河童の三吉
偽者たちが散らかした宴のあとを女中たちが手早くかたづけて掃除し、奥座敷で仕事の話となった。
引又村の永代名主である三上屋七郎右衛門が頭を下げ、
「たいへん失礼いたしました……本物と偽者を見抜けないとは、手前の不徳の至りで……あなた方が本物の妖霊退治人だったのですね……遠い江戸から、よくいらしてくださいました……」
「いえ、頭を下げないでくださいませ……改めてご紹介を……わたくしが谷中鳳空院の住持で、妖霊退治をしております秋芳尼と申します……」
「俺は……いや、拙者は寺社役同心の松田半九郎と申します」
「黄蝶なのです」
「これは御丁寧に……おや……まだ、あとお二人いたはずですが……」
名主がいぶかしげに周囲を見回す。
「紅羽と竜胆は手土産をとりに厩へいっております……」
「手土産ですか?」
「ところで、三上殿は名主であると同時に、廻漕問屋をいとなんでおられるのですね……」
「ええ、そうです……引又宿には廻漕問屋が四軒あり、中でも代々名主を務める我が三上家と、川越藩お声がかりの井下田家が競い合っておりますわい。水子村へ続く道と隔てた隣の屋敷が井下田家でな……」
「まあ……お隣さんが競い相手なのですねえ……」
女中がお茶とザラメ煎餅をもってきてもてなした。
開け放たれた障子から、新河岸川の流れが見える。
流れは穏やかであるが、水量が豊かにある。
「あの『いろは樋』の向こうで、新河岸川の分岐した支流が柳瀬川……その上流のほうで河童が出没したのですわい」
河岸には松の木が生え、水神様の祠も見え、その向こうは水子村の田畑、牧歌的な板橋も見える。
こんなおだやかに見える川に人を襲う河童がいるというのだ。
「三上屋殿……河童が悪さをして牛馬や人を殺めていると訊いたのでござるが……」
「はい……柳瀬川上流の近辺で河童が多く出没します……いちおう、御領主の新見様に相談したのですが、河童など自分たちで退治せよとの仰せでして……」
旗本というのは、江戸城近くに住んでおり、城での仕事を得るためにあくせくしていて、知行地の治世は名主などに丸投げでまかせていた。
知行地から定められた年貢が届くことしか関心のない旗本が多かったようだ。
「三日前もうちの人足たちが酒を飲んで威勢がつき、柳瀬川に退治にいったのですが、見つからずかえってきました……あとで厳しく叱りつけました……夜の川にはまって水難事故になったらどうするのかと……」
「あらまあ……廻漕問屋の御主人としては、当然ですわねえ……」
「それに、河童は水神の使いと申します……」
三上屋が庭さきから川岸の水神の祠を見やった。
引又河岸の舟運の安全を祈願して祀られたものだ。
牛王宝印の神札が並んでいる。
「この村は引又河岸の船荷を運ぶ中継地として発展した村です……河童に危害を加えれば、水神様がどんな祟りをするか……それが怖ろしいのですよ」
経済発展をとげ、夜中にも行灯や常夜灯が闇を追い払った江戸の民は、『箱根よりこっち、野暮と化け物は見ず』などといって、幽霊や妖怪を信じない者が増えた。
だが、江戸を離れた地方ではまだまだ闇が濃く、妖怪幽霊や祟り話などを信じる者は多い。
「我が村では水神である牛頭天王様を祀っております」
「牛頭天王様……神仏習合でいうと、日本神話の建速須佐之男尊様のことですね……」
黄蝶と松田がぎょっとして眼を合わせた。
偶然ではあるが、凄腕の刺客・須佐美源蔵を思い出してしまう。
ちなみに引又村では十二年後の寛政四(1792)年に愛知県津島市の津島牛頭天王社(今の津島神社)から正式に勧請し、津島天王社を建立した。
これがのちに日本三大川祭りの一つである志木夏祭り発祥の神社となる。
「それで、江戸の妖霊退治人に依頼したのですね……ところが、騙り屋のお為さん一味は話を訊いて、そんな引又宿の人々の心情をついて騙し売りとしたのでしょうねえ……」
比丘尼は「ほう……」とため息をついた。
今でいう霊感商法は江戸時代にも多々あって、正当な宗教者にとって悩みの種であった。
「はい、さようでして……」
「わかりました……万事、水神様の祟りがなきよう、取りはからいますよ」
にっこりと笑顔をみせた尼僧に名主は安堵の表情をみせた。
「おお……よろしくお願いします、秋芳尼殿!」
そこへ中庭から紅羽と竜胆が厩の瓦偶駒の鞍にぶらさげて持ち帰った魚籠を持って来た。
濡れ縁近くの中庭の地面に置く。
尼僧と名主らがそちらへ移動した。三上屋の奉公人たちも何がはじまるのかと、集まって遠回りに見学しだした。
