餓狼どもの群れ
秋芳尼と黄蝶が逃れた河川敷への道を餓狼どもの群れから死守せんと、土手道で松田半九郎と紅羽、竜胆が立ち塞がった。
怒号をあげ無宿人どもが長脇差を振り回し、寺社役同心に襲いかかってきた。
七月の暑い陽光が白刃を照り返す。
松田半九郎が鯉口をきって抜刀し、上段の霞の構えで待ち構えた。
右から来た無宿人のむき出しの脛を刀の峰で薙ぎ払い、前のめりにつんのめる所を、右膝で鳩尾を突いた。
無宿人が白目をむいてつっぷす。
左から来た博徒が腰だめに匕首を松田同心の腹にむかって突きだす。
半九郎は半身で避け、勢いあまってたたらを踏む博徒の眉間を刀の小尻で打ち込む。
博徒は眼を回して倒れ伏した。
その背後からビュンビュンと鋼が唸る音がした。
振り向くと総髪の浪人が頭上で鎖分銅を回転させ、短冊状の分銅が遠心力で飛来し、細鎖を松田同心の刀の鍔元から両手を縛りあげた。
「しまった! 鎖分銅か……」
濃州浪人・坂祝勝之進がにやりと笑った。
ギリギリと刀身を締め上げ、松田の両手は動けない。
「これで奴の刀は封じた……今のうちに!」
「よっしゃぁ……死にさらせ!!」
磯部の捨六が長脇差で半九郎の左胸めがけて突き出した。
「……やるじゃないか……だが、死中に活という言葉がある」
松田同心は前方の坂祝勝之進めがけて走った。
刀をまっすぐ前に向け、このままでは勝之進を串刺しだ。
「わわっ!? なんて奴だ!」
坂祝勝之進が鎖分銅を捨て、腰の刀を抜いて迎撃せんとしたが、寺社方同心の刀がそれを跳ね上げ、返す刀が坂祝勝之進の首筋を叩いた。
「ぐふぅぅ……」
濃州浪人が膝をついて崩れ折れた。
松田の背中から踵を返した磯部の捨六が長脇差を背中から横へ薙ぎきった。
だが、半九郎はそれを察したかのように振り向いた。
同田貫が轟とうなり、横から無宿人の脇腹に峰を打ちつけ、痛みのあまり地面に転がり回った。
「ぐああああっ……いてええええ……」
鎖分銅をほどき、肩で息をつく松田の前に四角い顎の浪人が立ち塞がった。
「やるじゃえねか……そこの黒羽織……てめえは、町方同心か?」
半九郎と悪弥太は間合いをとって対峙した。
「いいや、寺社方同心の松田半九郎という……まあ、町人地と寺社地の違いはあるが、似たようなものさ……そういう貴様は、こめかみの赤痣に四角い顎の人相……指名手配されている垣内小弥太か?」
「……この俺も高札でずいぶん名が売れてしまったようだな……そのとおりよ。俺を捕まえに来たのか?」
「知り合いの町方同心に引き渡してやりたいが……ここだと武蔵の代官所に引き渡すのが筋か」
「要するに御上の犬にはちげえねえ……ここで始末をつけてやる!」
「その前に聞きたい事がある……少し前に板橋の恵比寿屋でお咲さんと逢った……お前のことは知らんと言っていたが……その後、恵比寿屋の主人と手代を斬ったようだな……」
「ああ……俺のお咲を引っぱたいたからな……当然の報いよ……」
「お咲さんはどうした……高札には行方不明とあったが、お前が無理矢理さらったのか?」
「……なんでそんな事を訊く……てめえ、お咲に懸想しているんじゃねえだろうなぁ!?」
悪弥太の両眸から嫉妬深く、異様な執着をみせる炎がメラメラと燃え上がった。
「いや、そういうわけではないが……無理強いで泣く女がいるのは不憫だからな……」
「う、うるせい……お咲は俺のものだ……俺が幸せにするんだ……誰にも邪魔はさせねえ!」
「おとなしく自首する気はないか? 殊勝な態度でのぞめば遠島ですむかもしれんぞ? さすれば、お咲も不幸な目に合わずにすむぞ」
