつい中年男みたいに見られているのかも……」
「……黄蝶の偽者はやせ細ったオジサンだったのです……どうせ黄蝶は数合わせの添え物ぐらいに思われていたのですよ……」
「おい、二人とも……陰の気で覆われているぞ!」
松田半九郎は非番の日に秋芳尼から座禅などで練丹法の訓練で神気術を教わっているが、神気術を最大限に発揮するには、陽ノ気――つまりは元気が必要だと訊いた。
さきほど秋芳尼は紅羽達をおだてるように元気を取り戻したが、現代でいうメンタル面のコーチングをしたのであろう。
「まあまあ、二人とも……秋芳尼殿もいっていたが、あのような偽者が現れるのも、ひとえにお前達に魅力があるからだぞ!」
「そうでございますよ……きっと、騙り屋のお為も皆さまのような器量よしの娘を探したかったけれども、そうそう器量よしの娘が見つからなかったのでしょうとも!」
「おお!! 喬太郎さん、いいことをいう!」
武蔵屋の若旦那は商人だけあって口が上手いようだ。
「ええぇ……いやだよ、喬太郎さん……そんなこと言ってぇ……」
「照れちゃうのですぅ……」
「いえいえ、本当ですよ……みなさまを妖霊退治小町として錦絵にすべきですよ」
「やだぁ……もう、喬太郎さんたら……」
「妖霊退治小町娘だなんて恥ずかしいですぅ……」
紅羽と黄蝶は見違えたように陽ノ気で溌剌と輝きはじめた。
妖怪水虎との決戦にむかって充分な神気であろう。
――ふう……二人とも元気を取り戻して良かった……そして、お調子者で良かった。
四人は白玉を食べながら世間話をした。
板橋宿で戸賀崎熊太郎主従と逢ったこと、下練馬宿で御家人崩れを倒したこと、新河岸川で河童を捕えたこと、手前の土手道で刺客団を粉砕したこと、三上屋で偽者一味を懲らしめたことなどを、身振り手振り激しく面白おかしく話した。
「いやあ……わずか半日の間に大活躍ですなあ……お真由にも話さなくては……」
「えへへへ……よろしくね、喬太郎さん」
「ところで、喬太郎さんは商売でこちらに来たのでござるか?」
「はい……絹糸や反物の取り引きをしておりまして……」
「へええ……引又宿で絹糸などを取り引きをするんだ……」
「引又の市場大通りには、六斎市がひらかれ、市が目当ての出店や買い物客でにぎわうんですよ」
この大通りは毎月、二と八がつく日(二日・八日・十二日・十八日・二十二日・二十八日)に、計六回ほど大きな定期市が行われる。
もともと六斎市は百姓たちが年貢以外の農産物を売って貨幣を手に入れる市であった。
この頃になると、六斎市は近隣数十ヶ所の住民が必要とする生活必需品や農業用の肥料・苗・農機具などが売られる大市場となっていた。
商業のクロスロードである引又宿には新河岸川舟運の中継地であるから、引又河岸で下ろした荷物の荷主は青梅・八王子・所沢から、遠くは甲府までいた。
「六斎日が開かれる宿場は限られていると訊いたことがござる……たくさんの人でにぎわうでしょうな……」
「はい、その通りです……買い物客は近所の住人だけではなく、遠くから市を目的にくる者もいるんですよ……この時期なると手前のような呉服問屋にとっては稼ぎ時でして……」
「そうなの?」
「ええ……武州では養蚕が盛んでして、この時期の六斎市では『絹市』も開かれるのですよ。その絹市で、呉服問屋は養蚕農家から生糸や絹織物を買い入れるのです」
武州や上州の百姓たちは、農閑期の余業として蚕虫を育て、絹織物をつくって収入としていた。
都会から出張してきた問屋が『絹市』で買い取り、京都などに運んで反物や着物に加工し、安い『関東絹』として全国の呉服屋で売りだした。
「このあたりの生糸や絹織物をここの室賀屋さんで集めて、荷物に梱包して、新河岸川から八十船で江戸の武蔵屋へ送るのですよ」
「なるほど……」
「それは大変ですねえ……」
「ええ……とても手前の店だけでは手が足りず、『絹宿』の室賀屋さんに助けてもらっております」
「絹宿?」
「ええ……大店の呉服問屋が、生糸や絹織物の買い付けを目的とした出店を絹市のおこなわれる村に設置し、在地商人を一軒だけ請負契約で指定して、取り引きの手伝いをしてもらうのですよ」
遠方から来る呉服問屋の買付人やせり商人を泊める宿を、『絹宿』または、『買宿』、『絹買宿』と呼んだ。
「そんなことまでしてもらうのかぁ……」
「この『絹宿』の室賀屋さんはただの旅籠ではなく、手前のような呉服問屋が派遣した手代を宿泊させるだけではなく、出張した手代の監督もしてもらっております……本来は手代を派遣するだけでよいのですが、父の嘉右衛門が手前の商い修行として武州の絹宿に顔を見知ってもらうために来ているのですよ」
「ははあ……喬太郎さんも跡取りだから大変だなあ……」
「いえいえ……手前のような男にはそろばん勘定をしている方が性に合っております……絹宿には、商品の仕入れ買い集めの手助けの他にも、仕入れ荷物の一時保管、商品の代買、買い送りなどもしてもらっております」
『絹市』の生糸・絹織物市場において、『絹宿』は絶大な影響があった。
室賀屋主人が喬太郎の知り合いというだけで、紅羽たちをもてなすのも道理である。
「なるほど……土地勘があり、地元の養蚕家に人脈のある在地商人……ここ、室賀屋さんに協力してもらって買い付けているのだな……」
「はい……江戸・大坂・京の大店が武州と上州の絹市がある村に各々専門の『絹宿』を置いております……もとは三井越後屋さんが始めた方法なのですが、いつしか、三都をはじめ他の呉服問屋もそれにならうようになりました……」
とくに上野国(群馬県)の藤岡や桐生、伊勢崎にある市場は享保の頃から江戸の三井越後屋や大丸屋、白木屋といった呉服の大店がつどう上州最大の絹市場となっていた。
「室賀屋さんのような『絹宿』を武蔵屋では、武州の秩父・小川・飯能・越生・川越に一店ずつあるのです。それら契約した『絹宿』に協力してもらって、生糸や反物を集めてもらっております……なにせ秩父絹・小川絹・飯能絹・越生絹・川越絹は江戸でも評判ですからねえ……」
「武州だけでそんなに!?」
「まるほど……屋号の武蔵屋も納得だな……」
「とはいえ、上州の藤岡と桐生、伊勢崎にも提携した『絹宿』がございます」
「ところで……絹糸改会所の御触書があったが……」
「はぁ……そのことですが……」
すると今度は、武蔵屋喬太郎の瞳から輝きが消え、肩を落とし、暗い影が覆った。




