鐘の鳴る村
ボォォォ~~ン
「ややっ……どこからか鐘の音が……」
「もしかして、明鐘岬の伝説にある『妙な鐘』がふたたび海中から現れたのかしら?」
「まさかそんな……きっと、近くの寺で坊さんが鐘を撞いておるのでしょうて……」
「いや、近くに寺はないようですが……」
「では、鋸山こと乾坤山は、日本寺の境内じゃから、そこから……いや、たしか二十数町遠くの山にあるはずじゃが、この音は近いようじゃのう……」
「いえ、これは鐘の音に似ていますが、違います……毎日、鐘突き堂で撞いているわたくしにはわかります」
「では、銅鑼の音ですかいのう?」
「それとも違うような……」
また、ボォォォ~~~ンという音がして、耳を澄ますと、
「あの辺ではないですか?」
松田同心が指をさした先、漁村の集落の真ん中に大きな岩があるのが見えた。
「あんなところに道祖神を置くとは変わった村だなあ……」
「あっ!!」
「いかがされました、秋芳尼殿!!」
「あそこに……」
秋芳尼が指し示す先、人気のなかった魚見小屋からふらふらと人影がさまよい出てきた。
それは痩せた三十代の漁師であった。
そして、漁村の家や小屋から次々と人影がふらふらと湧き出てきた。老人や女子供が多い。
手に手に魚籠に入った魚介類や篭に入った野菜穀物などをもっていた。
「なんじゃい、人がおったんかい……お~~い……ちょいと訊きたいことがあるんじゃが……」
伴内が漁師の女房に話しかけるが、言葉を返さず、視線も合わせず歩いていった。
「なんじゃい、無視しおってからに!!」
「いや、なんだか、様子が変だ……まるで物の怪にでも取り憑かれたかのような表情をしていませんか?」
よく見ると、みな、焦点のあわない視線を道祖神の方に向け、亡霊のように黙って歩いて行く。
「確かに……異様なものを感じますねえ……」
虚ろな表情の村人たちは貢物を道祖神の前にお供えし、膝をついて、両手をあげ、ひれ伏した。
「漁師の神様といえば、大漁祈願の恵比寿さまと、船の守護神の船霊が有名ですが……あれは違うようですねえ……」
「漁業神は日本津々浦々でいろいろとありますわい……讃岐の金毘羅さまや、庄内の善宝寺……地域によって、竜神・水神・山の神・地蔵を祀りますし、西国や南国の漁師は海中からひろいあげた石を御神体にすることがありますわい」
「すると、あの大きな岩は道祖神ではなく、ここの漁民が海からひろった石の御神体でしょうか……」
「ともかく、はやくあの人面岩に連れ去られた紅羽たちを追いましょう」
お供え物が終わった村人は散り散りになって家に戻って行ったが、誰も一言もしゃべらないのが異様である。
秋芳尼たちは集落の真ん中を通り、何気なく信仰されている漁業神の御神体を見てみた。
「ああああっ!!」
「こ……これは……」
2メートルほどの高さの御神体の岩には、眼をとじ、膨らんだ鼻、牙の生えた口、鬼のような形相が彫られていた。
その口がカッと開かれ、口の中に御供え物の穀物・野菜・魚介類が捧げられていた。
「あの空を飛ぶ人面岩にそっくりです……」
「ただの漁業神ではなく、岩魔を祀っていたのか……」
松田同心が村の老人の肩をつかみ、呼び止めた。
「なあ……ちと、物を訪ねるが、この御神体はなんというのだ?」
老人は虚ろな視線を前方に向けたまま、
「……石神さま……」
「シャクジンというのか、これは?」
「石神信仰というものは、古代よりあります……自然石や加工した奇石に宿る神霊を祀るものです。磐座、磐境ともいいますね。波の底から浜辺に打ち寄せる珍しい石を、海神や水神の威霊の呪力によるものと信じられてきました」
「家の神である火神と雷神は、三個の石で象徴され、鼎の足形にそえて祀ることもありますわい。井戸のそばに鍾乳石を祀る風習もありますのう……」
「なるほど……古代からある民間信仰か……」
松田は漁村の老人に向き直り、
「して、この石神は昔からこの村で信仰されているのか? それとも、最近になって祀っているのか?」
「……半月ほど前……鋸山などに光物が現れた……これが凶事の予兆だった……石切り場やこの辺りの村々に奇病が流行り……身体が透き通った石英のようになる病気だ……このままでは全滅するかと思われたが……巨大な石神さまが天から現れ奇病は治まった……それ以来、村の者や石工たち、人夫たちは石神さまを祀る……鋸山の奥に石神さまの神殿を築くことになり……村の男衆たちが今も働いている……石神さまの使いが集落に一つ安置され……こうして毎日、食べ物をお供えしている……」
そういうと、老人は三人を無視して住家に帰っていった。
「う~~む……どうやら、村人たちは、薬物か催眠術で操られておるようじゃい……」