「うるせい、遠島も打首も願い下げだね……代わりに貴様の首を土手にさらしてやるぜ!」
「言ってもわからぬか……」
「ああ……てめえみたいな寺社同心にはわかるめえ! ……俺のような御目見え以下の三十俵二人扶持の後家人はな、子供の頃からみすぼらしい身なりで、商人の子供にも莫迦にされる始末よ……借金抱えて夜逃げした御家人だっているぜい!」
御家人でも最下層の三十俵二人扶持は金額にすると十七両二分となり、庶民ならば十両あれば充分に暮らせる年収である。
江戸時代初期の武家は裕福であった。
だが、中期から幕末にかけて、時代が進むにつれて、侍たちを貧乏にさせていった。
その原因はいろいろあるが、まず根本的問題として、石高制の構造的な弱点だ。
武士の給料である俸禄は米であり、一石=一両と江戸時代全てを通して変わらなかった。
江戸時代初期に決まったままの石高であるのに対し、物価はしだいに高騰していった。
江戸中期以降は米以外のモノの値段が高騰し、実質的に俸禄は減ってしまう。
また、知行地の米は、毎年同じ量が取れるわけではなく、豊作の年は収入増だが、凶作になると収入減となるのだ。
「……下谷の中西道場には、おまえのような御家人や徒士の者が通い、俺も知り合いが多い。みな、お前のように貧乏な身を嘆き、愚痴をこぼす……」
「ふっ……そうだろうがよ」
「だが、貧乏な御家人や徒士たちの門下生たちは、俺のような下級藩士もふくめ、傘張り・植木・織物などの内職に励み、収入の足しにしている……貴様のように弱い者を脅して金をまきあげるような、武士の面汚しなどはいないぞ!」
「ぐっ……う、うるせい!! 俺は貴様のような正論を吐くやつは大嫌いなんだっ!!」
逆上した悪弥太が唸りを上げて刀を半九郎に斬りかかった。
荒れ狂う怒涛の如き一撃を、松田はつむじ風のように身を翻して避けた。
だが、即座に返す二撃目の白刃が松田の太股を切り割らんと迫り、同田貫で跳ね上げた。
嫉妬と逆恨みの念がこもり、強請屋の小悪党から人斬りに覚醒した斬撃は、恐ろしいまでの殺気がこもっていた。
狂乱の如き三撃目を半九郎は正面から打刀で受け止めた。
がりがりと鋼が噛みあう音がする。
狂犬のごとき殺人剣に、松田同心はなす術もなく押されていった……
「何をしている……相手はたった三人だぞ!」
深編笠の武士……須佐美源蔵が雇われ刺客どもを叱咤し、攻撃の手をゆるめない。
「ワァァァ!!」と叫びながら浪人や博徒たちが斬りこんでくる。
常陸浪人・乾丈右衛門が槍を繰り出し竜胆にせまる。
薙刀をはらって防戦につとめる竜胆。
「くっ……なんという槍さばきじゃ!?」
「どうした、小娘……来ぬなら、一思いに串刺しにしてくれるぞ!!」
丈右衛門は頭上で槍を大きく回転させ、遠心力をのせて必殺の胴薙ぎをおくった。
が、薙刀が銀蛇のごとくうねり、槍をはね返し、穂先が地面につっぷした。
「しまった!?」
慌てて穂先を上に上げようとするが、竜胆が右足で螻蛄首を抑え込んで動かない。
「おのれ……足をどけろ!?」
「断るのじゃ!」
重さを乗せた薙刀が横薙ぎに繰り出され。
丈右衛門は脇腹をふっとばされて地面に打ち付けられた。
紅羽が無宿人の長脇差を太刀先で弾き、ぐるりと摺り上げて長脇差を遠くへ飛ばした。
刀を拾いに行こうとした無宿人を太刀の柄頭で額の急所を殴って昏倒させた。
返す刀を背後から迫ってきた別の無宿人に、振り向きざまに刀の峰を肩に叩きつけた。
「くそぉぉ……まだまだいるか……」
さしもの紅羽もさきほどの河童との激闘で疲れが溜まっていた。
その背中にトンと竜胆が背中をつけた。