尼僧が魚籠を中心にして、木の棒で地面に八角形の護法陣を描き始めた。
「なんですかな……魚籠のようですが……」
「実はさあ、こちらへくる途中、あたしと竜胆が新河岸川でこんなものを手にいれたんだ」
紅羽が魚籠を示し、ふたを開いた。
好奇心にかられて七郎右衛門や女中・手代たちがのぞくと、頭頂部に皿状のものがついた御稚児のようなオカッパ頭が見えた。
まさか、「人間の子では?」と疑い、よく見れば、口が尖がってクチバシのようになり、肌が緑色をしている。
河童の両眼がこちらをにらんでいた。
「ひえええっ!? かっ……河童だぁぁ!!」
「きゃあああっ!!!」
「尻子玉を取られるぞぉ!!」
女中は悲鳴をあげ、手代たちは顔を青くして中庭から逃げ出した。
七郎右衛門は河童と瞳があってしまい動揺したが、さすが名主を務めるだけあって醜態をみせず、手拭いで頬につたわる汗をふく。
「本物の河童ですか……これは?」
「ええ……子供に化けて、角力で遊ぶ子供を川に引きずり込んだところをこの者たちが助けたのです」
秋芳尼が紅羽と竜胆に視線をおくると二人は目礼した。
「そうだったのですか……いや、話に聞く河童を始めて見たもので……本当にいたのですなあ……しかし、この七月の陽気に氷漬けの河童とは……なんとも玄妙不思議な……これも法力ですかな?」
「ほほほほ……こちらの竜胆の術ですわ」
「ええ……氷術といって、破邪退魔の技じゃ」
「ははあ……さすがですなあ……しかし、もう捕まえてしまうとは……本物の妖霊退治人は違いますなあ……」
「ですが、この河童が引又村で悪さをしている河童かどうかは、まだわかりません……」
「えええっ!?」
「新河岸川と柳瀬川では縄張りが違う別の河童かもしれません」
名主が虚を突かれたか表情を浮かべたが、腑に落ちた顔をする。
「なるほど……河童は一匹だけとは限りませぬしな……しかし、どうやって調べますので?」
「直接、河童さんに訊いてみましょう……紅羽」
「ほいほい……あたしの出番だね」
紅羽が濡れ縁に置いた魚籠に向けて両手をかざした。
「天摩忍法・火鼠!」
娘剣士の両手の間に火の玉が生じ、宙に浮かんだままの鬼火に神気を込めると火勢があがる。
氷はたちまち融け出し、水流があふれて庭の土に流れた。
「く……あぁぁぁ……」
濃緑のぬめぬめとした皮膚をした水怪が雛鳥のような声を出した。
細い手足をのばし、魚籠から這い出した。
背中に亀の甲羅のようなものがある。
両目が熾火のように赤く燃え上がった。
「ケロケロ、ウォーウ!!」
小さな水妖が秋芳尼に向かって水かきのある指を広げて襲いかかった。
だが、地面に描かれた八角形の護法陣の線形と梵字が金色に輝き、地上に八角形の透明障壁が生じた。
河童はビタンと障壁にぶつかり、ヤモリのように壁に張り付いた。
「ケロケロケロ……」
「オン・マリシエイ・ソワカ!」
美貌の比丘尼が摩利支天尊の真言を唱え、袈裟から鋼の輪を取り出して投じた。
鋼の輪は生き物のように飛び、結界を越えて河童の頭にはまり、するりと首まで落ちると、縮んで首を絞めた。
「クワァァァ!?」
「河童さん……その首輪は『妖秤輪』という法具です……」
「おお……金剛兄がつくった法具ですね!」
河童は手足を痙攣させてじたばたともがく。
「クワァァ……この痺れを……止めてケロォ!」
「悪心を捨てなさい!」
「ケロォ?」
「……『妖秤輪』は妖怪の心中の善心と悪心を秤にかけ、悪心に大きく傾けば電流が走り、さらに邪心をいだけば身が焦がされる法具ですよ」
「ケロォォ……」
ぐったりした河童は弱り切った表情で秋芳尼を見上げた。
「わかったケロ……もう悪さはしないケロ……」
それはまるで、『西遊記』で三蔵法師が孫悟空の頭にはめた緊箍児のように、河童の悪心を戒める箍となった。
「おおお……さすが、秋芳尼殿……河童小僧を調伏成功しましたな!!」
「ところで河童さん、わたくしは妖霊退治をしている秋芳尼といいます……あなたにお名前はあるのですか?」
「……おいらは……三吉ってんだケロ……」
「三吉ですか、可愛い名前ですね……」
「河童の三吉ちゃんなのですぅ!!」
比丘尼がにっこりと笑うと、三吉は照れくさそうに横を向いた。
「ところで、三吉さんに訊きたいことがあります……さいきん、柳瀬川の近くで人や牛馬が河童に殺されるという話を聞きましたが、それは三吉さんの仕業なのですか?」
河童はギョロリと比丘尼を見上げた。