三人の前にある人面岩の神様の口の内部から、ボォォォ~~~ンという音が聞こえ、ゆっくりと岩が宙に持ち上がっていった。
「ぎょっ!! この人面岩も宙を浮くのか……」
松田半九郎が打刀を抜き、松影伴内が懐から三鈷杵を取り出して構えた。
だが、小型人面岩は彼らを無視し、三尺ほどの高さを浮いて、ゆっくりと山の方角へ向かって飛んでいく。
「この岩は……まるで我らが眼中にない、機巧仕掛けの人形のようだ……」
「茶運び人形というカラクリ人形のようですねえ……」
茶運び人形とは、お茶を入れた茶碗を人形がもった茶托におくと、客人のいる所まで運び、客人が茶碗を取ると、停止し、客が茶を飲んで空になった茶碗を茶托に乗せると、振り返って元の場所に戻る仕掛け人形のことだ。
「まったくですわい……それにこのチビ人面岩は、あの巨大人面岩と違って、余り高く飛べないようじゃい……」
「きっと、御供え物は石神さま……おそらくは岩魔の神殿を作っている村の男衆のための食事用かもしれません……」
「なるほどのう……お茶の代わりに食糧を運ぶ仕掛け人形といったところかな?」
「……この小型人面岩は、紅羽たちが乗った巨大人面岩と同じ方角へ向かうようです……追いかければ、岩魔の隠れ処にたどりつけるでしょう」
「たしかに……追いかけましょう!!」
小型人面岩は石工や人夫たちが石材を切りだして運ぶ山道を浮上して登っていった。
「秋芳尼さまにこの山越えは辛かろう……ちょいと、待ってくだされ……」
松影伴内が地面に両手をつき、九字結印法を切り、大地に両手をついて神気を注入した。
掌が光り輝き、周囲に光の円がえがかれた。
「大地に宿る形無き土塊どもよ……現世に出でて歩み従う影となれ……天摩流土術・瓦偶駒!!」
輝く円陣から埴輪の小馬が出現して、「ひひひ~~ん」といなないた。
「なっ……地面から馬の土人形が……以前、向島で人型の動く土人形を創りだしましたが、これも伴内殿の忍法ですかぁ!?」
「そうですじゃい……瓦偶駒は険しい山地であっても進むことができるんですじゃい!」
「まあ、かわいい小馬さん……」
「ひひひ~~ん……」
若い比丘尼は土の小馬の首に抱きつき、頬を摺り寄せた。
松田はうらやましいと思いつつ、鞍へ乗るのを手伝った。
「さあ、鋸山へ行くんじゃい!!」
伴内が土製駒の手綱をとり、カッポカッポと横座りの尼僧を乗せて山道を歩き出した。
なんとも不思議な光景に見とれていた松田同心であったが、その前に走り怪しいものはないか警戒しながら先を進んだ。
こうして三人は宙を浮く人面岩の向かう先へ進んでいった。
山道の途中で、石を運ぶための修羅というソリや房州石が放置されたままになっているのが見えた。
その時、轟たる地響きがおき、大地が揺れるのを感じた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
「地震だっ!!」
「きゃっ!!」
「倒木があるかもしれませぬ……広い場所へ行くんじゃい!!」
「ならば、あの先へ……」
松田の先導で、伴内が瓦偶駒をひき、修羅で石材を運ぶ人夫の休憩場所と思われる広い場所へ出ると、地震はおさまった。
「やれやれ……揺れはやんだようじゃい。さあ、いきましょうぞ」
「ええ……」
石材を運ぶ道の先の木ノ間より、何か光が反射しているのが見えた。
陽光かと思いきや、近づくにつれて、違うことがわかった。
鳥も鳴かず、虫も鳴かない静寂の森。
己の足音と呼吸だけが聞えてくる。
木々の葉の暗がりを潜った先は別世界であった。
「こ……これは!?」
「いやはや……なんとも……美しくも、奇っ怪な光景じゃい……」
「きっと、岩魔の結晶化光線の仕業でしょうなあ……」
山間の森の向こうに、水晶の森林が広がっていたのだ。
灌木の枝は石英で、草叢の葉の一枚一枚は碧玉の薄皮細工の葉に、木の下の苔などは瑠璃の無数の針だ。
杉の樹の樹皮はギヤマンで、天まで届く針葉は琥珀の曼荼羅となって陽光をきらきらと反射させていた。
「まるで……水晶の森ですね……しかも人の心を妖しく奪い取る、妖魅の森です……」
灌木の枝には結晶化したリスが胡桃を加えたまま彫像となっているのが見えた。
生きる物のいない死の沈黙こそが真理の世界。
輝く虹のプリズムが、森林一面に煌めく宝石化した森とは、こうも妖しく、美しいものなのか……
「……じっと見ていると、こちらまで光る石になってしまいそうだ……」
「確かに、頭がおかしくなりそうでわい……先を進みましょう、秋芳尼様……松田殿」
「ええ……」
「そうしましょう……」
半九郎が周囲に眼を見張らせ、伴内が手綱を引いて天摩忍群頭領の乗った土製駒を進ませた。