娘剣客と巫女剣士が周囲を取り巻く刺客どもとにらみ合う。
「疲れてきたようじゃな……少し休め、紅羽……その間、私が刺客どもを叩き伏せのじゃ」
「よけいな御世話だよ、竜胆……この程度の三流刺客どもなんて目じゃないね!」
「ふっ……その意気じゃ!」
雄叫びを上げて斬りかかる無宿人や浪人を太刀が閃き、薙刀が旋回して叩きのめしていく。
そんななか、紅羽が右膝をおって、地面に片膝ついた。
「うっ……情けない……」
「ぐふっ……疲れがたまったか? 悪いが斬らせてもらうぞ!!」
湘州浪人・井坂伝兵衛が紅羽に左八相から紅羽に斬りかかる。
が、突然「う~~ん……」と呻いて前倒しに倒れた。
その背後に大柄な武士がいた。
恐ろしいほどの剣気がにじみ出ていた。
「かなりの使い手だな……貴様は!?」
「わしじゃよ……わし」
深編笠をあげると、戸賀崎熊太郎のたくましい顔が白い歯を見せた。
彼が井坂伝兵衛の首筋を峰打ちしたのだ。
「なんだ……戸賀崎先生じゃないですか……」
竜胆がいぶかしげに問う。
「じゃが、どうしてここに?」
「なに……膝折宿で、牛久の末蔵とかいう無宿人がわしに尼僧一行を襲う計画に参加せんかといってきたのよ……もしや秋芳尼殿のことではないかと心配し、末蔵を叩きのめし、襲撃場所を訊き出して駆けつけたしだいよ」
「おおっ……なんて勘の鋭い……お陰で助かったよ!」
「いやなに……仔細はわからぬが、板橋でのお礼に助太刀しようぞ!!」
四人の無宿人が長脇差を振り上げて突進してきた。
「邪魔するな、ドサンピン!」
風が唸りをあげ、戸賀崎熊太郎の打刀が旋回し、先頭の博徒の長脇差を宙に跳ね上げた。
「りゃああああっ!!」
返す刀の峰が博徒の脇の肋骨を砕いた。
「ぎええええっ……」
無宿人は激痛に悶絶して地面に転がる。
残りの二人が戸賀崎の撃剣の威力にたじろぐ。
その隙を見逃さず、戸賀崎はうなりを上げて刀を一轟、二轟。
鈍い音をあげて無宿人どもが同時に倒れ伏していく。
「おおっ!! ……一挙に三人も……やるねえ、戸賀崎先生は!!」
「なに……事情はよくわからんが、失せ物占いの恩返しだ!!」
戸賀崎の凄まじい強さに恐れをなした残りの無宿人がじりじりと後ろ向きに逃げ出そうとする。
その背後から木刀が迫り出し、頭頂をポカリと殴打した。
気絶して倒れる博徒の背後に下男の富吉がいた。
「ふぅぅ……始めて人を叩きのめしただぁ……」
「おお……富吉さんもやるなあ……」
「初めての実戦で上出来だぞ、富吉!」
「てへ……無我夢中でしただ……」
長脇差で左右から斬りかかる無宿人。
戸賀崎熊太郎の刀が閃き、刀の峰で博徒の右肩、脇腹を叩きのめした。
痛みのあまり地面に這いつくばり、泡をふいて気絶した。
紅羽の背後に髭面の浪人が大上段から斬りかかった。
戸賀崎が「危ない」と口にする前に、娘剣客は振り向きざまに浪人の脇腹に峰打ちした。
「いや、お主もやるではないか……わしが助太刀するまでもなかったようだな……」
「いやいや……助かったよ、戸賀崎先生!」
「おのれ……板橋大木戸にいた浪人か……かなりの腕と見た、わしが相手しよう」
刺客団の背後から指揮していた深編笠の須佐美源蔵が刀の柄をつかんで鯉口をきった。
すると、傍らに菅笠の痩せた浪人がやって来て、
「戸賀崎だと……まさかこんな所で逢えるとは……奴は俺が斬る……ここは譲っていただこう……ごほっ……ごほっ……」
菅笠の浪人から鬼気が湧きだし、さしもの闇の始末屋もぎょっと浪人を見つめ返した。
まるで幽鬼のごとき剣客の眼光にぞっとするものがあった。
「よかろう、まかせた……」




